2.出番だ!よし、缶詰だ!
春先の朝はまだ冷え込みが厳しい。冷たい空気を肺に取り込んで吐き出しながら約束の西門へと歩を進める。するとまだ遠目だというのに門の側で元気に手をブンブンと降る金髪で体躯の良い戦士風の男が見えた。十中八九侯輝だろう。まだ人通りもまばらなこの時間とは言え黒髪以外さほど大きな特徴は無い俺をよく見分けられるものだ。侯輝はこの寒さだと言うのにコートも羽織らず長袖とは言えシャツ一枚に皮鎧、腰には長剣という出で立ちだ。見ているこっちが寒くなる。寒がりのくせにやれやれと息を吐き出せば、名も無き薄白の精霊が一瞬の命を得て消えてゆく。それを眺め歩くとすぐに待ち合わせ場所へ着いた。侯輝は息を弾ませながら駆け寄ってくる。その様は主人を見つけた大型犬のようだ。尻尾があればきっと千切れんばかりに振っているに違いない。そんな様子に思わず苦笑が漏れた。
「おはよ!天理!今日は宜しくね!今日も頑張るよ!」
「おはよう。この寒空に元気だな侯輝。よろしく頼む」
「任せて!天理暖かそうなコートなのに寒そうだね。ぎゅーして温めてあげよっか?」
「大丈夫だっ!日が登ったら丁度良くなるだろ。馬鹿な事言ってないで行くぞっまったく……」
「冗談だよー怒んないでー待ってー」
スタスタと乗り合い馬車乗り場へと歩き始めた俺に侯輝は小走りでついてきた。後ろから侯輝が何か言っていたが、聞こえないふりをした。照れてしまう顔に気付かれたくなかったから。
俺が侯輝への気持ちを自覚し一時ギクシャクした期間もあったが侯輝は以前と同じ様にこうしてスキンシップ過剰で大型犬の如く俺に接してくる。その度に俺は自分の心臓の音がうるさくなるのを必死に抑える日々が続いていた。こうして侯輝の冗談に動揺してしまっているなんて知られない様に。
ォウベイ遺跡近くを通る馬車に乗り、途中で降ろして貰って歩いて遺跡へ。
侯輝は俺の葛藤などきっと知る由もなく、何やらご機嫌に鼻歌を歌いながら隣を歩く。その嬉しそうな鼻歌はまるでピクニックにでも行くかのようだと俺は苦笑し、危険ではあるがデートの様だなと思いはじめて慌ててまた想いに蓋をした。
「すまなかったな。急だったのに。今日は用事があったんだろう?」
「んーん、急ぎじゃなかったしね。天理優先☆」
冗談めかしてウインクする侯輝にまたドキリとする己に慣れろ慣れろと唱え、呆れた顔をして誤魔化す。
こうして昔馴染みというだけで無理してついてきてくれる侯輝に甘えているから侯輝が想い人に専念できないのだ。しっかりせねばならないのに目の前の楽しそうな侯輝を見ていると甘んじてしまう。
「……いつもありがとな」
「えへへ♪それほどでも無いよ~♪」
「っ……たく。調子にのるな。ほら、そろそろ着くだろ?」
「はーい。警戒は任せてね!」
ニコニコと得意気な笑顔で言われてしまえば呆れつつも逆に笑えてきてしまって緩む顔を隠そうと目的地を指差す。
好きだよ侯輝。もう少しだけお前との時間を過ごさせてくれ。
そうして歩くと目的地であるォウベイ遺跡へと辿り着いた。
ォウベイ遺跡群は数百年前この大陸の高度文明が栄えたとされる場所の一つだ。現在の技術では建造不可能な高い建物が立ち並ぶ。戦や病によって住み人を失い、崩れて瓦礫の山と化した建造物は長い時の流れを感じさせる。舗装されていた地面は割れ植物が生い茂り、旧来の科学エネルギーと魔法とが融合され、膨大なエネルギーで煌びやかに彩られていたとされる当時の面影は、もう無い。
今回調査する遺跡の内の建物は、それ自体は周りの建物と差異の無い硬質材質に見える低層の箱の様な小さな建物だ。近くの高層ビルが全体を覆うように倒れ込み、驚く事にその建物自体は倒壊を免れ壊れていない様子だったが、高層ビルの瓦礫で入り口とおぼしき部分が埋もれ侵入不可能とされていた。だが近年発生した中規模の地震で新たな入り口が見つかった。情報によれば地下通路経由で目的の建物に侵入できそうな扉があり、ォウベイ遺跡群で使用されている文字とは異なるものが記述してあった様なのだ。
俺達は魔炎石のランタンを灯し地下への入り口から慎重に先に進む。
ォウベイ遺跡には機械兵が警備の為に徘徊しており襲ってくる場合がある。他の冒険者に破壊されたであろう小型機械兵の残骸を横目に地下へ地下へと階段を進む。途中の階層毎に頑強そうなドアはあるがどこも開かないので単調な一本道だ。侯輝は飽きて来たのか金属階段を降りるステップの音に合わせて鼻歌を歌っている。侯輝の鼻歌はいつも楽しげで心地よい。
「お前歌上手だよな」
「えへへ~♪ありがと♪天理もなんか歌ってよ!」
「いやだ。……お前の歌聴いてる方がいい」
「えへへ……そう?でも天理の歌も聞きたいな。俺天理の声、好きだもん」
「っ、お前なあ……そういうのはお前の想い人に言ってやれ」
「言ってるよぉーでもなかなか手強くてさ。好きになってくれてるとは思うんだけど決め手に欠けてて」
「……そうなのか」
どうやら侯輝の俺そっくりとかいう想い人への想いは変わらず、そいつも侯輝に好意を持ってる癖に未だ想いは通じていないらしい。年上と言っていたから俺と似た様な想いがあるのかもしれない。中途半端に好意なんか持ってないで早く侯輝を幸せにしてやってくれよ。俺こそさっさと諦めればいいのに苛立ちをそいつに押し付けて愚痴る。
そうしている内に最下層にたどり着くと、情報通りその階だけ非常ドアが地震で崩れ内部に入れる様になっていた。そこから先に進むと地下街らしき通路に出た。道は4、5人程度は通れるであろう明かりの無いコンクリートの地下道を警戒しながら真っ直ぐに進む。そして突き当たりのもう一つの階段にたどり着くと今度は上へ上へと昇り、目的の建物を目指すのだ。
『止まれ!俺達に敵意は無い!』
『○✕二◆△シ○ハ○○◆!』
「嘘ぉ壊れてる?!あいつ情報になかったよね!?ちょっと厳しいんだけど!」
「防火扉で回避する。時間稼げるか?!侯輝!」
「任せて!気をつけてね天理!」
地下1階、あと少しで目的の場所に辿り着こうとしていた俺達に、脇道の暗闇から俺達の身の丈をやや上回る四足機械兵らしきもの現れでたらめな警戒音を鳴らしながら迫ってきていた。俺が古代語で停止要求しても反応はない。
ォウベイ遺跡は機械兵が俺が古代語での対話で戦闘回避できるのが俺の利点だったのだが、希に故障した機械兵がいて対話にならず戦闘になることもあった。だがよく見かける対処しやすい小型では無い上に対話故障している戦闘機体の中型とはついていない。
「はぁぁぁっ!!」
侯輝は俺を庇う様に前に立ち、気合いだけででたらめに発動させた光の精霊魔法で力を込めたバスタードソードを構え、意味不明な音を発し襲いかかろうとしてきた中型の機械兵と対峙する。
侯輝の気勢と金属の交戦音を後ろに聞きながら、俺は頭に叩き込んでいた地図の情報を元に階段近くの防火扉の場所へと急行した。周囲に危険が無いことを確認しつつ防火扉の古代語で書かれた操作パネルの説明を素早く読む。スイッチを押すと魔力が吸い取られた感覚の後に防火扉が稼働し始めた。天井から徐々に分厚い防火扉が現れゆっくり閉じていく。
「閉まるぞ!退け侯輝!!援護する!」
「分かった!」
『ブラム!侯輝を援護だ!』
『承知』
指を一鳴らしし、契約している炎の精霊の名を呼ぶ。炎を纏った人型子供程大きさの精霊が宙に顕現すると俺の周りが幻想的に揺らめく炎で明るくなった。そしてブラムを機械兵の視界を奪う様に纏わりつかせると同時に防戦に徹していた侯輝が後退する。機械兵はターゲットの侯輝を見失ったのか前進しながらも目茶苦茶にアームを振り回し始めた。リーチのあるアームが侯輝を掠めて少しヒヤリとする。奥からもう一機近寄ってくるのが見えた。あれも壊れているなら手に負えない。
防火扉の閉じるスピードが遅く侯輝がここまで来ても追い付かれる可能性があった。操作パネルにあった緊急開閉モード(SpeedUp)に目をやる。緊急モードでどの程度魔力を消費するか分からないが迷っていられなかった。ままよ!と叩きつける様に緊急稼働スイッチを拳で叩くと魔力がぐんと吸われるも閉じるスピードが増した。
「急げ!」
「うん!」
スイッチを操作し、侯輝が防火扉を転がる様にギリギリで潜り抜けると同時に防火扉を完全に閉じきる。直後、扉の向こう側で機械兵がぶつかる音が響いた。一瞬破壊されるかと思ったがそれはしない様だった。魔力がキツくなっていたのでブラムの召喚を解除し、静かにしていると程なくして離れていく音が聞こえてきてホッと胸を撫で下ろす。
「助かったぁーありがと天理」
「ああ、それよりお前、怪我は無いか?」
「へーき!ちょっとかすっただけ!」
「そうか、良かった……っ」
破れていた侯輝の袖を検分し確かに無事な事を確認するとホッと息をつく。大事無くて本当に良かった。安心し気が抜けた様な感覚と共にくらりと目眩がした。
「天理!?大丈夫?!」
「問題、ない……」
ふらついていると侯輝の力強い腕に支えられる。
ああ、この感覚は魔力切れか。だがこんな所で倒れる訳にはいかない、気をしっかり持たねば。魔蓄石を……そう意識する間も無く俺は意識が途切れた。
俺は包まれるような感覚の中、揺らされて目を覚ます。仰向きの視界にキラキラとした眩しさが飛び込んできた。
「天理!天理!」
眼を凝らすとそれが薄明かるい天井の明かりに照らされ金糸のように見えた侯輝の髪だと気づく。次に心配そうな顔が見えた。
「良かった!目覚ました天理」
安堵の声と共に侯輝が抱き付いて来たので少しだけ戸惑う。いつもなら心に蓋をして邪険に振り払っていたが、心配させてしまったので大人しくされるがままにしておく。
……という建前でもって打ち明けられぬ想いを慰めた。
「すまん心配させた……扉に想定以上に魔力吸われた。ここはどこだ?どのくらい寝てた?」
自らの失態を謝罪し、不安そうな侯輝にもう大丈夫だと伝える様に癖で侯輝の頭を撫でてやると少し安心したのか侯輝は腕を少し解いた。まだ心配そうに支えられながらゆっくりと身を起こす。
「ここ、多分目的の遺跡の建物だと思う。安全な所に待避しなきゃと思って天理抱えて上に移動してたらここの扉が開いて。中は安全そうだったからここで回復させる事にしたんだ。魔力切れかと思ってすぐ回復させたからそんなに経ってないよ。……ごめんね、俺がもっと強ければこんなことにはならなかったのに」
近くにただの石と化した見覚えのある形の元魔畜石が転がっていた。ポーチに常備していたそれを侯輝が握らせてくれて魔力が少し回復できたらしい。俺の極貧魔力事情を知る侯輝が共にいて助かったと安堵する。侯輝は謝るが防火扉を急かさず消費魔力量が分かっているブラムでうまく時間稼ぎすれば良かったのだ。俺の判断ミスだ。
「いや、魔力量を考えず手段を謝った俺が悪い。それにお前がいなかったら俺は今頃どうなってたか。ありがとな侯輝」
「えへへ……ありがと。天理が無事なら俺も嬉しいよ」
感謝の言葉を伝えるとまだ少し不安そうにしていた侯輝はやっと安心した様に笑った。やはり侯輝は笑っている方がいい。そして気付けばまだ侯輝の腕の中だった事に内心慌てる。
「ん。さて、ここが目的地として……何だろうなここ。何も無い……あれ?ドアは?」
「それがもう1個ごめんねなんだけど、安全だと思って入った後消えて無くなっちゃって……」
「え」
もしや閉じ込められたのか?!と慌てつつも侯輝に見守られながらゆっくりと立ち上がり部屋を見渡す。建物の外観の割には小さい12畳程の一見何もない殺風景な部屋だった。部屋の天井に埋め込まれた淡白い光源がだけがあり、あとは壁に境目のような線は見えるが、ドアも窓も見当たらない。これはこれで特殊な部屋とも言えるがあまりの何も無さに少しがっかりしつつも脱出手段を探すべく壁をよく観察する。周辺の建築物と外壁は同じ様に見えたのに内壁はあまり見かけない材質だった。無機質のはずなのに何処か暖かみがある。程なくして侯輝が奥の壁に、よく見るとそこの一面だけ別素材のプレートになっている箇所を見つけた。
「ねえ天理!なんか字出てきた!これ古代語かな?何て書いてあるの?」
侯輝に呼ばれ近づくと、高度文明期遺跡で稀に見つかる文字が光る板ではなく陶器の様な材質のプレートに薄っすらと光沢を持ったインクの様なもので文字が瞬時に浮き出るという不思議なものだった。時折土の精霊が悪戯書きをするのに近い。そこにォウベイ遺跡で汎用的に使われる言語よりも更に古い古代語が表示される事を確認する。それはようこそ!に近い歓迎のメッセージだ。そして文字がスッと消えて新たなメッセージが表示される。俺は新たな古代情報が得られるかと期待しながらその文字を読み上げた。
『この部屋に入ってきた二人の愛を確認し、扉を解放します』
「は?」
「どうしたの?天理。なんて書いてあるの?」
「いや……その……」
古代の機械、AIだろうか?何を考えているんだ古代人。何故俺と侯輝で愛を確認できる対象として認識しているんだ。男同士で。こいつも故障しているのか?俺はともかく侯輝には想い人がいるのだ。内心叫びたくなるのを堪えながらやむを得ず侯輝に書いてあった事を話した。
「えっと、俺達の愛をこの機械?が確認できたらここから出られるって事が書いてあるの?」
「ああ、読み違えじゃない」
解釈やニュアンス違いではないはずだ。再度読み返し眉間を押さえる。自分の想いを伝える訳にはいかない。そう心に決めていたのだから。侯輝だって困るだろう。
少しだけ気まずくどうしたものかと沈黙していると、それを破るように侯輝が少し興奮気味に言った。
「ね、それってどうやって確認するのかな?!」
侯輝は言いながら、またも俺の気も知らずニコニコしながら俺の手を握ってくる。だがその瞳はどこか愛おしいものを見ている様な瞳で、俺は心臓が跳ねるのを必死で隠しながら近いぞと振りほどこうとする。だが侯輝の力は強く離れない。それどころかさらにギュッと握られ思わずビクリと体を跳ねさせてしまった。
「っ、侯……」
「ご、ごめんね」
それをどう受け取ったのか侯輝は小さく謝罪し手を離そうとするので、俺は咄嗟にその手を掴む。
「好きだぞ。侯輝」
「!!天……理……?」
そして言ってしまった。だってふざけて笑っている様に見せている癖に侯輝が捨てられた子犬みたいな目をしていたから、お前も俺と同じ気持ちを抱いているかもしれないなんて勘違いしてしまったんだ。
「!あっいや、ほら、今、お前を嫌った様に思わせて謝らせてしまったなら誤解だぞって意味でだな」
言ってしまって驚きに目を見開いている侯輝の顔を見て俺は慌てて言い訳を並べる。冷静になれ、何の為に今まで想いに蓋をしてきたと思っているんだと自分に言い聞かせながら。
だがそんな俺の様子に侯輝はふわりと笑った。その笑顔はいつもの侯輝の人懐っこい笑みではなく、どこか大人びていて俺は思わず見惚れてしまった。そして侯輝は俺を引き寄せて優しく抱きしめると、突然のことに驚き硬直し動けなくなる俺の耳元で囁いた。
「俺も、大好きだよ。天理」
それはまるで愛を囁くような甘く蕩ける声で、とても兄代わりの男にするものには聞こえなかった。
侯輝が俺に恋慕を寄せてくれていた!そう勘違いするには充分過ぎて、俺は嬉しくて堪らなかった。しかし、それが本心だとしても俺じゃだめなのだ。グラグラと決意が揺るぎそうになり震える体を歯を食い縛って堪えると、俺は必死で声を振り絞った。
「っ……!く……あ、ああ、ありがとな。は、はは。お前凄いなあ。ちょっと前まで子どもだと思ってたのにすっかり大人の男みたいなセリフじゃないか。その調子ならお前の想い人ともきっとうまくいくぞ」
子供扱いすれば侯輝なら怒って引いてくれるだろうと俺は期待して、わざと子供をあやすようにぽん、ぽん、と侯輝の背中を叩きながら笑う。
しかしそんな俺の思いとは裏腹に侯輝はさらに強く抱き締めてきた。
「!」
「天理。俺もう子供じゃないよ?」
「っ、そ、そうだな。からかう様な言い方して悪……んっ!?」
混乱する頭で振り絞った言葉は途中で遮られ、俺の唇は侯輝の唇で塞がれていた。信じられない気持ちでパニックを起こしかけるも必死で抵抗を試みる。その視線は以前の恋人代行の時に一瞬侯輝から垣間見えた熱の篭もったものと同じで俺の体を芯から震えさせた。
「やめ……んぅっ……」
止めろと言うつもりで口を開けば噛みつく様に口付けられた。そしてぬるりと舌が入り込み俺の舌に絡みつく。その口付けは技巧も何もない荒々しいものだったが侯輝の想いが伝わってきて、それがとても心地好く抵抗する力が抜けていく。俺は拒絶しなきゃいけないと分かっているのに侯輝の背に回した手をすがる様に掴む事しかなかった。するとさらに強く抱きしめられて密着する形になり、互いの心音すら聞こえてしまう気がした。ドクンドクンという鼓動はどちらのものか分からない程激しく脈打っている。それだけでお互いの心が通じあっているような気がして堪らず吐息が漏れた。頭がボーッとしてきてそのまま流されてしまいたかった。だがなけなしの理性でなんとか押し退けると、涙目を手早く拭い荒い息を整えながら反論した。
「っは、いいっ加減にしろ!お前が好きなのは俺じゃないだろ!!俺を身代わりにするのも大概にしろ!」
すると侯輝はハッとして悲しそうな顔をした後、必死な形相で俺を見つめて言った。
「ごめんっ!ごめんなさい、天理。違うんだ、俺ずっと嘘ついてた。俺が好きなのは天理自身、天理にそっくりな人じゃないだ、故郷にいた頃からずっと。身代わりなんかじゃない」
「……え」
謝罪に続き告げられたその内容に俺は一瞬何を言われたのか分からなかった。理解した瞬間顔が熱くなり心臓がバクバクと早鐘を打つ。しかしなんだっていつも思うままに突撃してくるお前がそんな嘘を、言ってくれれば。とまで考えて言われたところで受け入れられない自分がいた事を今更ながら思い出した。俺はなんとしても否定しないとならないのだ。だが侯輝は俺が否定する言葉を探している間に続けた。
「俺が告白しなかったのはね、ここ一番で頑固な天理だから、きっとうんって言ってくれないだろうって思ってたから。それで関係が壊れて天理がどこかに行っちゃうのが怖かったんだ。だから天理から好きだって言ってくれるまで待とうって」
そう、告白されても俺は否定し距離を置いていたはずだ。侯輝の判断は的確だろう。だが待て、俺から告白されるまで?俺は好意を伝えてはないはず。
「……え?お前、いつから気づいて……」
「えっとね、クシャ遺跡の近くの小屋で一泊した時もしかして?って思って、確信したのは帰ってきてから。あの時俺、本当に嬉しかったな……」
「……ぅわぁぁぁ……」
ずっと隠していたはずだったのにほぼ最初っからバレていた。思い返したアレコレが恥ずかしくて崩れ落ちそうだ。
「ごめんね、天理の気持ち知ってたのに黙ってて……」
「いや、別にそれは……」
侯輝が謝罪してくれていたが話せなかった事情はもう分かっていたから、ちょっとズルいだろとは思うもそこまで気にはならなかった。それより己の羞恥で頭がいっぱいになっていたのだ。
バレていないと思い込んで全部自分で話し、その上侯輝も俺そっくりな人が想い人だなんて言いながら全部俺の事を言っていたのに俺の方は全く気づいていなかった。
……いや、本当は侯輝が俺に好意を持ってくれているという事をどこかで受け入れたくなかっただけかもしれない。俺と侯輝が関係を持つことで侯輝の未来を奪い、土護からの信頼も失うのが嫌で。だから俺は否定しないとならないのだ。
「なら分かるだろう?お前とそういう関係になるつもりは、無い」
「天理……」
本当は喉から手が出るほど欲しかった。侯輝も俺の事を好きでいてくれた事が嬉しくて堪らなかった。ギリギリと痛む胸を必死で抑え付けながら否定するも、悲しそうな瞳をする侯輝にそれ以上に心が痛む。思わず手を伸ばしかけ、ぐっと拳を握りしめて耐えると侯輝の為にと絞り出す様に言った。それはまるで自分の心を切り裂く様だった。
「お前の事は、金輪際そういう目で見ない、だから、お前も早く、他の人を見つけて……」
「そんなの、無理だよ」
正直忘れるなんて無理だと思った。これで侯輝と距離を置かなければならずその笑顔が見られなくなると思うと辛くて。悲しくて。
「無理じゃない、お前ならきっと……」
「だって天理泣いてるもん。お願い天理もう自分に嘘ついて一人で泣かないで?天理が辛そうにしてるのはヤだよ……」
「え……」
その瞬間目から溢れた涙が俺の頬を辿っていくと自分が泣いていた事に気づいた。その涙は俺が今までずっと我慢してきた想いの証だった。
「違っ……これは……っ……くっ……」
それでも意地を張ろうとしたが一度溢れ出した涙はもう止められなかった。侯輝は俺の頬をなぞり涙をそっと拭うと悲しみと愛おしさを秘めた瞳で俺を見つめた。
「今までずっとごめんね、俺やっぱりガキだったよね。天理に好きになって欲しいばっかり考えてアピールして、天理も同じ気持ちになってくれたの気づいた時は一人で舞い上がって。俺の我儘で天理をこんなに苦しませるなんて考えもしないでさ。ねえ、天理、俺天理を支えられる大人になるよ。土護兄にだってちゃんと言って認めて貰う。一人で天理を辛い思いにさせない。でも……もし土護兄に反対されても、どうか……どうか、俺を選んで?俺、やっぱり天理じゃなきゃ、ヤだよぉ……」
侯輝の言葉はやがて涙声の懇願に変わり泣きそうなその顔に幼い頃の侯輝が重なって見えると息を飲む。
ああ、そうだ侯輝は昔からこうだった。
普段は明るくて元気で人懐っこく誰からも好かれる癖に俺が絡むと途端に我儘になり駄々をこねて困らせる。だが俺は実の兄の土護ではなく俺にだけ我儘を言う侯輝が可愛くて好きだった。俺が上京する時離れるのが嫌だとギャン泣きされたり、勝手に上京してきて俺の宿舎に転がり込んできたりするのは本当は嬉しかった。昔から好きだったのだ。侯輝を甘やかしてしまう俺に土護は苦笑しながらも仕方ないねと許してくれた。そんな土護を裏切る様な真似はしたくなかった。だから、想いを言葉にすることはどうしても出来なかったのだ。
だがもう限界だった。すまない土護。俺はこれ以上俺はこれ以上自分の想いを留める事も、何より、侯輝の想いを無碍にする事はできない。
気付けば俺は侯輝を抱き締めていた。
「俺だって……ぅ……ぁぁ……」
一生抱えて秘めていようとしていた想いが、侯輝の熱に溶かされ涙となって溢れて止める事ができなかった。
「大好きだよ。天理」
「俺も、好きだ……」
きつく抱きしめ返してくれた侯輝から愛おしそうな声が届く。俺は詰まらせながらやっとの思いで言葉を紡いだ。土護への心苦しい気持ちと吐き出した侯輝への想いとが俺の中でごちゃ混ぜになって抑えられなかった。涙が止められない俺を侯輝は優しく抱き止めながら俺が落ち着くまで背中を撫でてくれた。
そして涙が止まり落ち着いてくると侯輝は優しく愛おしそうに俺の顔を覗き込んだ。俺は明かされた想いと、はじめて憚りもなく大泣きしてしまった事が恥ずかしくて目を逸らしたが侯輝はそのまま頬にキスをすると愛おし気でありつつも真剣な声音で言葉を紡いできた。
「俺、天理が思ってた以上に俺の事大切に想ってくれてたの本当に嬉しかった。もっともっと好きになっちゃったんだよ?こんなにも想ってくれる天理の事幸せにしたい。天理から見たらまだ子供かもだけど、絶対天理を守れる男になる。だから……どうか俺の恋人になってください」
そこにあったのはいつもの人懐っこい笑顔ではなかった。その瞳には真っ直ぐな決意が宿り、緊張した面持ちで俺を見つめる。もう一方的に子供扱いする事など俺にはできなかった。俺は高鳴る鼓動を抑える様に胸に片手を当て深呼吸すると、真っ直ぐな視線を受け止めるように見つめ返して口を開いた。
「こんな俺だが……俺もお前を幸せにしたい。お前の隣に俺をいさせてくれ。よろしく頼む」
「!!天理ー!」
「うわっ!とっ……ん……」
自信がなくて頼りない返事になってしまったが、それでもはっきりと了承の意思を伝える。俺の言葉に侯輝は頬を染め満面の笑みを浮かべるとそのまま飛び付いてきた。その勢いを支えきれず後ろの壁まで追いやられるとそのまま唇を奪われる。あまりの勢いに驚いたが俺はそのまま受け入れる様に薄く唇を開くと侯輝は嬉しそうに舌を差し入れてきた。好きだ好きだと想いをぶつける様な口付けに、俺は体が震えるのを抑えられず己が頭で想うよりも歓喜している事を自覚した。
好きなのはお前だけじゃないんだと伝えるように腕を回し舌を絡めて応えれば侯輝はさらに興奮し息継ぎついでに好きだよと呟いては更に求めてきた。
『二人の愛の証明はされました』
気付けばパネルにそう表示され、入ってきた場所とは別の壁にスッと扉が現れる。そしてゆっくり開かれると外の明るい光が俺達を照らした。そこは遺跡の付近で倒壊していた建物の瓦礫があまり存在しない側の様で、地下を経由しなくても簡単に帰れそうだった。
俺の首筋にスンスンと顔を埋め唇添わせながら、侯輝の手が妖しく俺の腰に伸びる。その熱量に俺はすっかり翻弄されて、もうこのまま身を委ねてしまおうかと思いかけるも、このままだと偶然通りかかった冒険者に丸見えなのでは?!と我に返り慌てて引き剥がすと扉を指差した。
「まっ、待て!どこまでスル気だ!ほ、ほらっ扉開いたぞ!」
「あ、ホントだ。えへへ、じゃあ俺達の愛が証明されたって事なんだね♡滅多に人なんて来ないよ。もうちょっとだけだから、ね?」
「ば、こんな所で抱かれてたまるか!」
「えっ!!天理抱かれる方でいいの?!やったー!」
「あ」
当たり前の様に受け入れる側でいた事に羞恥で顔が熱くなる。だが侯輝は満面の笑みになるとぎゅうぎゅうと抱き締めてきた。
「えへへ♡嬉しいな。俺天理ならどっちでもいいって思ってたけど天理がそっちがいいって言うなら俺頑張るね」
「ちょっ、待っ……そっちが良いって言うかだな!俺はお前が赤ん坊の頃から知ってるんだぞ!天使みたいなんて言われてたお前を思い出したら俺が抱く側なんて想像できなかったんだよ!」
実際は元気すぎる天使で駄々捏ね悪戯っ子だったのだが。それでも俺にとっては可愛い弟の様な存在だったから手を出すだなんて考えられなかったのだ。俺は羞恥の余り必死で弁明していた。
「そうなの?俺早くお子様イメージ払拭できるようにするね。天理なら俺のセクシーボディーで虜にするのもアリかなって思ってたから、抱きたくなったらいつでも言ってね♡」
「お前そんな事まで考えてたのか……」
「で、も。天理をめちゃくちゃにしたかったって思ってたのも本当だから、天理が抱かせてくれるのは凄く嬉しいな♡」
「~~っ、は、な、せ!」
きゃっきゃと抱き付いていたと思ったら急に大人の顔をしだして耳元で囁かれてゾクリと体が震えた。その反応に侯輝はクスリと笑うのになんだか少し腹が立ってぺしりとはたいて引き離した。
するとパネルの文字が変わり折角開いた扉がスススッと閉じようとしながら余計な事を示し始めた。
『もう出られますがよろしかったらベッドやシャワーもご用意しますよ?扉はオープンキーワード"空と太陽"でいつでもどこからでも開けられますので好きなだけどうぞ!』
「いらん!閉めるな!帰るぞ!」
「何て書いてあるか分からないけど天理は本当に照れ屋さんだね♡」
大人っぽくなったと思ったらすっかりいつもの調子良い侯輝を軽く小突く。なぜだか渋々といった風に扉が再び開きはじめた。俺は侯輝の手を取ると部屋を出る。
『お幸せに~また来てくださいね~』
「二度と来るか!!」
こうして俺達は無事脱出することができた。調査しに来たはずなのだが俺はもうそれどころじゃなかった。おかげでォウベイ遺跡のその部屋の真の目的は判らず仕舞いだったが判明した部分だけで提出するしか無いだろう。とても書きにくいが。
比較的安全とは言え旅先で浮かれたままで居るわけにもいかない。俺達は日が暮れぬ内に都まで帰ることにした。
夕暮れ前、セレリスの都に無事にたどり着いた俺達は侯輝の護衛契約完了手続きの為に冒険者ギルドまでの道すがら、侯輝の「恋人繋ぎしたい!」という願いの為に恋人繋ぎで街中を歩いていた。
「天理?天理!」
「あっ!ああなんだ侯輝!聞いてるぞ!」
「無理しないでいいから、ちょっとそこのベンチで休んでいこ?今日は魔力もほとんど尽きてて疲れてるでしょ?お茶買ってくるよ」
「あ、ああ……スマン……」
「ふふ、大丈夫、大丈夫!ゆっくりやろ?」
街中で恥ずかしい気がしたが幸せそうな侯輝にそれくらい叶えてやらねば……と意を決して数分。やっぱり恥ずかしくて頭が回らず侯輝が何か上機嫌で話しかけてきてるのは辛うじて分かったが碌に反応も返せず、おそらく俺の表情は固まっていた。そして今に至る。
俺はベンチに座ると小走りに露天へと駆けていく侯輝を眺めふぅとため息をつくと少しぼんやりしてしまった。
実現しないだろうと思っていた侯輝と恋人関係になった実感がまだ沸かない。
いい歳して童貞ですらないのに、手を繋ぐぐらい平気だと思った数分前の自己評価を殴ってやりたい。恋愛ブランクが長すぎたのか?前の恋人は友達感覚だったからデートでこんなに緊張した覚えがない。
侯輝、だからか……?
俺は侯輝の期待に応えてやれるだろうか。
「はーい天理の好きなお茶だよー」
「ああ……ありがとな……」
そんな俺を気遣って侯輝は飲み物を買ってきてくれた。俺は礼を言って受け取るがその味すらよく分からずただ喉に流し込んだ。
「あのね、俺ずっと前から天理が好きだったから、こうしていられるだけで凄く嬉しいんだよ?」
侯輝は俺の隣に座ると照れたように笑いながら素直な気持ちを言葉にした。侯輝はこんなにもストレートに俺に愛を伝えてくるのに俺はいつまでもギクシャクして不甲斐ない。俺もちゃんと伝えなければ。俺とて侯輝が好きなのだから。
「……俺も、嬉しいぞ」
辛うじてそう伝えるとそれでも侯輝は更に嬉しそうに笑った。
「うん!凄い幸せ!受け入れてくれてありがとね。だからあのね、遺跡で言ってた事なんだけど、急がなくてもいいからね?」
「え?」
「だから、天理を抱かせてくれるって話。天理の気持ちの整理がついてからでいいからね」
侯輝は幸せそうに微笑みながらも少し照れたように告げた。
どうやらさっきの手繋ぎの俺の反応で侯輝が相当気にしてくれているらしい事を察すると、申し訳なくなると同時に自分が情けなくなった。このまま気を使わせっぱなしでいいのか!と。
「えっ!いや、それは!約束はちゃんと果たす。気を使わなくていい」
「でも俺天理に無理してまで抱かれて欲しくないよ。俺は天理が俺を受け入れてくれただけで嬉しいから」
「いや!違う、そうじゃない。その、お前とこういう仲になれるだなんて考えた事も無かったし、公共の場でイチャイチャするのに慣れてないだけだ。それに……お前でそういう事をするのを想像した事が無かった訳じゃないから……遠慮無くこい!」
「そうなの?えへへ嬉しいな……でもホントに大丈夫?前、抜きっこしてくれた時に恥ずかしいし触れないでって言ってたから」
「ぐ、そ、それはだな……その、笑うなよ?」
まだ互いに想いが通じていなかったクシャ遺跡での事だろう。あの日、侯輝にどうしてもと嘆願と言う名のごり押しをされ、自慰を見せあった事を思いだし俺は恥ずかしさで思わず顔を覆う。俺が触れるなと言った恥ずかしいともう一つの理由。
「うん、笑わないよ」
「うぅ、あの時……俺はお前の事好きなのに、お前は他の誰かを好きだと思ってたから、その……嫌だったというか……女々しいだろ?」
「~~~っ!可愛い!可愛いよお天理ぃ、あの時はごめんね!大好きー!」
「うおっ!……ちょっ、待っ……」
覆う手をずらし羞恥を堪えながら言うと、侯輝は感極まったように俺に抱き付くと頭を擦り寄せてきた。通りすがりの老夫婦が微笑ましそうにこちらを見ながら通り過ぎていくのに気付き俺は羞恥で侯輝を引き剥がそうとするが、侯輝は更に強く抱き付いてきた。
「俺もう絶対離さないからね!」
「わ、分かったから、ちょっと離れ……」
本気で恥ずかしくなってきて今すぐにでも穴に埋まりたい気分で慌てていると、侯輝はやっと俺を解放してくれた。
「ごめんね。つい嬉しくて」
「おう……嫌じゃないから……」
「えへへ。……じゃあ、じゃあ、天理って男同士の愛しかたって知ってるの?」
「……知識としてだけ、な」
「そっかあ……♡俺頑張るね」
バックバージンなのだと暗に告げれば侯輝はその顔をすっかり緩め笑う。そのあまりのデレデレっぷりに見ているこっちが恥ずかしくなってきた。そういえば今まで女性にモテていると思っていた侯輝がずっと俺一筋だった事で一つの懸念事項が浮かんできた。
「……お前、俺の事ずっと好きだったって言ってたよな?はじめてか?」
「えへへ……うん。で、でも!ちゃんと知識はあるから、安心して!俺頑張るからね!」
「お、おう……」
つまり俺はバックバージンで侯輝は童貞。処女と童貞という組み合わせの不安さもさることながら、冒険者ギルドでも一、二を争う爽やかイケメンであろう侯輝のはじめてが俺でいいのかという戸惑いが先だった。
侯輝は照れたように頬を掻いたのち、俺が不安になったと思われたのか一生懸命「大丈夫!大丈夫!」とアピールし始めた。
全く根拠の無い言葉だったが、この前向きさに俺は幾度も救われて好きになっていたんだったと思い出した。どうせ最初からうまくいく事なんて何だって無いのだ。それに侯輝と交われるだけでも幸せじゃないか。
「ふふっ、じゃあ一緒に頑張るか」
一生懸命アピールする侯輝の姿が段々愛らしく見えてきて、やっといつもの調子に戻すことができた俺は苦笑しつつ侯輝の頭にぽんと手を置いて撫でた。
「うん!そろそろ行こっか?」
侯輝は嬉しそうに撫でられた後、立ち上がり満面の笑みと共に自然に手を差し伸べた。今ならその手を繋げるかもしれない。剣ダコが付いた逞しいその手は侯輝が努力し一人前の男として成長した証で、愛おしさすら込み上げた。恋人繋ぎはまだダメだったがその手を繋ぐと侯輝は嬉しそうに笑い歩き始めた。
少しずつ少しずつ、俺達は恋人に近づいていく。そのもどかしいやり取りさえも今は楽しいと思えた。