極夜の街(前)

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侯輝×天理 

魔法を使える異世界は存在しません。
ALL天理視点一人称
1P:異世界らしい
2P:侯輝が来た
3P:R18
4-6P:殺人鬼

当作品はAIベリストプロンプト共有内にて配布されていた温水プール様の極夜の街をシリーズに合わせて改変し使用させて頂いております。
しかしサイバーパンク感が全くありません…


森を抜ける頃、空は暗くなっていた。どうやら道に迷っているうちに日が暮れたしまったらしい。
気象予想では雷となっていた。早く帰らないとと焦るのが目の前に広がる光景を見て絶望した。
見知らぬ神社らしき庭の中にいる。そこから参道の方に目を向けると、見たこともない程大きく密集したビルの群れが、眼下で煌々と輝いていた。その中心に一際巨大なビルが、雲に届かんばかりに大きく聳え立ち雷が時折空を走っていた。
どうやら丘の上の神社に来たらしい。しかし坂を登った覚えがない。何より、こんなSF映画ののような大都市を、俺は知らない。
仮にも神社なのだが参拝客らしく振る舞うのも忘れ、呆然と街を見下ろしていると、後ろでどさっと何かが落ちる音がした。
振り返るとそこには巫女服を着た、黒髪にポニーテール、可愛らしくも凛とした顔立ちの少女がいる。彼女の足元には、音の原因であろう倒れた洗濯籠とその中身が落ちて散らばっていた。
「えっ…」
突然現れた人間にお互いに驚き固まる。沈黙を破ったのは少女だった。彼女はハッとして口を開く。
「…失礼しました、私はミコ。この神社の娘です。あなたは……どこから来たのですか?」
答えようがない。道に迷っていたと思ったら、知らない街にいた。それ以上でもそれ以下でもない。そのことを彼女に話すべきか迷ったが、結局、自分の名と状況を素直に話した。
「もしかして……あなたは異界の人なんじゃ……」
事情を聞いたミコが神妙に呟く。何のことだとさらに戸惑いを深めていると、ミコはこちらを振り返った。
「少し長くなるので、中で話しましょう」

居住スペースを兼ねているらしい神社社務所の座敷に案内される。部屋の壁や棚には優しい印象を持つとても繊細な木彫りの作品が飾られていた。ミコはお茶を出してくれるとこの場所について教えてくれた。
ここはおそらく、俺が住んでいた世界から見て『異世界』にあたるということ。この街には常に分厚い雲が立ち込め常闇となっており、灯りは一つの電力会社が供給する電灯に依存していること。
そして俺は『別の世界からやってくる人間』なのではないかということ。
「どれぐらいの頻度で来るのか、どうして迷い込むのか……詳しいことはわかりません。そして……別の世界から来た人が、元の世界に戻ったという話も聞いた事がありません」
ミコは重苦しく目を伏せた。俺はその言葉に絶望的な気分になる。俺の脳裏には真っ先に最愛の恋人の姿が浮かんでいた。考古学の研究も家族や友人からも切り離され見知らぬ世界に放り出され戻れぬかもしれないのだ。消沈してしまった俺を見てミコは慌ててフォローを入れてくれた。
「でもっ聞いた限りの話ですので!まずは住む場所が見つかるまでの間、うちの神社の空き部屋を貸します。ただ……うちもお金が厳しいので、ずっと住んでもらうことは難しいと思ってください。……ごめんなさい、本当に。突然知らないところに放り出されてご不安でしょうに、これだけしか出来なくて」
そして深々と頭を下げた。
彼女は誠実な人間なのだろう。突然現れた得体の知れない男に対しても親切にしてくれ、助けてくれるというのだから。そして自分の力不足も認め、厳しい現実もちきんと伝える。彼女を信用して良いだろう。成人も前であろう彼女にここまで誠実に対応され俺は不安に捕らわれていた心を確かに持たねばと改めた。
「いや、こちらこそありがとう、充分過ぎるくらいだ。しばらくの間世話にならせてくれ」
頭を下げ気を取り直して真っ直ぐに彼女を見つめると、彼女もまた安心したように微笑み返してくれた。

ミコに布団を借りて、神社の空き部屋で眠る。目を覚ましても空は真っ暗で星ひとつ見えなかった。
ミコの言っていたことは本当だった。ここは異世界で、太陽が昇ることもない。ずっとここに居候はできない。仕事も探さなければいけないし、戻る方法も見つけたい。
しかしそのためにはこの世界の、この街のことについて知らなければいけない。
まずは街に降りて探索しよう。ミコに少量のお金を借りて礼を言うと、目が眩むような電灯の海へと潜っていった。

「太陽が昇らない世界。か…侯輝がいればどこだって真昼の様なのにな」
ミコに渡された簡易地図を頼りに見知らぬ世界を慎重に歩きながら俺は太陽を思わせる恋人の事を考えていた。どうにかして元の世界に戻る方法を見つけなければ、侯輝に会うことが出来ない。二度と会えなくなるのは御免だ。それにきっと心配しているだろう。
俺は街の中心に向かって歩いていった。地図に従い大通りを行く。右も左も大きさこそ違えどビルはかりだった。街はどことなく元いた世界と似ていたが非なるもので溢れているように見えた。ビルの壁面はガラスとも鉄とも判別つきにくい物質で、一部が発光し単純に照明として機能していたりCGによる何らかの宣伝らしきものや広報らしき映像が流れていた。時折自動操縦と思われるドラム缶程の大きさのロボが清掃しており街並みは綺麗だったがどこか無機質で、まばらに行き交う人々は一見普通だが無表情であるかどこか疲れたような雰囲気が漂っていた。
するとやがて、ビル群の中にひときわ大きな建物が見えてきた。あれが恐らく、ミコの言っていた『ジグラット』と呼ばれる巨大企業本社ビルだろう。
近づくにつれてその大きさがよくわかる。高層ビル群の頂上付近を見上げながら歩いていると、ふとあることに気がついた。それは、ビルの側面についている看板やネオンサインの文字だ。
こちらの世界の言語らしき文字と混じって『Welcome to Eclipse!』『未来都市エクリプス』『1 km nach Zikkurat』などと書かれているのだ。異世界にも拘わらず母国語を初め見知った言語で、当たり前のようにそこに書かれているのだ。
この世界に迷い込んだ人の前例はあると言っていたが、異世界人は歓迎されているのだろうか?元の世界に戻る手段を探すのが長丁場になるのなら、衣食住の確保もしなければならないのだ。本当に歓迎されているのだとしたらありがたい話だが……。
ミコによると異世界人がこの街で働くとすれば、飲食店、もしくはエクリプス社に連なる工場勤務などとなるらしい。考古学で食っていた身としてはその知識が全く役に立たない所が苦しい限りである。

俺は、細道を進み繁華街にあるとあるバーの前まで来ていた。ミコから紹介された場所だ。
『アンダーバー』
シックな木製のドアには金色の文字でそう書かれていた。窓から覗く店内は少し薄暗く、薄暗い中にぼんやりと光るオレンジの照明が幻想的だった。無機質な中心街に比べるといくらか心が落ち着いた。
意を決して中に入ると、カランコロンと来客を告げるベルが鳴った。薄暗い店の中には客はおらず、カウンターの奥に女…?が一人いるだけだ。大柄だが黒いショートボブが美しい美人だ。
「いらっしゃい、あなたもしかして……」
開店準備中だったらしい女はこちらに気付くとグラスを磨きながらにこやかに声をかけてきた。
「ええと、こんにちは、ミコに紹介されて伺ったのですが……」
「ミコの。聞いているわ。ふふ、ここ初めて来る人は緊張するわね」
少し緊張していたのが見抜かれていたのか女は苦笑するとカウンター席を指差した。「座って」と言われ、言われるままに腰掛ける。
「異世界から来た人だね?私はトキコ」
トキコと名乗ったその女?はそう言うと水の入ったコップを差し出してきた。礼を言って受け取り一口飲む。爽やかなレモンの香りが口の中に広がった。
「……美味しいです」
少しだけ緊張が解れ素直にそう言うと、トキコはにこりと笑い俺をよく観察するように眺めた。まるで何かを値踏みしているような視線だった。その視線に気付き思わず姿勢を正す。
「あなた綺麗な線をしているわね、仕事は何をしてたの?」
「大学で考古学を教えていました」
「コウコガク?は分からないけれど先生なのね。あなた、うちの店で働かない?」
どうやらこの世界に考古学という学術分野は無いらしい。想定していたがこれはつぶしが効かなさそうだと改めて認識する。そしてトキコの突然の提案に俺は驚いた。
「良いのですか?俺この世界のことも仕事の事も何も知らないのですが」
「じゃあ教えてあげるわよ。住む所も紹介してあげる」
そう言ってウインクをするトキコはとても魅力的に見えた。
この世界で生き残り元の世界に戻る為には情報が必要だ。見ず知らずの人間にありがたすぎる話ではあるが、果たして信用しても良いものか悩むところだ。しかし、紹介してくれたミコの事は信用していいかもしれない、何より他に当てもない以上受けるしかない。
「分かりました。よろしくお願いします」
そうして俺は『アンダーバー』で働くことになった。

翌日から早速働くことになり、ミコに伝えるとミコは心から喜んでくれた様だった。本当にいい娘だと思う。バーテンダーの制服を受け取ると更衣室に向かった。着てみるとサイズはぴったりでとても動きやすかった。着替え終わると店の清掃や備品の確認など、開店準備を覚えた。コツコツとした仕事は苦ではなく丁寧だと褒められた。だが接客はというと、壇上で講義しているのとは勝手が違いあまり器用とは言えない俺は苦戦した。その辺りはトキコに見抜かれていたのか基本補助として立ち回る事になった。与えられた住居は歓楽街近くの居住区の単身用アパートメントで最低限の家電も揃っており前借りした給料で必要な物も揃えれば一人で住むには申し分無かった。

「天理さん制服凄く似合いますね!」
数日後、ミコがバイト帰りにわざわざ陣中見舞いに来てくれた。優しいミコの笑顔は心が落ち着く。
「ありがとう世話になった」
「何かあったらいつでも相談に乗りますね!」
ミコはそう言って手を振って家へと帰っていった。彼女は生活が苦しいながらも俺を助けようとしてくれていた。感謝しかない。落ち着いたら何か返したいところだ。
それからしばらくは忙しい日々が続いた。慣れぬ接客業にトキコにフォローして貰いながら必死に働いた。アンダーバーの雰囲気は落ち着いており、常連客もトキコとの穏やかな会話を楽しんだり一人で静かに酒を嗜むといった様子で、ひたすら会話しなければならないという訳でもなく一安心といった所であった。また、トキコから教わったカクテル作りは向いていたらしく上達すると、楽しくて褒められるまでになった。トキコが会話好きな客や難しい相談客はは引き受けてくれているのが大きかったが、真摯に傾聴し丁寧に対応する事を心がけていると常連客と少しずつ親しく会話できる様になった。こういうのは侯輝が得意なんだがなと恋人を思い出し、元の世界に戻る情報を得る為に日々励んだ。仕事柄昼夜がほぼ逆転した様な生活だったが太陽が昇らずイマイチ時間感覚が掴みづらいこの世界では逆転しているという感覚はあまりなかった。
トキコはどうやら歓楽街でも顔役と言っていいようで、住人からは一目置かれる存在らしい。この街、見た目高度に発達しているのだが意外や無線での通信網が発達しておらず遠距離での連絡は一部整備された区域での有線網か未だ人力らしい。そのせいか、店内では様々な情報が積極的に飛び交う。ギャング団同士の抗争の話、数年前の開発事故の話、連続殺人鬼、最近またこの辺に異世界人来た話……まあ俺の事だ。など。時折この街を実質支配しているらしいエクリプス社の重役も顔を出している様だった。しかし、元の世界に戻る前例は無いとミコにも言われていた様にその情報は未だ得られていなかった。

「大丈夫かい?天理」
この世界に来て約2ヶ月過ぎた。仕事終わり、仕事の片付けをしているとトキコに話しかけられてハッと顔を上げる。好きでやっていた考古学研究ができないのもあるが、何よりこのまま侯輝に一生会えないのかと思い、ため息を出してしまっていたらしい。トキコが心配そうにこちらを見てくる。
「すみません、仕事中に。大丈夫です」
「そう?ならいいけど。最近元気ないから心配になっちゃって。ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてますよ」
本当は食欲が以前より減っているのだが、そんな事を言うわけにはいかないだろう。少し考えこんだ後、トキコはポンと手を打った。
「そうだ、今日は用があって無理だけど明日うちに泊まりに来なさい。私がご馳走してあげるから」
「え、いやそんなの悪いですよ」
「遠慮しないでいいのよ、私は別に構わないから」
そんなやりとりをしているうちに閉店の時間になり、店を閉めて帰る事になった。帰り道、ふと空を見上げる。明け方だというのにビルの電装が煌めく向こう側に、星の代わりに時折光る雷と真っ暗な空が俺の心の中の様にのっぺりと広がっていた。それは、異世界に来たという実感を改めて感じさせるものだった。この空の向こうにいる侯輝に早く会いたい、そう思った。
[newpage]
翌日。出勤前の夕方、アパートからアンダーバーへと歩いていると突如目の前を紅く濡れた彫刻刀がかすめた。
「……は?」
現実味の無い光景に慌てて振り向き無体を働いてきモノを確認する。その男の姿は全身血と絵の具に汚れたスモッグで手には先ほど掠めた彫刻刀が握られていた。もしやこいつは噂になっていた殺人鬼?慌てて逃げようとしたが、腕を掴まれてしまった!
「見つけた……僕の芸術……」
「なっ?にっ?……は、離せ!」
殺人鬼は常軌を逸したうっとりとした目でこちらを見つめ裏路地へと引きずり込もうとしている。人は想定外の事が発生すると硬直してしまうものらしい。と今思い出しても何の役にも立たない知識を頭の隅に思い出しつつ振り払おうとするが震えて力が入らない。見たところそこまで体躯の良い相手には見えたかったがろくに抵抗ができないのだ。嫌だ!どことも分からない世界に飛ばされて侯輝にも会えずこんなところで死ぬなんて!
侯輝!!そう思った瞬間、殺人鬼が派手に吹っ飛ばされた。
「俺の天理に何してんの!!」
聞き覚えのある声と共に殺人鬼を蹴り飛ばした金髪の偉丈夫は、少し汚れてはいたが侯輝がアウトドアでよく着ていた派手なロゴシャツにお気に入りの赤い差し色の入った黒のパーカーと揃いのパンツ、ハイキングシューズ姿で紛れもなく会いたかった恋人の姿だった。
「侯……輝……?」
「天理、やっと見つけた!怪我はない?」
へたりこむ俺に侯輝は俺がよく知るその太陽の様な笑顔で微笑みかけてくる。俺は安心感からか堪えようとしても涙が溢れてきた。
「良かった……もう二度とお前に会えないかと……っ……」
「天理っ……無事で良かった……」
思わず抱きついてしまう。その温もり、におい、抱き締めて返してくれる力強さ、まごう事なき本物の侯輝だ。そして優しく俺の身を案じてくれる。
「ごめんね、もう大丈夫だからね。……ちょっと痩せた?」
俺が不甲斐ないだけでお前が謝る事なんて無いのに。騒ぎを聞き付けたのか近所の住人達が集まって来ると殺人鬼はいつの間にかいなくなっていた。

ようやく落ち着いた俺は、出勤途中だった事を思い出すとそのまま着いていくと言う侯輝を連れてアンダーバーへと向かった。道中侯輝はこの世界に来た経緯を話してくれた。俺が元の世界で行方不明になって以降、俺のスマホの行動記録を追って気づけばこの世界までたどり着いたのだという。プライベートに頓着しないというよりズボラな俺が行動履歴閲覧許可をしていたのが功を奏した様だ。だがこの世界に出てきたのは俺とは異なり治安があまりよろしくない街の公園で、そこからは俺の足跡が辿れず苦労したらしい。一見煌びやかな中心街と比べると裏路地などは退廃的な雰囲気が漂っており食料は支給されるさそうだが豊かな生活とは程遠い様だ。そして様々な人達と接触しながら俺の事を探していてくれていて、これから情報屋のトキコを訪ねる所で襲われている俺を見つける事ができたのだとか。
「そうか……心配かけてすまん、侯輝」
「ううん、天理こそ大変だったよね……。それにしても天理がバーテンのお仕事か~見てみたいな」
「似合わないって言うんだろ……」
接客向きじゃない事は自覚している。だが侯輝は首を傾げつつ俺を見るとクスりと微笑んだ。
「そうでもないんじゃないかな。天理お話は得意じゃないかもしれないけど、なんでも真摯に向き合ってくれるからきっとお客さんの心を掴んじゃうんじゃないかな?天然タラシだし」
「そうか?」
「無自覚なんだよねぇ……人の心を掴むのは俺だけにして欲しいのに」
「?」
タラした覚えなど無いのだが。呆れた顔をされ、そうこう話している内にアンダーバーにたどり着いた。

いつもの様に開店準備を進めていたトキコが横に並ぶ侯輝と俺を交互に見るとニヤリと笑みを浮かべた。
「なんだい天理、うちには同伴システムはないよ」
「ち、違いますよ!こいつはっ、ええと……」
顔が赤くなるのを自覚しながら否定していると、侯輝は逞しい胸をはり太陽の様な笑顔を燦然と輝かせながらトキコに挨拶を始めた。
「こんにちは!天理がお世話になってます!俺は侯輝、天理と同じ異世界から来ました!天理の恋人です!俺も雇ってください!接客と格闘技が得意です!」
「なっ、ちょっお前っ」
怒涛の挨拶に続き物怖じせぬ要求に俺が慌てていると、トキコは一瞬ぽかんとしたのち腹を抱えて笑い出した。
「あはははっ!あんた面白いねぇ!気に入った!採用しようじゃないか!」
「はい!よろしくお願いします!!」
やはり侯輝は好かれやすいなと感心しつつも俺に続いて世話になってしまう事に恐縮せざるを得なかった。
「ありがとうございます。トキコ、助かりました」
俺の言葉にトキコは一瞬きょとんとした表情をしたがすぐにまた豪快に笑った。
「いいんだよ、これも私の仕事だしね。いい連れじゃないか。それにあんたの事は気に入ってるんだ。元気そうな顔になって良かったよ」
気にかけて貰えた事、そして俺たちの関係を聞いて二人で住めそうなアパートの手配までしてくれるというトキコに恐縮しきる俺の横で、侯輝は元気良く礼を言いやはりニコニコしていた。
「じゃあ、私は少し出てくるけど準備頼むよ天理。開店には戻るけど侯輝に仕事の教えてやっときな」
そう言うとトキコは部屋を後にした。

「いい人だねトキコさん」
「ああ、本当に世話になりっぱなしだ」
さてトキコへの恩義に報いる為にも仕事を頑張らねばと意気込み、早速侯輝に仕事の準備を進めようとすると、侯輝がちょっと待ってと引き留めた。なんだ?と振り返るとぎゅっと抱き締められた。
「侯輝……仕事……」
「ちょっとだけ。やっぱり痩せたね天理。ご飯食べれてなかったの?」
「いや、まあ、うん。あんまり食欲なくてな、でも大丈夫だ……お前が来てくれたしな」
侯輝の背に手を回し嬉しさの気持ちを込めて抱き締め返す。温かい。生きている、ここにいる、それだけでこんなにも幸せだ。たとえ元の世界に戻れなくてもこの愛する温もりがあれば大丈夫だと思える程に。
「天理。愛してる。もう離さないからね。ずっと一緒だよ」
「ん……俺もだ。ずっと側にいてくれ……」
そしてどちらからともなく約2ヶ月ぶりとなるキスをしようとした瞬間ドアが開くと出掛けたと思っていたトキコが戻ってきた。
「言い忘れたけどあんた達、恋愛は自由だけど仕事中いちゃつくんじゃないよ」
「……っ!?」
「はーい」
驚きと恥ずかしさのあまり固まっている俺と平然と返事をする侯輝を見て、トキコはニヤッと笑うと再び外へ出ていった。
それから俺たちは開店準備を始めた。侯輝に控えにあるシャワーを浴びさせ、バーテンの制服は体躯の良い侯輝用のサイズも丁度あったので着させ、髪を整えると恋人の贔屓目を差し引いても惚れ惚れする姿で自然と笑みがこぼれてしまう。
「よし、凄く似合ってるぞ」
「えへへ、ありがと!天理も着るんだよね?早く着てみせて!」
素直に笑う侯輝に急かされ俺も着替えを完了させる。侯輝に比べると細身だし、侯輝にも指摘された通り少し痩せたのでややダブついてしまう服をベルトで調節する。
「ほら、着たぞ?」
「うん、すごく素敵だよ!お客さんに言い寄られてないか心配だけど」
「ははは、それはないよ。ありがとな」
ニコニコと大袈裟までに褒めてくれる侯輝に照れつつ微笑むと侯輝は俺の腰に手を回して抱き寄せ、そのままキスをした。本音を言うと凄く嬉しいが慌てて押し返す。
「んっ、こら、仕事中はやめろって」
「ごめんごめん、天理が可愛くてつい」
「ったく、ほら、準備進めるぞ」
「はぁい」
そうして俺達は開店準備を再開した。
トキコが戻ってくるまでの間、俺は侯輝にバーテンダーとしての仕事を一通り教えた。開店間際にトキコが帰ってくると、制服に身を包む侯輝を見て納得する様に頷くと、ニカッと笑い「それ私が昔着てたやつなんだけど、よく似合うじゃないか」と誉めてくれた。侯輝は元気良く礼を言うと早速カウンターに入っていった。そういえばトキコも体格が良い。俺はただでさえ色白のせいで貧弱に見られがちなのに痩せたせいで二人に挟まると棒か何かに見られないだろうか。侯輝にも心配されてるし早く肉付けないと。そう決意しつつアンダーバーの開店時間になり、客が入ってきた。

いつも通りトキコがメインで接客しつつ、俺と侯輝はオーダーを取って酒や料理を運ぶ。侯輝は予想通りこの仕事に向いており新人にも拘わらずあっという間にこの店の雰囲気を掴み、タイプの違う客に的確に対応していく様は横目で見ていて気持ちが良いものだった。俺はトキコにフォローして貰ってやっと慣れてきた所だったというのに。
俺はやっと馴染みとなったカウンターで静かに飲むタイプの老紳士サジェと穏やかな会話を交わしながら、時折侯輝の仕事ぶりを横目で観察していた。
「向日葵の様な子が入ってきたねぇ」
「そうですね。素直で良い奴ですよ。見てるだけでも元気が出ますし」
遠くの侯輝をチラリと見ながらそう言うとサジェと近くにいたトキコが揃ってふふっと小さく笑った。何かおかしな事を言っただろうか?
「そうみたいだねぇ」
「僕は白百合の様なタイプの子が好みなんだけど元気になって良かったよ」
揃って俺を微笑ましいものを見るように言うので自分の事を言われたのだと気付き恥ずかしくなり俯いてしまう。
「申し訳ありません、お客様にまでご心配おかけしてしまって……」
「いやいや、いいんだよ気にしないで」
しっかりせねば。後でトキコにも礼を言わないとなと思いつつ、サジェに礼を言っているといつの間にか侯輝が近づいて来ていた。一見自然な振る舞いだったがどことなく不安そうな表情をしている。何かあったのだろうか。だがなぜかトキコが吹き出しそうな顔をしていた。
「お話中すみません、天理、チェリーブロッサムのレシピもう一回教えてくれる?」
「?……あぁ、ちょっと待ってろ」
それならさっき完璧に覚えてたと思ったんだが、まあ初回だし確認は大事だよなと頷いているとサジェは「ふふふ、今日は楽しかった。また来るよ」と丁度お帰りになられたので先に見送る。
カウンターに戻り侯輝にカクテルの作り方を再レクチャーしていると侯輝は少し大袈裟なまでに凄いと程よく楽しそうに囃し立て、先ほど少し落ち込んでいた俺のテンションを立ち直させると、近くのお客さんを巻き込みついでに楽しませるという俺には到底真似できない芸当をやってのけた。俺は侯輝にカクテルの作り方を教えてやっていただけなのだが、その様子を見ていた他の客が俺に次々とカクテルを頼むという謎の現象が起きてしまったのだった。
アンダーバーは比較的大人しめな客が多い。なんでも俺の創作で作っていたカクテルに以前から興味があったが、今まで俺が沢山相手をできていなかったので遠慮していたのだとか。またしても己の未熟っぷりを痛感した俺はもっと精進しようと心に決めた。
そんな調子で慌ただしく時間は過ぎていく。いつもより忙しかったが清々しい汗をかいていた。

閉店準備を済ませ俺達が着替え終わるとトキコが店を閉める。
「さて、あんた達お疲れ様。侯輝、いい働きっぷりだったよ。これからも頼むね。さて、お腹空いてるでしょ?天理、約束通りご馳走してあげるからたらふく食べなさい。侯輝も食べてくわよね」
「やった!ご馳走になります!」
「すみません、侯輝まで。ありがとうございます」
また侯輝が遠慮無く答え俺が恐縮するパターンになり、トキコは笑って頷いた。
トキコに導かれ俺達はトキコの自宅へと歩いて行った。

トキコの館は近未来を絵に描いた様な街中にあっては珍しい石造の屋敷だった。外壁は独特な模様が施され俺はやっと異文化に触れられた気がしていた。館に入ると、既にテーブルには沢山の料理が並んでいて驚いた。歓楽街のボスとも言われているトキコの謎は多い。料理はどれも美味しそうだ。侯輝が目を輝かせ俺も席に着くとトキコと共に料理を頂く事にした。モリモリ食べる侯輝の横で、食が細くなっていた俺でも食べられそうな物を少しずつ頂く。最近すっかり食べられないと思っていたがなんだか食欲が戻った気がする。久しぶりに美味しいと感じるのはやっぱり侯輝と再会できたからだろうか。食べながらトキコは侯輝がこの世界に来た経緯を聞きまた豪快に笑っていた。
「私も何人か異世界から来た人間の話は聞いたけど行方不明の恋人追っかけてたら来れたってのははじめて聞いたよ」
「愛の力は偉大だって事だよね!」
侯輝は相変わらず楽天的に振る舞うが実際簡単な話だったとは思えず、運にせよ実力にせよ成し遂げてしまうのがこいつの凄いところで……好きなんだが。改めて経緯を聞いていたら恥ずかしくなったので話題を変える事にする。姿勢を正しトキコに向き直る。
「一応、元の世界に戻る手懸かりを探すのは続けようと思ってはいますが、戻れたとしても先にトキコからの恩義は返したいと思っています。仕事は引き続き誠心誠意勤めますし、俺に何かできる事が有れば言ってください」
「勿論俺も協力するよ!」
トキコに頭を下げると侯輝も同意してくれた。それを見たトキコが苦笑する。
「こっちは見返りなんて求めて無いんだけどね。真面目に働いてくれてるしそれで十分さ。……それじゃ一つ頼まれておいてくれるかい?心に留め置いてくれるだけでいいんだけど」
「はい、何でしょう」
「行方不明になっているミコの兄、キボリを探してほしいんだ」
「……え?ミコの?」
「ミコって……天理がこっちの世界に来たときに最初に世話してくれたって人?」
「ああ」
予想外のトキコの頼みごとに思わず聞き返す。トキコが説明するにはミコの兄、キボリは数年前までミコと一緒に暮らしていたがある日突然姿を消してしまい、以来ミコはずっと探しているのだと言う。穏やかで腕のいい彫刻師として有名だったらしく他の職人や仕事の関係者を当たってみたがなかなか見つからないらしい。ミコは気丈に振る舞っているがずっと兄の帰りを待ち続けている。だからせめて生死だけでも確認してほしいというのがトキコの願いだ。
ミコは時折アンダーバーに顔を出し明るく振る舞っているが、本当は寂しくて堪らないのだろうというのは俺にも想像はつく。情報屋のトキコですら掴んでいないキボリの足取りを掴むのは容易ではなさそうだが、ミコにも恩はあるし、ミコがキボリに会いたいと思っているなら力になってやりたいと思った。
「分かりました」
「俺も調べてみるよ!」
俺と侯輝の言葉に頷くとトキコは嬉しそうに微笑んだ。
「無理はしないでおくれ、あんた達はまだこっちに来て間もないのだからね」
その後、食事を終え俺達はアパートへと帰路につこうとすると家の前にタクシーが目の前に止まりトキコが一枚のカードを差し出してきた。カードには『ホテル・ザ・ハルマゲドン』と書かれている。
「これは……?」
「私の知り合いが経営するホテルだよ。侯輝は宿無しだって言うし、今日はまだ天理のアパートに二人で帰るだろう?あの安アパートじゃ壁が薄いだろうと思ってね。安心しな、男同士でもちゃんと理解ある所だよ」
「なっ……!!」
「えへへへ、ありがとー!トキコさん大好き♪」
「その台詞はベッドの上で天理に言ってやりな」
「そりゃあもう!」
トキコの言わんとしている事を理解し顔が真っ赤になるのを自覚する。約2ヶ月ぶりの侯輝との会瀬、侯輝と離れている間一人で寂しく侯輝を思い出しながら自分を慰めていたことを思い出してしまい恥ずかしさが込み上げてくる。そんな俺の様子を見た侯輝は顔をだらしなく緩めながら俺を見つめてきた。
「……なんだよ……」
「会えない間一杯想像してたけどさ、本物の天理が一番可愛いなって」
「ば、ばかっ……!も、行くぞ……!」
俺は恥ずかしさを誤魔化すように足早に歩き出すと後ろから嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。
そんなやり取りをしつつトキコに別れを告げると、俺たちはタクシーに乗り込んでホテルに向かった。
[newpage]
「こ、これは……トキコいくらの部屋とったんだ……」
「わぁ~凄い豪華だね~元の世界でもこんなとこ来たこと無いのに」
俺たちが案内された部屋は所謂スイートルームと呼ばれる部屋だった。大丈夫か?異世界人の臓器は高く売れるとかだったらどうしようとか呟いていたら侯輝に大丈夫だよおとカラカラと笑われた。強心臓め。
「じゃあ早速お風呂入ろうか?」
「わっ」
そう言って俺をひょいと抱き上げる侯輝。そのまま浴室に連れていかれ服を脱がされる。あっという間に裸になった俺を見て侯輝の喉がごくりと鳴った気がした。お前は変わらず……というかむしろこっちの世界来て更に逞しくなってすら見えるのに少し痩せてしまった自分が恥ずかしい。でもそんな俺にさえ欲情してくれるお前が嬉しくて堪らないんだ。

「んっ……ぅむぅ……ぷはっ……は……は……」
「えへへ可愛い、天理。積極的で嬉しいな。……寂しかった?」
シャワーを浴び終えるとふかふかのキングベッドに押し倒され激しく口付けられる。舌が絡み合い唾液が口の端から零れていく。その間も胸を弄られ続け、乳首がぴんっと立ってしまっていた。
久々のキスに夢中になり、その間も互いの体をまさぐり合う。一人で慰める事はできたってこの感触と温もりは味わえない。だから余計に求めるのを止められなかった。
「……寂し、かった……んっ……」
素直にそう告げると更に深く口付けられた。ちゅっちゅと音を立てて舌を吸われ甘噛みされると甘い痺れが走る。それと同時に下腹部にも熱が溜まっていくのが分かった。
「俺も、だよ天理。身が引き裂かれるかと思ってた」
寂しそうな瞳で熱く告げられる。同じ想いでいてくれた事が嬉しい。侯輝はそう言うと今度は俺の胸の突起を口に含む。舌で転がされ軽く歯を立てられると思わず高い声が漏れてしまう。それに気を良くしたのかもう片方も同じように愛撫してきた。久々に上げる声が恥ずかしくて堪らず手で口元を覆うがすぐに外されてしまった。
「可愛い声、聞かせて?天理」
「ぅぅっ、恥ずかし、って、ぁっ」
「お願い、天理の甘い声、聞いてるだけで気持ちいいから」
耳元で囁かれて背筋がぞくぞくとする。俺だってお前の興奮したかすれ声も男らしい喘ぎ声も大好きだ。
侯輝の手が欲をもって体をまさぐるだけで俺の体中にびりびりと甘い痺れが走る。俺の中の恥ずかしくてどうしようもない思いよりお前に悦んで欲しいという想いが膨らんいくと、徐々に口からは甘ったるい喘ぎが漏れ出していた。
「ぁ、あっ♡ゃ、んぅ、ひぅっ」
「天理、可愛い、もっと、聞きたい、ねぇ、天理、好き、大好き♡愛してるよ、天理」
侯輝は俺の首筋や鎖骨に跡を残す様に吸い付きながら合間に何度も好きだと囁いてくる。手は敏感な箇所をまさぐり続け、その度に俺の体は喜びに打ち震える。ああ、本当に、なんて幸せなんだろう。
「っ、おれも、すき、だ、あいしてる、っ、んんっ!」
俺がそう言うと、また口付けをされた。俺の体を確かめる様に手は内腿を撫でたり、弱い脇腹をさすったりしてくる。その度にびくびく震えてしまうのを止められない。体がその震えで好きだ好きだと伝えているように思えて、羞恥でますます熱くなっていく。
「あ♡や、そこ、やっ」
「ここも触られるの好きでしょ?ほら、もうこんなに勃ってる」
侯輝の指が既に勃ち上がっていた俺のものに触れる。それだけで達してしまいそうになるくらい気持ちよくて、つい腰を揺らしてしまった。それを見てくすりと笑うと侯輝は俺のものをぱくりと口に含んだ。熱い口内に包まれて舌先で先端をつつかれるとたまらなくて腰が浮いてしまう。
「や、だめ、だ、こう、き、ぁっ、あっ♡」
「ひもちひい?」
「ばっ、そこで、しゃべ、んな、ぁあ♡っ」
じゅぽじゅぽと音を立てながら口で扱かれ、裏筋を舐めあげられると限界がすぐに訪れそうになり俺は慌てて侯輝の頭を抑えようとする。違うそうじゃない俺が欲しいのは……。
「い、やだっ、そこ、や、ちがっ、」
「ふぇ?」
侯輝の口から解放された途端、違うと思っていても物足りなさを感じてしまい、自分でも何を言っているのか分からなくなる。侯輝はきょとんとした顔でこちらを見つめている。
「うし、うしろっ、さわって、くれ」
「ぇ」
「は、はやく、おまえのが、ほしい、」
「……!!」
恥ずかしくて堪らなく思いつつも自ら股を開き後孔を晒す。俺の言葉と行動に侯輝は目を見開き、顔を真っ赤に染め上げた。そしてベッドサイドに置いてあったローションをガッと掴み取り、一旦深呼吸して手に取り温めてから俺の後孔に指をそっと入れる。久しぶりの異物感に息が詰まるが、それも一瞬のことで、直ぐに快感へと変わっていった。
「ぁああ♡んんっ、ふっ、ん♡」
「可愛い、天理、可愛いよ、天理」
ぐちゅぐちゅと中を掻き回される度に前立腺に当たり、電流の様な痺れが走る。自分で弄るのとは全然違う。気持ち良すぎておかしくなりそうだ。もっと奥に欲しくて頭のどこかであさましく思いつつも腰を浮かせるとそれに応えるように指を増やされた。バラバラと動かされ拡げられて行く感覚でさえ気持ちがいい。俺の痴態に興奮し天を突かんばかりに雄々しくそびえ立っているお前の雄を受け入れられる準備が進んでいるかと思うと嬉しさが込み上げる程だ。
「は、は、もう、だい、じょぶ、だ。きてくれ……」
十分に解してくれた所で早く繋がりたい一心で両手を差し伸べる。すると侯輝はごくりと喉を鳴らし、俺の手を取り甲に口付けた。そんなキザな所も久しぶりで嬉しくて笑みを浮かべると微笑み返してくれた。そして俺を肩に捕まらせるとゆっくりと挿入される。指とは違う質量と熱さに息を詰めつつも何とか受け入れることが出来た。
「く、ふぅ、ん、んん、」
「は、ぁ、すご、きつい、ね、」
久々に受け入れたその雄を一旦慣らしている間、侯輝は眉を寄せて苦しげに息を吐く。その表情が色っぽくてどきりとした。俺を感じてくれていると思うと嬉しくて、無意識に中を締め付けてしまう。
「天理っ、そんなに、締めちゃ……」
「うれ、しいん、だ」
「え……?」
俺の言葉に侯輝が目を丸くする。俺は少し恥ずかしくなって目を少し伏せながら続けた。それまでの快楽と嬉しさで堪っていた涙が頬を伝う。
「おまえと、またつながれて、おまえが、おれできもちよくなってくれて、うれしいんだ」
だから我慢しないでくれ。恥じらいながらも微笑みそう告げると突然中のものが大きくなった気がした。驚いて視線を戻すとそこには瞳孔が開きギラギラとした目でこちらを見下ろす恋人の姿があった。
「もう、優しくできないからね?」
その瞳は紙一重の理性だけを残し情欲で満たされていて、まるで美しい獣のようだと思った。望むところだ。俺はお前になら壊されても本望なのだから。
「あ゛あっ!!!♡♡♡」
一度ギリギリまで引いた後、ずどんっと奥まで一気に貫かれた瞬間目の前に火花が飛び散り意識が飛びかけた。そう、あの瞳だ。俺が恋い焦がれたのは。普段の愛らしさすらあるキラキラとした瞳も好きだったが、野生に返り獲物を食い尽くそうとするかの様にギラギラとした瞳で見つめられると、恍惚とした気分になって全てを食いつくしてくれと身を差し出してしまいたくなるのだ。それはまるで獣同士の求愛のようでもあり、愛し合う者同士のそれでもあった。
「ああっ♡ああっ♡ふかっ♡ぃ♡あああっ♡」
待ち望んでいた快感に全身が歓喜するのが分かる。容赦なく最奥を突かれる度に目の前がチカチカして意識を失いそうになる程の快感に襲われた。それでもまだ足りないと言わんばかりに自分から足を絡めて引き寄せると更に深く繋がっていくのが分かった。それがとても幸せで思わず笑みが零れる。
「すき!天理!すき!だいすき♡!」
「おれも♡すきだっ♡あぃ♡してるっ♡」
嬌声と共に普段恥ずかしくてまともに言えない愛の言葉が止めどなく溢れる。どちらからともなく顔を寄せ合い貪る様に口付けを交わし、舌を絡め合いながらも腰の動きは止まらずむしろ激しさを増していった。その度に結合部からは卑猥な水音が響き渡り聴覚すらも犯されているような気分になる。
限界が近いのか、侯輝の表情が切羽詰まったものになってきたのを見て俺は彼の腰に脚を回してがっちりホールドし逃げられないように固定した。侯輝は刹那驚くもすぐに獣の様にニヤリと笑って更に激しく突き上げてきた。俺も限界が近い。
「あああっ♡♡侯っ♡侯っ♡侯っ♡侯っ♡侯ぉっ♡ああああっ…………♡♡♡」
「はぁ、はぁっ、天理っ、天理っ、天理っ♡天理っ♡天理っ♡!あ゛あああーっ!っ!!」
何度も何度も奥を穿たれ、愛する想いと嬌声の代わりに名を呼ぶ。頭が真っ白になった瞬間、獣の様な咆哮を聴きながら熱い飛沫を感じたと同時に俺もガクガクと体を震わせながら絶頂を迎えていた。ろくに力が入らないのに両手両足で侯輝を抱き捕え精を絞り取ろうとしてしまう己に頭の角で呆れていたが、侯輝もまるで孕めとばかりにぐいと腰を押し付け、絞り取ろうとする俺の後孔の収縮に逆らう事無く最奥に熱い精を注ぎ込み、お互い様かと頭の中で苦笑し、震えながら微笑んでいた。

「ぁ♡……ぁ♡……ん♡……」
後ろだけで絶頂迎えたその後は余韻が長い。ぎゅうっと抱き締めてくれているのは呼吸を整えるのには少し苦しいがそれだけでもまだびくびくと体が痙攣してしまう程に気持ちが良いのだから不思議だ。何より侯輝の離さないでいてくれる意思を強く感じて愛おしさに心が満たされ心地よい。
しばらくして少し落ち着くとずるりと抜かれ、零れ落ちる白濁の感覚がし寂しさを覚えたものの、すぐさま体を起こされたと思ったら膝の上に乗せられた。先ほど放ったばかりだというのに侯輝の雄はもう元気になっており、相変わらず元気だなと微笑していると嬉しそうに持ち上げられ今度は対面座位の姿勢で下から貫かれてしまった。自重によって先程よりも深いところまで入り込んでくる感覚に息が詰まる。先ほどまでの感覚がまだ残っていた俺にはそれだけでもまたイキそうになるが、寸で堪えた。
「あ゛っ……♡……っは、は、ふ、ふふっ……」
「……どうしたの?」
下から貫かれ息を詰まらせながらも下腹を擦りながら微笑する俺の様子に侯輝は不思議そうな顔をした。そんな様子が可愛くてまた笑ってしまう。
「異世界って言っても、元の世界と大差ないなって思ってたんだが、実はこうして子種沢山貰えてたら俺でも子供できる世界だったりしないかな?はは、なんてな」
腹に残る子種を慈しむ様に下腹を擦りながら冗談めかして笑う。馬鹿な事を言っている自覚はあった。でもお前の居ない異世界に飛ばされて、やっとお前と再会できて、改めてお前が居なくちゃダメなんだって思ってたら少しでも多くお前との繋がりが欲しいって思ってしまったんだ。冗談だから引かないでくれよな。すると侯輝はそんな俺を見てぽーっと顔を紅くしたかと思うと突然ぎゅっと抱き着いてきた。驚いて目を瞬かせていると耳元でぼそぼそと囁く。
「もし本当に子供ができるなら沢山欲しいな。俺達の子ならきっと可愛いから」
そう言って耳まで真っ赤にしながら照れ笑いをする姿に愛しさが込み上げてきて思わず強く抱きしめ返した。頬が熱くなるのを自覚する。嬉しい。幸せだ。このままずっと二人で過ごしていけたらいいのに。そう思いながらそっと唇を重ね合わせる。ゆるゆると腰を揺らしながらたっぷり味わってやがて名残惜しそうに離れると銀の糸を引いた。それをぺろりと舐め取る仕草が色っぽくてドキリとする。
「可愛い顔して……とんだ狼だよな」
「天理はそういう俺も好きだよね?」
悪態をつこうがニコリと笑って自信たっぷりに言い返してくるものだからヤケクソ気味に「たく……ああそうだよ!」と返せば照れた様に笑うのだからやっぱり愛おしくて仕方がないんだ。そんな魅力的なお前が俺を好きになってくれている事に俺がどれだけ幸せでいるか知っているか?侯輝。
「このままずっと繋がってたいな」
「俺も、そう思ってたところだよ」
この時間が永遠に続けば良いと思うくらいには侯輝の事を愛していたし、また同じ様に思ってくれている事が嬉しかった。叶わない話だとは分かっていたがそれでもこの一時だけはそうありたいと願った。俺達は離れていた時間を埋める様に深く深く愛し合った。
[newpage]
「おはよ♪天理♪」
目を覚ますと機嫌の良さそうな侯輝の声が聞こえる。いつもならとうに出勤時間は過ぎていた。久しぶりの深い眠りとその目覚めに羞恥心が沸く。スイートルームのふかふかなベッドは俺が力尽きるまでまで愛し合っていた俺達を優しく包み込んでくれていた。相変わらずこの世界には太陽は昇らない。だが俺にとっての太陽と再会した俺は、目が覚めるとその太陽の様なニコニコの笑顔に起こされ、この世界に太陽が登ったとさえ思えた。
「ふぁ……おはよう、侯輝」
どうにも盛り上がり過ぎたせいか昨晩を思い出し照れてしまって上手く挨拶出来ず、余裕などどこにもない自分が恨めしい。しかし侯輝は全く気にしていないどころか寧ろご機嫌といった様子で「えへへ♡」と俺にキスしてきたり抱き締めてきたりしてくるものだから余計に照れてしまう。でも幸せだった。この異世界で生きていく為に考えなきゃならない事は沢山ある。だがまだ最愛の恋人と再会してやっと1日経ったくらいなのだ、もう少しこの幸せを享受していたいと、しばしイチャイチャと睦合っていた。

折角のスイートルームだと食事のためルームサービスを呼ぶ事にした。トキコに感謝しつつ使わせてもらおう。メニューを見ると高級料理はさっぱりなので無難そうなものを頼もうとしたら侯輝が躊躇なく「おすすめの一番美味しいのください!」と注文してしまい、俺は呆れつつも興味を引かれたので止めなかった。俺は心の中でトキコに謝罪した。
待つ間シャワーを浴び身支度をする。昨夜脱いだ物は俺達が寝こけている間にクリーニングされて届けられていた。俺は久しぶりに自分のパンツに折り目が付いているのを見て感心し、侯輝はお気に入りのパーカーが綺麗になって帰ってきていたのでご機嫌になっていた。
「そういえば天理、この世界の文字もう読めるんだね。トキコさんに教えて貰ったの?」
「ん?まあそれもあるけど、基本は街の看板だな。ほら、この世界の街そこかしこに俺達の世界の言葉で書いてあるだろ?こっちの世界の言葉と併記されてて。それ片っ端から覚えた。あとはパターン推測。古代文字の解読気分で推理して合ってると楽しかったぞお」
文字があるこの世界の文明と先に来た同郷人に感謝しつつ、考古学で発掘された遺物を解読する気分で読めない文字を覚えるのはなかなか楽しかったなと思い起こしながら説明すると、侯輝に呆れた様な顔をされた。
「わぁ久しぶりに天理の活字中毒っぷりを浴びせられたよー」
「む、なんだよ貧弱な俺じゃ迂闊に遊びに行けないから文字覚えるしかする事無いだろ?覚えたら調べ物もできるし。危険って書いてありゃ回避できるの俺には重要なんだぞ。トキコに店の帳簿付けもできると助かると言われたしだな……」
必死になってその有用性を説いていたら今度はクスクス笑ってくる始末だ。解せぬ。
「ごめんね、俺まだほとんど読めないし天理らしくて凄いなって。裏路地だと読めない子もいるんだよね」
「そうか……この街私塾はあるらしいが義務教育らしい制度は無さそうだし技術は発達はしてるが政治的には貧弱だよな。チグハグというか。まあお前はこっちに出てきた場所が良くなかったみたいだし、生活だけで一杯一杯だったんだろ?でもこれからは俺が教えてやれるから頭のいいお前ならすぐ覚えられるぞ」
「うん!天理先生が手取り足取り教えてくれるならすぐ覚えられそうだね♡」
せっかくのイケメンをだらしなくしたその笑顔は俺が大学講師だと知って一度せがまれてヤったプレイを思い出すに充分だった。
「……やらないからな。教師と生徒プレイは」
「えー!天理先生のいけずー」
「……早く覚えたら考えてやる」
「やったー!じゃあ頑張るね!ご褒美♪ご褒美♪」
侯輝がこの世界に出てきたという公園は物騒なストリートギャングの巣窟で、抗争に巻き込まれた子供を助けていたらギャングの団長アカツキと知り合い意気投合、その場でスカウトされたらしい。団に入るのは遠慮したがそのツテで俺を探し、寝床を確保していたとか。俺には到底無理な話である。侯輝もそう思っていた為、俺がこの世界で大変な目に合っていないか気が気ではなかったらしい。俺はと言えば来てすぐ心優しいミコに助けられ、そのツテで歓楽街のボスたるトキコに拾われ、アンダーバーで働き知らず知らずの内にトキコの庇護下に入っていた為面倒な輩にちょっかいを出されずに済んでいた……という事実に気づいたのはバーテンとして働いてしばらくたってからであった。俺は運が良かっただけなのである。
「二人揃えば怖いもの無しだよね!これから一緒にがんばろ!」
「お、おう。頑張るからな」
正直昨日襲われた事の様な事がまたあると思うと怖くて仕方がないが侯輝が隣にいれば大丈夫と思えるので不思議だ。ただ単に体力的に秀でているだけでなく、こいつには人を勇気づけるオーラみたいなものがある。俺が惚れた所の一つで、慣れぬこの世界でも精一杯の事をやろうと思えるだ。

程なくして食事が運ばれてきたので二人でテーブルに着いて食べ始める。流石は最高級ホテルのシェフが作っただけあり、とても美味しい。侯輝は目を輝かせながら夢中で食べていて、微笑ましい気持ちになった。二人きりの食事も久しぶりだ。やっぱり侯輝との食事は楽しくて食欲が進む。ただでさえ肉が付きにくいのだ、しっかり食べて侯輝を安心させねば。
食事をしつつ、これからどうするかを話し合う。住み処や就職先についてはトキコのお陰で確保できた。俺はまだ元の世界に戻る事を諦めたくない。元の世界に戻れた前例は無いと聞かされてはいたが、俺は好きでやっていた考古学の研究を諦めきれてはいなかった。尚、侯輝は俺さえいればどこでもいいよとの主張でその気持ちが嬉しかった。当面はアンダーバーで働きつつキボリを探しながらついでに元の世界に戻る手段を探すという事になった。ただ俺もこちらの世界にも興味の引かれる事くらいあるだろうと思い始めている。結局俺も侯輝さえいればどこでもいいのだ。
[newpage]
そのままのんびりしても良かったのだが人探しなどすぐに見つかるものでなし、とっかかりは早い方が良いだろう。侯輝にも積極的に同意して貰えたので早速キボリ探しを取り掛かることにする。キボリの外見的特徴は伝えられたが写真などないかミコを訪ねる事にした。俺達はご飯代わりになりそうなグルメな土産を買ってホテルをチェックアウトすると、ミコが帰宅する夕刻まで街中を久々にデート気分で生活に必要な物を買い歩き、荷物を一旦アパートに置くとミコの住む丘の上に向かった。

ミコの家に着き呼び鈴を鳴らす。しばらくすると中からパタパタという足音が聞こえてきてドアが開くとミコは普段の苦労を思わせない明るい笑顔を見せた。
「天理さん!こんばんは!」
俺の隣に並ぶ見知らぬ侯輝にやや首を傾げつつも、挨拶してくれた。
「こんばんは、夜分すまないミコ、ええとこっちは……」
「こんばんは!俺は天理と同じ異世界から来た侯輝。天理の恋人なんだ!よろしくね」
「ま、まあ貴方も異界から……!?こちらこそよろしくお願い致します……」
ミコは侯輝の押し気味の挨拶とその内容に驚きつつも丁寧にお辞儀をする。その自己紹介に羞恥を覚え一瞬慌てたものの、性に関しては特殊な分類になるトキコの友人であるミコが同性同士の恋愛にも理解があり穏やかな気質である事助かっていた。どちらかというと侯輝が笑ってはいるがちょっと牽制しているような雰囲気で、また悪癖が出てるなと苦笑してしまう。侯輝の気持ちは嬉しいけど牽制しなくても俺の心はお前だけのものだぞって昨夜も鳴きながら伝えたつもりなんだが、恥ずかしくても素でも言わないとダメか?
「どうぞ、上がってください」
ミコに案内されて座敷に通される。持参した土産を渡しつつ座布団に腰掛けると、ミコがお茶を出してくれた。
二人で礼を言うとミコがホッとしたように微笑む。ミコを見ていると不思議と癒される。
「それで、今日はどうされたんですか?」
「トキコに頼まれてね、ミコの兄さん、キボリの行方を探すのに俺達も協力する事にしたんだ。写真があれば貸してほしい」
俺がそう言うとミコは驚いた顔をした後、申し訳なさそうに俯いてしまった。
「トキコさんが気にかけてくれているのは知っていたのですが…お二人にまでご迷惑をおかけしてすみません……」
「気にしないでくれ、二人に恩を返したかったんだ」
「俺も困ってる子は助けたいしね!」
するとミコは驚いたように目を丸くした後で少し微笑んだ。

「これが私の兄キボリです」
ミコ書棚から写真を取り出し見せてくれた。そこには生真面目そうな青年が一心に木彫りの彫刻を作っている姿が映っていた。座敷にもいくつか飾られていた作品はキボリのものだった様だ。
だがこの顔どこかで見た様な。つい、先日。
「…………!」
「職人さんって感じだね」
「はい、彫刻師をしています。兄は……とても真面目で優しい人なんです。私が小さい時からいつも側にいて面倒を見てくれて……両親が亡くなってからも私のために頑張ってくれていました。そんな兄が何の連絡もなく行方知らずになってもう五年以上経つんです……殺人鬼の噂もありますし事件に巻き込まれたんじゃないかと心配で……」
そう言って不安そうに目を伏せてしまう。やはり相当心労が溜まっているのだろう。なんとか力になりたいが……。俺は写真を見て嫌な想像をしていた。
「そう……か……」
「……俺達も早く見つかる様に協力するね」
侯輝の言葉に彼女は力なく微笑み頷くだけだった。それからしばらくキボリの思い出話を聞いたり励ます様に近況話などを話した後、写真を預かり俺達は帰路につく事にした。別れ際、ミコは笑顔で手を振って見送ってくれた。その笑顔はどこか無理をしているようで痛々しく健気な姿に心が痛んだ。

「この写真でしらみ潰しに探すしかないのかな?」
「ああ、そうだな……」
夜もふけてきた。治安の悪いこの街で俺が出歩くのははじめてだった。侯輝と一緒なら安心できる……のだがそれより今は悪い想像で頭がいっぱいだった。
「歓楽街はトキコさんが調べ尽くしてるだろうし後は公園とかかな?俺、アカツキに相談してみるね」
「ああ、頼む……」
「大丈夫?天理。もしかして写真の人知ってる人だった?」
ハッとして顔を上げる。少し考え込んでしまっていた俺を侯輝が心配そうに覗き込んでいた。
「あ、ああ、すまん、その、昨日俺が襲われた殺人鬼がな。コレにそっくりだったんだよ……」
「えっ!」
キボリが映る写真を見、俺は先日の事を思い出していた。俺を襲った殺人鬼の顔を歪め狂気に満ちた瞳を忘れる事など出来ないだろう。表情こそ別人と言ってもいい程変わり果てていたが間違いなくキボリだった。俺を掠めた彫刻刀は得物としてはあまりにも独特過ぎて、もう偶然の一致とは到底思えなかった。
「あの殺人鬼が?!……そういえば背格好近かった……!」
侯輝は俺を助ける為に殺人鬼に走り込んで蹴り飛ばした後、俺しかほぼ見てなかったから顔は覚えていないのだろう。だが本当にキボリなのか?もし仮にあれがそうだとしたら何故殺人鬼になっているんだ?そして、どうして俺に襲いかかったのか?疑問ばかりが浮かぶが答えは出ない。
「そういえば……殺人鬼に『見つけた。僕の芸術』?とか言われてたんだがどういう意味なんだろな……」
「はぁ?!誰の芸術なの!!ちょっと見る目あるんじゃない。あいつ、あん時取っ捕まえとけば良かった!」
何か手がかりになるだろうかと思い出した殺人鬼の言葉に同担拒否とばかりに憤慨する侯輝をなんとか宥める。俺を心配してくれる気持ちは嬉しいが落ち着いてくれ。
しかし、もう思い返せば思い返すほど殺人鬼=キボリとしか思えない状況に頭を抱えたくなってきた。ミコに何て言えばいいんだ。
「と、とにかく、そっくりさんかもしれないし、まだ断定じゃないからミコには伏せておく事にするとして、キボリの行方探しは殺人鬼を探して確認するって線で進めるか……」
キボリは行方不明になってから噂すらないらしいが、殺人鬼の噂ならいくらかある様なので足跡が追えるし情報も集められるのだ。それこそ俺は昨日襲われたばかりである。現場に何か落ちてるかもしれない、確認してみようとすると侯輝はとても不満そうな顔を見せた。
「えーー!やだよー!そんなの追ってたら天理をまた危ない目に合わせちゃうじゃん!ミコには悪いけどもう放っておこうよー!」
不満というより駄々をこねている様ではあったが。お前、基本人はいいのに俺が絡むとホント他人に容赦無くなるな。一番に考えてくれるのは嬉しいんだが。確かにただの人探しじゃなくなってきたしミコに恩があるのは俺だけだ。トキコにも危険を侵してまで頼まれている訳ではない。自分の身もろくに守れず、危険地帯に行くなら侯輝に守って貰うしかないのに人助けしたいなんて我儘なのだろう。なんとか俺一人でやれる事を……と俯きがちになりながら考えていたら突然侯輝に両手で顔を包まれると顔を上げさせられた。
「てーんり。もう。一人で何とかしようとか考えてるでしょ?調査するなら俺がどこでもついてくから。キボリをちゃんと探してあげよ?」
「えっいやでもお前の反対押しきって迷惑かけるわけには……」
「迷惑なんかじゃないってば!俺が絶対守るから、やろうよ。俺だってミコの事は助けてあげたいって思うし、天理がモヤモヤしたままなの見てるのは辛いよ。ね?」
力強く微笑まれてしまえば俺はうんと頷くしかなくなってしまう。
「う……すまん。頼む、侯輝。協力してくれ」
「うん、任せてよ。よし、そうと決まれば早速行動開始だね。まず、昨日の現場から行ってみよ!」
こうして、俺と侯輝は殺人鬼を探し出す為、まずは先日襲われた場所へ向かう事にしたのだった。

「この辺だったよね天理が襲われたの」
「ああ……」
そこは俺のアパートから歓楽街にあるアンダーバーへと向かう道、居住区の外れ。現場には特に何も手がかりは落ちていなかった。俺は無意識にあの時捕まれた腕を擦りながら、侯輝が殺人鬼を吹っ飛ばした裏路地を見る。今は平日の夜で今居るメインストリートはまだチラホラと人通りはあるがそこから見える薄暗い裏路地への細い道は一見誰もおらず、静まり返っていた。トキコから、裏路地はストリートギャングの縄張りで、俺みたいなのがうっかり迷い込むと身ぐるみ剥がされるかケツを掘られるから入るなと言われていたので俺は近付かない様にしていたのだった。
あの後騒ぎを聞き付けた住人達がたむろしてきた隙に殺人鬼は逃げてしまっていた。恐らく裏路地へと逃げたと思われ、痕跡を追うなら裏路地に入らなければならない。
「む……」
「トキコさんも多分分かってて言ってると思うけどギャングって言う程悪い連中ばかりじゃないよ。ちょっと血の気が多い子もいるけどみんないい子達だから安心してね!」
「お、おう……。え、でもなんでトキコ俺にはそんな警告してきたんだ……?」
俺から喧嘩を吹っ掛けるとか絶対に無いし女子供じゃあるまいに通るくらいなら大丈夫なんじゃないかとは思っていたのだ。折角の異世界文明の街並みだ、ちょっとくらい見てみたい。そういった裏道の方が歴史ある何かがあるもので遺跡だの遺物だのが好きな俺にとっては興味がそそられるのだった。しかし俺はそんなに頼りなく見えるのだろうか。ひょろくても上背はそこそこあるのに。すると侯輝はぎゅっと抱きついて頬擦りしてきた。人気少なくてもまだ往来だぞ。
「そりゃ天理、スタイルいいし、可愛いし、ちょっと儚げに見えちゃう所が未亡人みたいな色気あるからだよぅ。絶対狙われちゃう」
「はぁ!?んな訳あるかっ!」
可愛いはお前の主観だろ!誰が未亡人だ!!……確かにお前に二度と会えないかもって思ってた間寂しくてちょっとそんな気分だったけどよ。痩せたし。
「だから絶対俺から離れちゃダメだからね?」
そう言ってまたぎゅううっと抱きしめてくる。ちょっと苦しい。俺だってお前から離れるつもりはない。俺がそう答えると、嬉しそうにすり寄ってきた。嬉しいんだが、時折侯輝に尻尾がはえて猛烈に振ってる幻影が見える時がある。でかい図体に綺麗な金髪、愛嬌ある元気な仕草。さしずめゴールデンレトリバーと言ったところだろうか?ベッドじゃ狼だけどな。しかし、さっきから裏路地の方から視線を感じるんだが俺より勘のいい侯輝が何も言わない所を見ると気のせいだろうか。単にカップルがいちゃついているとか思われてるのだと恥ずかしい。
「えへへ、それじゃ行こっか。逃亡する殺人鬼を目撃してる人がいるかもしれないし、アカツキを捕まえたら何か知ってるかも。安心して!ちゃんと守るからね」
「ああ、頼りにしてる」

居住区のメインストリートから薄暗い裏路地へ緊張しつつ進んでいくと、明かりこそついてはいるが電灯は薄暗く、整備が行き届いていないのか所々チカチカと不規則に点滅している。建物も壁が崩れかけたり、窓が割れていたり、制御を失っているらしい清掃ロボが壁に向かってひたすらぶつかっていたり、ゴミも散乱していて全体的に薄汚れており、あまり治安が良いようには見えない。いかにも怪しげな看板を掲げている店と、その店の脇の小道で座り込んでいる人や、寝ている人などもちらほら見受けられる。逃亡した殺人鬼を目撃したか聞きたい所だが答えて貰えるだろうか。こういうのは金品などを渡したりすればいいのか?大金なんて持ってないけど気を付けないとななどと考えながらキョロキョロとしていると人とぶつかりそうになっていたらしく、侯輝に肩を引き寄せられた。が、にも関わらずその通行人とぶつかった。
「いってぇーー!どこ見て歩いてんだよ!」
「あ、すまない」
侯輝が引き寄せてくれていた事もあり、ほとんど軽く接触する程度で、大して痛くなかったので、大袈裟すぎないか?と思いつつも、不注意だったのは確かなので謝っておく。そいつは上背は俺とさほど変わらないが体格は良く、スキンヘッドにピアスだらけの耳、首に赤いスカーフ、目つき悪く、袖をまくった腕にはタトゥーが入っていた。強面ではあるがまだ成人したてに見える。ひょっとしてギャングとやらに当たられてしまったのだろうか?ドキドキしていると立て続けに迫られた。
「男二人でイチャイチャしやがってよぉ、慰謝りょ……?!うわっ!いてテテテテ!」
スキンヘッドの男に捕まれようとした瞬間、横からその手を侯輝が掴み瞬く間に捻ると怯んだ隙に脚をかけ転ばしそのまま組み伏せてしまった。さすが侯輝。また惚れ直してしまうな。
しかしいきなりこんなのに引っ掛かってしまうとは俺はもっとしっかりせねば。
「お、おい、離せよ、痛えだろ」
「君、アカツキの団員だよね?何しようとしたのかな?聞いてた話と違うんだけどアカツキはこういうの許してるの?」
侯輝が更に腕を掴む手に力を込めながら、普通に問いかける様な口調でありながらも圧を込めた声で問いかけると、男は痛みに耐えかねて喚いた。
「うわぁっ勘弁してくれ!団とは関係ねえ!ちょっとムシャクシャしてたんだ!頼むよ!」
赤い印を着けている。どうやらこの青年はギャング団アカツキの一員らしい。そういえば侯輝はその団長と仲良くなったとか言ってたな。この手の輩がいる集団のボスと仲良くなれたとか凄いな本当に。
「どうしようかなあ、この世には手を触れちゃいけないものがあるって事をちゃんと分かって欲しいんだけど」
「侯輝、その辺で……」
少し力を籠めたらしくスキンヘッドの男が悲鳴を上げる。侯輝が相当怒っている事を察した俺が止めようとした時だった。横道から人が近付くと男が声をかけてきた。
「すまねえ侯輝!勘弁してやってくれや、そいつ新人なんだわ」
「アカツキ」
声をかけてきた男は体躯の良い長身に素肌の上に直にジャンパーを着、Gパンスニーカーといった格好をしていた。年齢は二十代前半、侯輝と同じくらいだろうか。頭には赤いキャップを被っている。退廃的な雰囲気を醸しながらどこか洗練された雰囲気を纏っており、カリスマ性が感じられる男だった。どうやらこの男がギャング団長アカツキらしく、スキンヘッドの男はアカツキの登場に焦りの表情を浮かべた。
「あ、アカツキさん!?ち、違うんです、これは」
「躾が足りてねえならいつでも言えって言ったよな、俺」
「ひいぃっ、す、すいませんしたぁ!!」
そう言うとスキンヘッドの男は脱兎の如く逃げ出していった。アカツキは俺の方に向き直ると話しかけてきた。
「うちの新入りが悪かったな。今ちょっとピリピリしててな。俺はアカツキ、ここのガキ共の面倒を見てる。よろしくな」
そう言って手を差し伸べてきたので俺も握手をする事にした。
「天理だ。まあ、怪我はなかったし。仲裁して貰えて助かった。ありがとう」
俺の事となると度が過ぎてくる侯輝をどうやって止めようか迷っていた所だったので正直助かっていた。微笑して返すと、何故か一瞬驚いたような顔をした後すぐに笑顔になった。
「そうか?そう言ってくれて助かるぜ!良いねぇ、あんたが侯輝の探してたスイートハートか?」
アカツキがニカッと笑いながらずいっと顔を寄せてきたので驚いていると、後ろから肩を掴まれ後ろに引っ張られると後ろから抱き締められた。
「俺のだからね?アカツキ」
「おっと、怖え怖え。侯輝のマジの目初めて見たぜ。一晩お相手して欲しい所だがヤボな真似はしねえよ」
ハハハッと笑うアカツキに侯輝とマブダチ?になるだけあって随分口も立つ様だな、と感心していれば全く冗談とは受け取っていないらしい侯輝が俺を抱き締めたまま番犬よろしく唸っていた。からかわれているだけだろうに。多分。
「侯輝、ちょっと痛いぞ」
ともかく落ち着かせる為に後ろ手で侯輝の頭を撫でてやると少し落ち着いたらしく腕を緩めて解放してくれた。振り返るとまだむぅと不満げな顔の侯輝と目が合った。仕方ないなと苦笑して今度は正面から抱きしめてやる。そうすると嬉しそうに抱きしめ返してきた。なんだかまた侯輝に猛烈に振られている尻尾の幻覚が見えた気がするが気のせいだろう。背中をよしよしと撫でいると、その様子を見ていたアカツキに声をかけられた。
「あー、俺どっか行った方がいいか?」
ハッとして恥ずかしくなり慌てて離れると、アカツキは呆れた顔をして頬を掻いていた。そこでやっと侯輝はアカツキの方を向いた。
「あ、アカツキまだ居たの?」
「ひでえ……さっきのは本当に冗談だって。お前がガチ惚れしてるやつに手は出さないって」
「当たり前でしょ、そんな奴いたら殺すよ?」
物騒な事を言う割にニコニコ笑っている辺り本気なのか冗談なのかいまいちわからない、だがやり取りを見るに大分親しみは感じられた。と、俺はここに来た目的を思い出した。
「そうだアカツキ、俺達は連続殺人鬼を捜索しているんだが、何か目撃情報をもっていないだろうか?」
「殺人鬼を追ってるだって?!」
俺は一昨日、殺人鬼に襲われ、その後裏路地へと逃げたと思われる殺人鬼の行方を追っている事をアカツキに伝えた。裏路地を庭とするギャングの団長たるアカツキは事件を把握しておりその被害者が俺で無事だった事に驚き、侯輝に助けられた事を伝えると納得したように頷いていた。
「襲われたのはあんただけじゃないんだ。警察も知らないだろうがうちの団員が一人餌食になってる。それで団全体が殺人鬼探しでピリピリしててな、さっきのスキンヘッドの新入りみたいに荒れてるやつもいるから見廻ってたんだ」
「それでアカツキ、今日は珍しく公園以外をブラブラしてたんだね」
アカツキの言葉に侯輝が納得した様に頷く。アカツキは面倒見の良い性格らしい。警察に連絡して治安維持に勤めさせないのか?と尋ねれば警察は特にギャングに関しては事件が起こってもほとんど動かないので期待できないという事だった。警察は殺人鬼に関して存在は把握はしているらしいが、捕まえようとはせず通報しても精々現場検証をおざなりにして死体を片付ける程度だという。被害者は発見されたその時既に殺人鬼の姿はなく、団員達が殺人鬼探しに躍起になっているが足跡は掴めていないとの事だった。侯輝があれ?と首を傾げる。
「殺人鬼を誰も見ていないのにどうして犯人が殺人鬼だって分かったの?」
「それはな、聞いて調べた範囲殺人鬼の犯行の手口が独特なんだよ。被害者はみんな奴の『作品』にされるんだ。肉を抉られ露出した骨に彫られた跡がある。わざわざ作品タイトルまで添えられてな。見つかった遺体はひでえもんだぜ」
アカツキは顔をしかめ胸糞悪そうに言った。それを聞いた侯輝も顔をしかめる。
「作品って。でもそうなると確かにその犯人が俺達が探してる殺人鬼っぽいね」
「ああ、そうだな……」
俺はアカツキに『俺の芸術』とか意味不明な事を言われた事を説明すると、アカツキは納得していたようだった。そして殺人鬼がまたキボリである可能性が増えてしまった。聞いたキボリの性格からはとてもその様な事をする人物とは思えず動機は不明だが、もしそうならば何故そんな事をしたのか直接会って問いたださねばならないだろう。しかし相変わらず本人に辿る術が無い。
「……なあ、どうして天理達はわざわざ殺人鬼を追っているんだ?いくら襲われたとはいえ仲間をやられた俺達はともかく、お前達にそこまでする理由があるのか?」
侯輝とどうしたものかと顔を見合わせているとアカツキがそんな疑問を口にした。その疑問はもっともだ。キボリを探している事、そして殺人鬼=キボリの線で捜索を進めている事をアカツキに話して良いだろうか。ちらりと侯輝を見ると彼は小さく頷いた。信頼して良いという事らしい。アカツキの事はまだ良く分からないが侯輝を信用する事にする。その方がこちらとしても動きやすいだろう。俺は覚悟を決めてミコから預かったキボリの写真を見せた。
「俺の、とある恩人にとって大切な……行方不明になっている身内を探しているんだ。それがこの写真の男だ。ひと目会わせてやりたい。それで俺を襲った殺人鬼によく似ていてな、もしかしたらと思って探している」
「この男がか……なるほど、しかしまた難儀な話になってきたな。うちの連中は血眼になって探してる。俺もその殺人鬼を許すことはできねえ。見つけてもただじゃその恩人とやらに返せはしないと思うぜ。そもそも生け捕りにする事自体難しそうだしな」
アカツキは俺の持つ写真をじっと確認した後、苦い顔をしてそう言った。だがアカツキの反応は彼らの団結を察するに想定していたものだった。故に俺はまっすぐにアカツキを見返してこう告げる。
「ああ、それは分かっている。探している男が狂った殺人鬼と推測し始めた時点から生死の有無を問えないのは覚悟している。だができるなら殺人鬼を見つけたら、捕らえるか居場所を教えて欲しい。断罪しなくてはならなかったとしても一目その恩人に会わせてやりたいんだ。頼む、俺にできる礼ならするから」
「俺からもお願いアカツキ」
そう言って頭を下げ侯輝も口添えるとアカツキは暫く考え込んだ後でゆっくりと口を開いた。
「いやまあ頭を上げてくれ。そこまで言うなら一応伝えておく。ただし期待はするなよ?こっちだって命張ってるんだ」
その言葉を受けて俺が顔を上げると、そこには困ったような表情を浮かべたアカツキの顔があった。どうやらこちらの誠意を受け取ってくれたようだ。
「しかし、あんたがそこまでする程の恩人ってのは一体どんな奴なんだ?」
その問いに、俺は少し考えて答える事にした。人柄の良さは隠すような事でもないだろう。
「侯輝みたいに強くも器用でもない俺を右も左も分からないこの異世界で無事に生活できる様にしてくれた、俺にとっての命の恩人なんだ」
「その子のおかげで俺も天理と再会できたしね。いい子だから助けてあげたいんだよね」
俺がいうと侯輝も捕捉するように言葉を付け足した。アカツキは納得したように頷くとニカッと笑った。
「義理堅いねぇ。いいぜ協力する。あんたも気に入ったぜ天理、その証に今すぐダンスを披露したい所だぜ!」
「アカツキはね、ダンス凄く上手なんだよ。気に入った人に披露してくれるんだ」
侯輝がそうフォローすると、アカツキは少し照れたように笑った。
「おお……そうなのか、ありがとう」
どうやら好感を持って貰えた様でホッとして微笑むとアカツキはニカっと笑顔を見せた。

少しでも手がかりが無いかと、アカツキが俺達二人を昨日アカツキの団員が殺人鬼の被害にあったという殺人現場へ案内してくれた。そこは被害者ベーベンが寝床にしていた小部屋で、遺体こそ既に片付けられていたものの、血が飛び散った跡や壁に付いた手形などが生々しく残っていた。そして地面にはまだ乾ききっていない血痕も残っており、それを見て思わず顔をしかめてしまう。遺体と主だった遺品は土葬したので見ようと思えば見られると言われたが一旦遠慮しておいた。被害者ベーベンの寝床には小さな机があり、音楽を嗜んでいたのだろうか、机の上には壊れた弦楽器の様な物とノートが残されていた。アカツキ曰くよくダンスの際に伴奏してくれていたらしい。血飛沫がついたノートを手にとり開いてみる。
「ええと『道端の舞』?……え?」
「お、天理、それ読めるのか?ベーベン、よくそれに何か書いては演奏してたんだよな」
「何書いてあるの?天理」
あまりにもスラスラと読めてしまったので一瞬違和感を感じるのが遅れた。てっきりここの世界の文字が書かれていると思ったのだが、そこに書かれていたのは俺達が元居た世界の文字での詩と、五線譜の様なスコアだった。まさかこんな所で見ることになるとは……。ただ厳密には一般的には見慣れた物ではない。詩は俺が知る限り古文に近かったし、楽譜はよく知られた五線譜ではなく4本線だった。驚きながら俺は二人にその楽譜を見せた。
「これ楽譜?でも線が4本だね。この文字も見覚えある様な……!」
侯輝が驚いているとアカツキがもっと驚きを見せた。
「侯輝もそれ読めるのかよ!ベーベンはよく独自の文字でごちゃごちゃ書いてたけどそっちの世界の文字だったのか?!」
どうやらこの文字や記述はこちらで知られている物ではないらしい。
「なあアカツキ、ベーベンは俺達と同じ異界から来た人間だったのか?」
「いや、ベーベンはガキの頃に両親亡くして孤児になった頃から知ってるし、こっちの世界の生まれのはずだ。酔った時に聞いた事があるが裕福じゃないが元は歴史ある家の坊っちゃんだったとか言ってたぜ」
俺はこの文字や記述が俺達が居た世界の文字と文化だがそれが古いものだと二人に伝えるとアカツキは感心した顔をしていた。
「へぇ、天理は博識なんだな」
「天理は凄い学校で先生してたからね!」
「へえ先生か、いいな!」
何故か侯輝が自慢げに胸を張りアカツキがまた感心してまた侯輝がドヤ顔している。俺を自慢してくれるのは嬉しいが苦笑してしまう。
「いや……まあ分かった所で殺人鬼に繋がらないんだけどな」
何故純粋なこっちの世界の人間が俺達の、しかも古文を扱っていたのか。異世界人の誰かに習ったのだろうか。しかしわざわざ教えるにしたって古文と古い文明を?今それを考えて何か殺人鬼に繋がるだろうか。何か他に手がかりは、と探していると侯輝がポンと手を打った。
「ねえねえ、ベーベンのご先祖さんがすっごい昔、俺達と同じ世界から来た人かな?それで文字と文化を今まで継承してたとか!」
「……まあ、それならこっちで生まれていても知ってるかもな。歴史ある家だったなら」
その推測が正しいなら実に惜しい事である。折角俺達の世界の活きた古文と文明使いがここで途絶えてしまったのだ。考古学的に惜しまれてならないがやはり今考えても仕方ないだろう。だが異界から来てこの世界に骨を埋めたベーベンとその先祖に哀悼の意を表したいものだ。
いや、それは置いといて。
「あとは遺体見させて貰うくらいか……」

ある意味考古学者として俺の仕事は墓場漁りだった訳で、遺体の鮮度の違いくらいしかあるまいと新鮮な遺体を掘り出すのに腹を括ろうとした所だった。後ろから顔を覆い隠す様な覆面をし大きな鞄を持った気味の悪い男に話しかけられ「ここの遺体の写真の撮ったけど買う?」とか言われた。吹っ掛けられそうになったが侯輝が目敏く指摘し、男がしぶとく粘ろうとするとアカツキ団長パワーを存分に発揮して貰って適正?価格で買い取った。なんでそんな写真撮ってるんだと愚痴ていたらアカツキ曰くグロ好きな輩に売れるのでそれを商売にしてる輩もいるとの事だった。どこの世界にもそういう奴は居るんだなと思った次第だ。俺も研究とは言え好き好んでミイラを見たりするので人の事は言えないのだが。他の遺体も撮っているのか?と聞いたら「選り取りみどりだよ♪」などと言われ胸糞悪くなりつつも噂の殺人鬼の被害者遺体写真を要求すると「いっぱいあるよ、まとめて買ってくれたらサービスするね♪」と全然関係ない猟奇殺人の写真を渡されそうになったので突き返して丁重にお帰り頂いた。

買い取った十数枚の遺体の写真を見る。案の定芸術だかなんだか知らないが胃液が逆流しそうな酷い有り様ばかりだった。先日は侯輝に助けて貰わなかったらこんな事になっていたかと思うとゾッとする。それでちょっと涙目になっていたら、アカツキには繊細なんだなと言われ、侯輝は無理しないでねとそっと背中をさすってくれた。気遣って貰って嬉しいがなんだか余計泣きそうだ。
「あ、何か骨に掘ってあるね、文字かな」
侯輝の言葉に我慢しながらその部分を見て読み上げる。遺体の露出した骨にはこの世界の文字で『裏切り者』と彫られていた。他の遺体にも『破壊者』だの『簒奪者』だの刻まれていた。これが作品名だとでも言うのだろうか。美感は理解し難いが怒りは感じる。
「なんか私怨みたいだね。ますます分かんないよ」
「そうだな、俺こんなにされる覚えが無い……」
パッと見、性別年齢肌色もバラバラだ。通り魔愉快犯の類いにしては主張が強く、俺がこの遺体のお仲間に入る理由が分からない。するとアカツキが写真を見てその内二枚に何かに気づき神妙に言葉を発した。
「ん……こいつ、団員じゃないけど知ってる。異世界から来たやつだ。あとこいつは直接知らないけど異世界人らしいぜ」
「……え」
アカツキの言葉で一本の線が繋がったと思うと俺は血の気が引いていくのを感じた。
「被害者は異世界人絡みなの?!」
いくらそこそこ異世界から迷い込む事があると言ってもこの街は数万人程度の街なのだ。異世界から迷い込む者は多くて年に二、三人程度と聞いた。十数人の被害者の内に占める割合としては多すぎる。その推測が合っているなら偶然の通り魔でなく俺は確定で狙われた事になりまた襲われる可能性があるのだ。この世界に来て2ヶ月、俺は特に異世界人であることは隠していなかったし、接客業でもあったので不特定多数に噂が広がっていてもおかしくはなかった。心臓がドキドキしてきた。しかし何のために?
「ねえ、他の人は?」
「他は……あ、こいつは西の居住区にいたのを知ってるくらいだ」
俺が絶句している間に侯輝がアカツキと会話していた。
「よしじゃあその人も確認して、他にも異世界の血を引く人がいるなら警戒を呼び掛けよう。他の写真はトキコさんにも事情話して確認して貰おう。天理、ついでに匿って貰って。そして一歩も外出ないで。多分トキコさんの所で安全だと思う」
侯輝がいきなりそんな事を言い出したので、慌てて首を振る。侯輝はもう殺人鬼のターゲットが元異世界人に絞られている方向で動き出していた。そして侯輝がやろうとしている事に気付き拒絶する。
「待て!お前、お前は?」
「勿論、俺が囮になって捕まえるよ」
「ダメだ!お前も一緒に大人しくしとけ!そ、そうだ調査ならアカツキに頼んで……」
「でも、俺なら返り討ちにできるし」
そうだけどな!先日俺を助けてくれたのお前だったな!
「でも……もし……万が一……」
先程の被害者遺体写真を思いだし侯輝に万が一があったらと平静でいられなかった。もう思い知ったのだ、お前が居ない世界で俺は生きていけないのだと。お前だってそれは知っているだろう?俺が殺人鬼を追おうと言い出した事なのに、侯輝を思ったらもう止めようと声を上げたくなった。拳を握りしめていると侯輝がふわっと俺を抱き締めた。
「天理、これはチャンスなんだよ。どこに居るとも分からない殺人鬼が向こうから確実に来てくれるんだから。異世界人の血を引いてるってだけで殺される人がまた出てくるかもしれない。そして、俺達が探してるキボリがそうなら、これは一石二鳥どころじゃないんだ。何より天理を守る為なら俺はやる」
「いや、でも……」
「俺は大丈夫。だから安心して?」
そう言って抱き締められながら頭を撫でられ心が落ちつかされてしまうと否が応でもそれが現行最善手だと思わされてしまう。同時に侯輝の強い意思を感じ取って何も言えなくなった。結局、俺はこいつに敵わないんだ。無力な自分が悔しかった。だからせめてこいつが意地でも帰って来る様に言葉を告げる。
「分かっ……た。でも覚えておけ、お前に万一があったら俺は即お前を追ってあの世に罵倒しに逝くからな」
俺の言葉にアカツキがヒューと口笛を吹き、侯輝は嬉しそうに笑った。
「ふはっ、おっかないなぁ。じゃあ、絶対に無事にやり遂げないとね!」
そう言うと俺の額に口付けて、ちゅっと音を立てて離れた。

そして殺人鬼捕獲に向けて作戦を実行に移す。まずはトキコの元に全員で移動し、トキコにはキボリの捜索に絡んだ今回の一連の件について全てを話した。キボリが噂の殺人鬼である可能性を聞かされたトキコは驚き、ミコの事を思い沈痛そうな顔を浮かべた。が、すぐにいつもの調子に戻り、俺たちに協力してくれる事になった。被害者の写真を見せると更に何人かの身元が分かり、やはり全員が異世界から来た人間や血筋であるらしく、これで殺人鬼のターゲットが異世界人である裏付けがほぼとれてしまった。また俺達以外にも異世界から来た人間がいないかも次の殺人鬼のターゲットになる可能性を考えてトキコが調査、いれば事情説明等しておいてくれる事になった。
具体的な殺人鬼捕縛方法を話し合い、侯輝が裏路地の空き家に定住、不自然でない程度の分かりやすいパターン化した生活をしつつ、殺人鬼が襲ってくるのを待ち受ける作戦となった。そこに異世界人である侯輝が定住したとアカツキ団やトキコから噂を広げてくれる手筈だ。日々の連絡は既に侯輝とある程度交流があり接触しても不自然ではないアカツキ団員が行う。俺は当初の予定通り、警備の堅いトキコの家で匿って貰う事になった。折角侯輝と再会できたばかりだというのにまたしばらく離ればなれで過ごさないとならず、侯輝が危険に晒され無事作戦完了するのをただ待っていなければならない事を思うと辛かった。
「待っててね天理」
侯輝は別れ際、ぎゅっと抱き締めてくれた。侯輝の方が大変な思いをするのだ、どうか無事でいて欲しいと想いを込めて抱き返した。

気を揉みながら作戦開始から二週間程過ぎた。侯輝の周辺にはまだ動きは無いらしい。俺は毎日心配で堪らず、トキコの家の用を無心でこなしながら、トキコに迷惑を掛けている事は承知でこっそりと抜け出しては、侯輝の住み処に向かい、遠目で侯輝の姿を確認しては、ほっとして帰って来た。
今日もフードを深く被り簡単に変装するとトキコの目を盗んで侯輝の元へ向かった。夜勤明けで帰ってくる予定の時間を狙い侯輝の住み処に近づくと、人が中に居るのは分かるが部屋の電灯の調子が良くないのか時折チカチカと明滅するばかりで薄暗い。よく見えないといつもより近づいてしまうと丁度部屋から出てきた人物と鉢合わせしてしまった。
「あっ……!」
「!?天理!どうしたの、来ちゃダメだってば!」
やはり侯輝だ。侯輝は警戒中であったのか一瞬鋭い視線を寄越したが、黙って引き返せば良かったのにうっかり声をあげてしまった俺にすぐに気付き駆け寄ると、言葉は厳しく叱りつつも嬉しそうに笑った。やはり神経を張り詰めていた為だろうか、少し疲れて見えた。侯輝はまだこの世界に来てほんの一時しか休めていないのだ。
「すまん、どうしてもお前が心配で……今日も一目見るだけのつもりだったんだ、すぐ帰るなっ……」
踵を返そうとすると、侯輝が腕を掴み、強く抱き締めてきた。
「待って!天理、嬉しい……」
離れなければと思いつつも侯輝の力強さが心地よくて身を任せてしまった。しばし温もりを感じ合うと名残惜しげに少し離れ侯輝は苦笑気味に微笑んでいた。
「来てくれてありがと。……ご飯ちゃんと食べてる?」
「たっ、食べてはいるぞ……」
実はトキコにも言われてる程、侯輝が心配であまり食欲がないのだが、そう言う訳にもいかず目を泳がせる。
「あまりお肉付いて無いみたいだけど?」
「っ!?」
そう言いながら俺の腰に手を回し、服の上から撫でられると思わずビクッと反応してしまい、笑われた。
「ふふっ。やっぱりね。心配になっちゃうからちゃんと食べてね。……ねえ顔、よく見せて……」
侯輝は俺のフードをずらし、じっと顔を覗き込んでくる。そして俺の頬に手を添えると親指で優しく撫で、愛おしそうな視線が俺と交わるとそっと唇を重ねてきた。少しかさついているが温かい感触。久しぶりに心が温かくなった。そのまましばらくお互いの唇を味わうように触れ合わせていたが、長居もしていられまいと、名残惜しくもゆっくりと離した。
「じゃあ……帰るな」
「気をつけてね天理」
もう一度フードを深く被り直すと後ろ髪を引かれながらそそくさとそこを離れた。後何日続くだろう。薄明るい裏路地の闇を歩きながら俺はまた不安な気持ちが膨らむのを感じた。
[newpage]
プシューー!
「っ……!!?」
後少しで裏路地から出ようとした時、路地の角から気配無く現れた何者かによって顔に塗料の様な化学臭のする何かを吹き掛けられ視界が奪われた。反射的に顔を拭っていると被っていたフードを捕まれそのまま引っ張られると地面に転がされてしまった。
「うわっ!」
「やっぱり……僕の芸術だ……今度は、完成させる……」
ツンとする臭いの吹き掛けられられた液体が目に染みて視界が滲み、吸い込んでしまったのか喉もむせる。この声、その言葉、先日の殺人鬼!!その瞬間、俺は自分の間抜けさを呪った。囮として待ち伏せる侯輝の元に通う俺が殺人鬼に待ち伏せされて襲撃されてしまうなど目も当てられない!そのままずるずると暗い小道の方に引き摺りこまれるのを必死に踠く。
「ゲホっ、嫌、だっ!だ、れか!!」
侯輝の隠れ家の周辺には異常があった時に報せができるようアカツキ団のメンバーが遠巻きに潜伏している手筈だった事を思いだしむせる喉で必死に声を張り上げる。しかし引き摺りこまれ、涙で滲む暗闇の先に見えたのは、無情にもアカツキ団の印である赤いスカーフを巻き付けた年若い少年二人が嘔吐をし倒れ伏している姿だった。微かに呻き声は聞こえ出血は無さそうだが動けない様だ。なんて事だ、殺人鬼は異世界人しか手にかけないという推測は誤りだったのか!?何もかも殺人鬼に先手を取られている!
「な……!!」
「邪魔は来ない……さあ……美しくしてあげるよ……」
殺人鬼が何か言っている。
「っ……!い、いやだ……!」
狂気に満ちたその視線に俺は恐怖で腰が砕けそうになりながらもなんとか逃げようと跑いた。頭の中に先日見た殺人鬼の作品……遺体の写真が頭に過り恐怖で体が凍り付き冷たい汗が流れる。殺人鬼は俺を引き摺りながら通路脇にあった幾本かの薬品の様な瓶を取ると親指でポンと封を空け吐き気がする様な臭いを漂わせるそれを俺に振りかけようとした。
「天理ぃ!!!」
その時滲む視界の先で遠くから駆け寄る侯輝の姿が映った。
「っ……!?……ぅえええ」
だが殺人鬼は一瞬早く反応し、手に持っていた薬瓶を侯輝に向けて振るうとその中身の液体を侯輝の顔面に直撃させた。辺りに吐き気を催すような臭いが充満し、侯輝は蹲ると堪えきれなかった様に嘔吐した。そしてそのまま地面に崩れ落ちてしまった。
「ぐっ……ぅ……天、理……逃げ……」
「侯輝!!」
「……邪魔するなら先に……」
ゆらり、殺人鬼が倒れ伏し痙攣し始める侯輝に近づいていく。ああ最悪だ俺が馬鹿なばっかりに!
「!!!」
その時、この世で最悪のビジョンが見えた。それは目の前で侯輝がこいつの作品にされてしまう事だ。冗談じゃない。最愛の男をこんな奴に冒涜されて失ってたまるか!怖がって震えてる場合か!侯輝を失う事より怖い事なんてこの世のどこにあるって言うんだ!!
その瞬間世界が止まった様にゆっくりに感じられた。だが体は自分のものとは思えない程素早く動いた。俺は通路脇にあった瓶を掴み殺人鬼の背後から跳び蹴りをかまして地面に転がす。
「ぐあっ……!?」
「……よくも……!!」
「天……理……」
「むが!」
俺は振り返り起き上がろうとした殺人鬼の上に馬乗りに跨がり全体重をかけ押さえつけると瓶の口を口に突っこみ一気に中の液体をぶちまけた。殺人鬼は苦しげに顔を歪め俺の腕を振り払おうと暴れ始めた。
「むごおぉぉ!!うぼぅぐぉ!」
「そんなに作品作りたきゃてめえでなってろ!!」
吐き気を催す薬品の異臭で涙を流しながらも踠き続ける殺人鬼を動きが止まるまで必死で押さえつける。この時もう殺人鬼がキボリである可能性を踏まえ生かしておく必要がある事を忘れていた。殺人鬼が嘔吐し、痙攣して動かなくなると俺は殺人鬼の体から離れ、地面に倒れ込んだまま動けずにいる侯輝の元へと急いだ。
「はぁっ、はぁっ、侯輝、大っうわっ!」
だが普段以上の動きをしたせいか筋肉が震え、殺人鬼や侯輝の吐瀉物で滑り、踏ん張ろうとも力が入らず盛大にべしゃりと転けた。薬品と吐瀉物まみれで場の臭いは最悪だ。
「大丈、夫……?天理……」
横になりまだ辛そうな侯輝に逆に心配された。情けない。
「あ、ああ。それより平気か?侯輝」
「うん……少し、したら、動ける気がする」
安心させる様な微笑みを見せてくれる侯輝にまた涙が出そうになる。俺のせいで侯輝がこんな目にあってしまった。最悪永遠に失うところだった。
「ごめっ、ごめんな……侯輝……」
「ううん……助けてくれて、ありがと、天理……泣かないで……俺、嬉しい、よ……」
「っ……侯輝……!」
俺は侯輝を抱きしめると、もう二度と離さないとばかりにきつく抱き締めた。侯輝は震える手を動かし抱き締め返してくれた。足音が聞こえると角で止まり男の声が響いた。
「団長!!侯輝さんいやした!うちの団員もいやす!」
男は赤いスカーフを身に付けていた、アカツキ団員だろう。するといくつか走り寄る音が聞こえ辺りは騒がしくなった。
「侯輝!なんで天理まで!ガキ共も!うわひでえな、皆無事か!あ!こいつか?殺人鬼!」
アカツキが駆け寄って来た。そして殺人鬼を軽く蹴飛ばすとまだ息はあるのか微かに反応を見せる。アカツキはポーチから取り出したロープで殺人鬼を縛り上げ念入りに猿ぐつわと目隠しまでした。そして俺と侯輝、少年達を各々見ると安心した様に息を吐いた。
それからアカツキ団の応援が更に駆けつけ気を失わされていただけで済んでいたらしいアカツキ団の少年二人を介抱の為運びだし、縛り上げた殺人鬼はアカツキの指示で牢獄部屋としている所へと運んでいった様だった。まだ満足に動けない侯輝はアカツキが肩を貸して連れていって行こうとしてくれたが俺は大して怪我はしなかったからやらせてくれと頼んだ。体躯のいい侯輝の体は痩せてしまいまだ少し震える俺には荷が重かったが、それでも俺が運びたかった。
「すまなかった……俺のせいで作戦が目茶苦茶になってしまった」
ふらふらと歩く俺と侯輝をアカツキに時折支えて貰いつつ送って貰いながら、トキコの元にいるはずの俺が侯輝の近くにいた理由を説明した。だがアカツキはもう来た時点で察していた様で驚きもせず、逆に連絡用の団員がヘマをして倒れ俺達を危険に晒してしまった事を詫びてくれた。
「まあそれで連絡来ないからおかしいなって気づいて外彷徨いたら天理のピンチに駆けつけられたんだけどね……結局天理に助けられたんだけど……ごめんね天理、俺が守るって言ったのに」
「謝るのは俺の方だ。俺が馬鹿やったせいで侯輝がこんな目に……」
「天理は悪くないってば」
「そうだぞ天理。俺達は殺人鬼に完全に1本食わされてた」
「……ありがとう。侯輝、アカツキ」
「ま、グダグタだったけど結果オーライにしとこうぜ!なんたって凶悪連続殺人鬼を取っ捕まえたんだからな!」
アカツキが場の雰囲気を明るくしようとか笑ってくれた。だがこの後の事を思うとまた気が重いのだった。侯輝もそう思っているのかまだ辛いのもあるのか沈黙している。
「そんであの殺人鬼を天理の恩人とやらの縁者か確認して、もしそうなら引き合わせたいんだったよな?それまではちゃんと生かして保護しとくぜ」
そう、これからあの殺人鬼を尋問してキボリであるのかを確認し、そうであるならばミコに引き合わせないとならないのだ。知能はあるが常軌を逸していたあの殺人鬼がまともに尋問に答えるだろうか。
「なぁに、大丈夫だって。俺達アカツキ団が責任持ってあいつから話聞き出してやんよ!」
「ああ……頼む……」
俺が心配そうな顔をしていたのだろう、アカツキが自信満々に胸を叩いて任せろと言ってくれた。十中八九キボリだろうが正直キボリだと分からないままでいた方が良いとすら思っている。キボリが優しい兄だと思っているミコの事を思うと殺人鬼になっていましたなどとは言いにくい。知らない方が幸せかもしれない。見つかりはしたが死んでいたと報告するべきではないかと。
そんな事を考えながら俺と侯輝はアカツキに付き添われトキコの館へと辿り着く。黙って出てきてしまった事をトキコに謝罪せねばと思っていれば勢いよく扉が開くと思わぬ人物が出てきた。
「ミコ……!」
なぜ今ここに。俺と侯輝が驚きでろくに声が出せずにいるとアカツキが反応した。
「お、随分スイートなレディがいるな!知り合いか?」
ミコは俺と侯輝を見ると、殺人鬼の薬品と吐瀉物まみれで酷い汚れと異臭がする有り様に驚いた様で駆け寄ってくる。
「天理さん、侯輝さん、ごめんなさい!私の願いの為にこんな大変な思いをさせてしまって……きっと他の方にもご迷惑おかけしているんですよね!?」
「ミコ……、いやこれは……」
「すまないね、あんた達、ミコは私が呼んだんだ。事情は全て話したよ。あんた達の優しさは嬉しいけどね、そこまで背負う必要はないんだよ」
まだミコにはキボリの件は伏せておこうとしていたが、ミコの後ろから現れたトキコがそう告げた。
「トキコ、ミコに喋っちゃったの?!」
侯輝がトキコを問い詰めようとするとミコが庇うように前に出た。
「トキコさんは悪くないんです!トキコさんは私がずっと兄に会いたいのをよく知っていてくれたから……。でも、私は兄がどんな罪を犯していても一目会って話たいんです。兄に、合わせてください!」
まだ殺人鬼がキボリかどうか分からないし確定させてからでもと言うとミコは強い決意を秘めた瞳で首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます。私、殺人鬼の被害にあわれた方の写真も見ました……それはとても痛ましいものでした。けど、彫られていた文字や繊細な部分がやっぱり兄のものなんです……私はもう間違いないと思っています。それに、私の願いなのに皆さんにばかり心労をかけさせられません!ですから……!」
「……まあそういうわけだよ。ミコはもう覚悟を決めてる。連れていってやっておくれ」
「……分かった」
ミコの覚悟の旨とトキコにもそう言われ、俺と侯輝は共に頷いた。早速殺人鬼を捕縛しているアカツキ団へ向かおうとするとトキコとミコにまず身を綺麗にする様にと薦められた。一刻も早く兄に会いたくないのかと返せばもう充分待ちましたからとミコは微笑む。
「それじゃあ俺は一旦先に戻ってる。ガキ共がいろいろ心配だしな。侯輝、公園の俺のアジトは分かるな?」
「うん、送ってくれてありがと。支度が済んだらすぐにいくね」
アカツキは先にアジトへと戻っていった。

俺と侯輝はトキコの館の浴室を借りシャワーを浴びる事にした。改めて互いを見れば酷いものだった。ゲロと塗料と異臭まみれで、また汚れた裏路地を行くことになるとはいえ歩くには不審者過ぎるし気分も悪い。
二人で浴室に入る。シャワーを浴びると異臭が取れて不快感が大分ましになった。
「天理、どこも怪我してない?!」
浴室で滑らない様に気を使おうとしたがもう体の痺れから回復したらしい侯輝が俺の裸体を検分する様にペタペタと触ってきた。くすぐったい。
「あっ手首痣になってるよぉ……」
殺人鬼を取り押さえようとして抵抗された時に捕まれた跡だろう。必死だったので気付かなかったが確かに赤くなっていた。肌が白いせいか目立つのだろう、侯輝は痛々しい表情で俺の手首を労る様にそっと撫でると、唇を落とした。
「大丈夫だ、これくらい。お前の方が余程大変だったろ?」
「でも……俺がついていながら……ごめんね……っ」
「いいって言ってるだろ……っ、こら」
侯輝は謝罪の言葉を口にしながらまるで獣が傷を癒す様に舌を這わせた。その舌使いはやがて性的な色を含み最後に吸い付かれ跡を上書きするように残された。咎める様に軽くコツリと叩くとしょんぼりと拗ねた様な顔をされた。異世界に飛ばされやっと再会した矢先にまた引き離され、命がけの生活から解放されて今漸く安堵しているところだ。欲する気持ちは分かるがもうちょっと我慢してくれ。俺も我慢してるんだぞ。抱き寄せて濡れた髪を撫でながら俺の想いを伝える。
「お前こそ無事で本当に良かった。ずっと不安で寂しかった。お帰り侯輝、また後で沢山愛してくれ。な?」
「うん!ただいま!あとでラブラブいっぱいしようね!」
沈んでいた侯輝が笑顔を咲かせる。俺の太陽が戻ってきてくれたと実感し、愛おしさに胸が熱くなるのを感じた。
ちゅっと触れるキスだけをすると風呂を出た。俺はいつもの服に、侯輝はトキコが用意していてくれたこざっぱりとした服に着替え、お腹が空いているだろうとミコが握ってくれていたシンプルな塩おにぎりを手早く頬張る。結果オーライとは言えトキコにも迷惑をかけたなと謝罪しておく。
「そうだトキコ、勝手に出歩いて迷惑をかけてすまなかった」
「……ああ、いいんだよ。二人とも無事で本当に良かった。……ミコの事、頼んだよ」
「ああ。……侯輝?」
「ん、ああなんでもないよ、天理。キボリの所に行こ」
トキコが俺の謝罪を気に止めないどころかどこか後ろめたいような表情をしていた。黙ってミコに話した事を気にやんでいるのだろうかと思っていれば、侯輝が少しトキコを見定めるかの様にじっと見ていたので問いかければすぐにパッと表情を明るくして笑顔で返された。
「ああ、行くか。侯輝道案内頼む」
「うん!任せて」
「……ミコ、気をつけてね」
「ありがとうございます、トキコさん!」
トキコに見送られながら裏路地を三人で進んでいく。俺達の事はアカツキの友人としてギャング団に概ね知れ渡っており、以前より安心して移動できたが他にも浮浪者の類いはいる。ミコに気を付ける様に言えば自分を守る事はできますと返された。どうやら見た目に依らず護身術の心得はあるらしい。侯輝の見立てではトキコも一見妖艶さのある美人だが体躯も良く相当強いらしい。アカツキも正規の格闘の心得は無いが体は鍛えられ運動センス抜群で喧嘩殺法でどうにかなってしまうらしい。つまり俺だけがろくに自分の身も守れないのかと苦笑する。
「大丈夫、天理は俺が守るからね!もう絶対誰にも触れさせないから!」
気持ちは嬉しいんだが侯輝に頼ってばかりにもいかないし、この世界に生きるなら護身術くらいは学ばないとなと心に留め置いた。

公園にあるアカツキ団のアジトに辿り着くと見覚えのあるスキンヘッドの団員が俺達を見て案内してくれた。
殺人鬼は公園近くの廃ビルの一室に監禁されているらしく、俺達が近づくとアカツキが尋問しているらしい声が聞こえた。だが殺人鬼の返答は要領を得ず、アカツキもお手上げの様子だった。
「来たか。ダメだ全然話にならねえ」
アカツキに迎えられ俺達がその部屋に入ると殺人鬼は部屋の柱に座った状態でぐるぐる巻きに拘束され項垂れていた。
「兄さん……?」
「……!!!」
「やっぱり……!やっと会えた……!」
「ミ、コ……」
ミコが声を発した瞬間、殺人鬼はガバッと顔を上げると顔を真っ青にしながらガタガタと震え出した。拘束具が食い込むのも構わず逃げ出したいかの様に必死に身を捩る。
「あ、あああ、あああああ!!!」
「ちょっ、おい!落ち着け!」
「兄さん!?」
「あああ!!!ボク、僕は!!」
だうやら殺人鬼の正体はキボリで間違い無い様だが、ミコの声が届かない程にキボリは錯乱しており、俺達はどうしたものかと困惑していた。
「兄さん、お願い、もうやめて!」
ミコは暴れ踠くキボリに構わず抱き締めると声を張り上げた。
「兄さん、ずっと探してた!本当に心配してたんだよ……?」
「ミコ……!ミコ!僕は……!!」
「兄さん。私はもう兄さんのしてしまった事知ってるから。だから、話して?」
「……ッ……ごめん、ごめんよ、ミコぉ……」
ミコが抱き締めながら優しく語りかければキボリは観念したように徐々に大人しくなった。そして少し落ち着いたところでキボリはポツリポツリと話始めた。
「僕は……この街の自然を……美しさを、取り戻したかったんだ……」
優しかったという男がこの世界の自然を取り戻す為に異世界人を殺めるとはどういう事なのだろうか。疑問に思っていればアカツキは何か思い当たるのか「あー……」と反応を示していた。
「ミコはあまり覚えていないかもしれないけれど……」
キボリ曰く、この街は十数年前まで緑溢れるのどかな美しい街だったらしい。多少産業も進んではいたが、聞いた感じでは産業か革命前くらいの文明レベルだろうか。俺達にしてみれば不便ながらも貧富差も少なく穏やかに暮らしていた様だ。ところが十数年前俺達と同じ世界から来た男、アンガスにより様相は激変した。アンガスはこの街に電気で動く機械をもたらした。最初はちょっとした便利な道具を作っては提供し、人々は大いに喜んだらしい。だがそれは次第にエスカレートしていった。アンガスは街の主だった街人の後押しを得、勝手に動く魔法のような機械を操り、この街特有の雷を利用した巨大な発電塔を立て発電所を建設、電力会社エクリプス社を設立した。街は次々に開発され照明が灯り、人々は暗闇を忘れた。
侯輝がコッソリと俺に話しかけてきた。
「ねえねえ天理、この世界の電気、雷で発電してるのかな?そんなのできるの?」
「俺も詳しく無いが、大気電流発電てのがあってだな……理論上できると聞いたことはある。アンガスって奴は電気工学やら化学やらに精通してたんだろうな」
他にもこんな短期間で発展させる為には諸々あるはずだが……俺達がこそこそと話していればキボリが俺達を少し睨み付ける様にしながら続きを語る。この街は便利な自走電動機械によって既存の自然を壊し次々に街を電化させていった。街は常に光灯る白夜の街となった。だが開発はどこからか無計画に進められ、開発はしたものの保守がろくに行き届かず重要施設である中央区や一部の主要区画以外、今の裏路地のようにスラム化してしまったという。技術ばかりが先行してその他が酷くおざなりになり歪になってしまった様だ。
「異世界の技術なんていらなかった!こんな無機質な光る鉄の塊で満たされた街に価値は無い!だから……僕は優しく美しい世界を取り戻したかった!守りたかったんだ!」
守りたかった、か。なるほど、異世界からもたらされた技術を疎み、同じ世界から来た俺達も同類だと思われた。か?その血を引くものですら。これ以上破壊されないように、守りたい一心で新しい何かをもたらす可能性のある俺達を殺しに来ていたのか。来るやつ全員、技師なんて無かろうに。大抵の人間が簡易発電機すら怪しいだろう。だが知らぬ者にとっては分からぬ事であり追い詰められこんな凶行に及んだのだろうか。
「……だからってどうして兄さんが殺めなければならなかったの?」
あんなに優しかった兄さんが、とミコは悲しそうに、辛そうな表情を浮かべながら問いかければキボリは俯きながら答える。
「僕の責任だと思ったんだ……僕が……この世界に来たアンガスを最初に世話したんだ。その後の彼を止めることができなかったばかりに、街の人達は自然を失い、大半の人が生きる元気を失ってしまった……。ここは優しいミコに相応しくない。だから僕は、その責任を果たさなければならないと思って、僕は……」
確かに平和に穏やかに暮らしいてた街が一部分だけ華やかになり、その他は若者がギャング団を結成し自衛しなければならない程に犯罪に満ち、ごみ溜めの様な様相になってしまったきっかけが自分にあったとなれば、その原因となったものを憎み、どうにかしなければと思う気持ちは分からなくもない。
しかし随分と殺人活動をしていた様だが街は変わったんだろうか?ある程度自動的に技術的なサイクルを回せる状態になっているのなら、そのアンガスを殺しても街はすぐには変わらないと思うが。アンガスがこちらの世界に技術教育はしないタイプだったならもう数年待てば機械の劣化で電気施設は壊れるかもだが。本気でやるならあの発電塔を破壊しないとならないだろうが、重要施設はガードが厳しいと聞いたから無理なのだろう。……などと考えていたら横で侯輝が口を開いた。
「ねえねえひょっとして肝心のアンガス本人はまだ殺せてない?」
「!」
侯輝の発言にキボリがびくっと震え、目を見開き驚いた様子を見せた後に目を伏せた。
「……まだ。……エクリプス社から出てこないみたいでアンガスに会えていないんだ」
待て、じゃあ肝心の自然を取り戻すための[[rb:メイン活動 > アンガス殺人]]は全く進んでいない?とばっちりで他の異世界人は殺してるのに?
「だからイライラして理由付けて他の異世界人殺して回ってたとか?」
「!!そっそれはっ……!」
「勘弁してくれ……」
「異世界人にだってダチはいるんだぜ……」
侯輝の更なる発言によるキボリの大きな反応に図星なのかと俺とアカツキが呆れていると、ミコが更に悲しそうな顔をした。しかしアンガスは生きてるのか。エクリプス社にいるならガードは固いのだろう。この世界の現状を見ていると、いくらただ技術を持ち込んだだけとは言えキボリじゃないがちょっと一言言ってやりたくはあるが。
「兄さん……」
「ミコ、違うんだ、僕はただ……ただこの街を救いたかっただけなんだ。ミコに美しい世界を見せてあげたくて……僕は、僕は……」
「兄さんは、何も分かっていなかったのね。私はそんなにまでして何かをして欲しくない」
「ミコ、頼む、信じてくれ、僕は皆に迷惑をかけるつもりは無かったんだ、僕は、僕は本当に……!」
「兄さん!!!」

ミコはそこから延々キボリを説教し続けた。キボリは罪の無い人々の大量猟奇殺人という許されざる事をしている。俺達だって殺されかけた。アカツキは団員を殺され団は苛立っている。そしてこの世界の司法はほとんど中央区の一部にしか適応されていないらしい。
「元の世界なら法律にそって良くて終身刑ってとこだけど……ここだと私刑かな?アカツキ」
「ああ、そうだな、まあ、普通なら処刑だな。俺も団員やられてるし、許すつもりはねえ。だが……」
「だが?」
アカツキはミコに視線を戻す。ミコはキボリに説教を続けながら涙を流していた。段々その言葉も馬鹿だの単純な罵声のみになり、嗚咽混じりになっていた。ずっとずっと会いたかった優しい兄が、こんな風に変わってしまった事に対する悲しみが溢れているのだろう。キボリもただひたすら妹に謝罪を繰り返していた。
「……キボリの気持ちも分からなくはねえ。この街がこんな風になる前……俺のガキの頃は便利じゃなくっても皆楽しくやってた。でも今のガキ共はどうだよっていつも思ってる」
「アカツキとしては……キボリを生かしておいてもいいと?」
「ああ、二度とやらない事は誓って貰うがな。……あいつが死んだら、確実に悲しむ子がいるのに俺には死ねとは言えねえ」
「ふーん……アカツキ優しいね!」
侯輝がアカツキを茶化している。だが侯輝の心中はどうなんだろう。侯輝も標的にされた。お前はどうなんだ?と視線を送れば俺の心中を察した様に侯輝が苦笑した。だが目に少し怒りの色を感じる。
「俺は天理に合わせるよ」
襲われた事を許すつもりはない、だが積極的に擁護するつもりもはない。か。この状況下で侯輝としては最大級の譲歩だろう。俺だって侯輝が殺されそうになった時、キボリ生かして捕らえなきゃならないの忘れてたしな。それにしても。
「……お前俺がキボリを許そうしてると思っているのか」
「違うの?」
侯輝は俺を覗き込む様に小首を傾げて苦笑した。俺が迷っているのを俺が自覚するより見透かしている。そうだ甘いのだと分かっていてもミコを思えば生かしてやりたい。だが生かすとして、二度とやらないと誓わせるとして、ミコがついているのならその誓約は守られると思っていていいだろうか。しかし、何年も狂ってしまう程にこの街の事を思っていたキボリの内に眠る鬱憤はミコの静止だけで今後も抑えられるのだろうか。アカツキも感じている様にこの街の歪はそのままなのだ。
キボリの目指していた自然溢れる美しい世界を取り戻すとすれば、電気のあるこの暮らしを崩壊させる事だ。だがもうある程度根付いてしまっている状況を察するにこれを覆す事はきっと新たな摩擦を生む。それこそ第二の殺人鬼が生まれかねない。キボリにはどこかで折り合いをつけさせなくてはならないだろう。
「……ふぅ」
「あのっ、皆さん!」
侯輝の見守る様な視線を受けながら俺がキボリについて思考を巡らせ小さくため息を吐いているとミコがキボリから離れ涙を拭い立ち上がって深く礼をしてきた。
「この度は無理をして私の願いを叶えてくださって本当にありがとうございました。兄のした事は到底許される事ではありません……処遇は皆さんに従います。私は……兄に会えただけで充分です!」
「ミコ、すまない……」
顔を上げたミコは精一杯笑顔を作っていたが無理をしているのは明白だった。キボリはミコにもう一度謝罪するとあとは頭を垂れ断罪を待つ咎人として静かに俺達の言葉を待っていた。
アカツキは条件付き生存、侯輝は俺の意見依存。あとは被害者である俺の言葉を待ってくれている。ふと俺は滞りなくキボリが生きていけそうな道を一つ思い付いた。だが俺の頭の角でそれは大変だぞと囁いていた。俺も協力しないとならないだろうし、皆の協力も必要だ。
いや、その悩みは後にすべきだろう、断罪を覚悟している者達を待たせるのは酷だ。
俺はキボリに向けて言った。
「キボリ、俺もアカツキの意見に概ね同意だ、二度と殺人は犯さない、それを守れるなら罪滅ぼしだと思って生きろ。ミコには監視兼ストッパーになって貰うから二度とミコから離れるな、も条件だ。大事な妹を一人にしてやるな。で、いいか?二人とも」
「おう!」
「いいと思うよ」
アカツキと侯輝が同意してくれ、これがキボリへの裁定となった。キボリが信じられないという顔をしつつもまっすぐに俺達に向かって宣言した。
「は、はい!誓って二度としません!」
「ミコもそれでいいか?」
「はいっ、兄さんがまたおかしくなったら私が責任を持って止めます!」
ミコに確認すると涙ぐんでいたミコが嬉しそうにそして決意を込めた瞳で返事をした。しかし嫁入り前の年頃の娘に少し酷な話ではある。だから自分でもまだ定まらぬまま言葉を続けた。
「で……その、もう一つ条件を足したいんだが、そっちは皆にも協力して貰う必要があってだな……」
「何なりと言ってください!僕は一度死んだつもりで一生罪滅ぼしをしていく覚悟です!」
俺の案にキボリが決意を示し、アカツキやミコが驚いた顔で俺に視線を向ける中、侯輝は好奇心に満ちた目で俺を見始めた。
「うん、まあそうなんだが、自然愛好家のお前さんから見てこの電飾でキラッキラッしたこの街見ててこれから平気でいられるか?」
「う……それは……辛くないと言えば嘘になります……でももう受け入れていくしか……」
「兄さん……」
受け入れられなかったからおかしくなったんだろうに。折角帰ってきてもそんな顔毎日されたらミコが不憫だろ。思い付いた案は皆に受け入れて貰えるだろうか。逡巡していると俺を見守るように見ていた侯輝が期待を込めた瞳で俺を促してきた。
「で?天理は何を思い付いたの?」
そっと後押しをしてくれるかの様なその瞳に力を得るとその案を告げた。
「キボリ、お前この街の市長になれ」
「……えーーー!!!僕、僕が?殺人者ですよ?僕」
「天理?!」
言われた本人は勿論、アカツキもミコも、そして通常、犯罪者は市政にまつわる職になどつけない事を理解している侯輝も驚いた。まあそうだろう。でもこいつ以上に街の事を思っているやつはいないと思うのだ。カリスマ性のあるアカツキでもいいがギャングとして知れ渡り過ぎている。
「その殺人鬼だがな正体を認知しているのはごく一部なんだよ」
キボリが犯罪者だと認知している人間はここにいる俺達とトキコ、アカツキ団の一部が塗料とゲロまみれで別人の様に歪んだ顔を見た程度だ。
「そっか!黙ってれば分かんないね!天理!」
「そういう事だ」
「ははっ!面白そうだな!」
統治が杜撰なせいで戸籍なんてろくに管理されていないのだ。精々エクリプス社の社員管理くらいしかしていないらしい。キボリが今まで行方不明だった事も、殺人鬼になっていた事も一般人は知らないのである。
「そ、それでいいんですか……?でも……僕が……市長?できるんでしょうか……?」
「いいも何も、お前さん美しい自然取り戻したいんだろ?ミコに安心できる未来を作ってやりたかったんだろ?じゃあやるしかないだろ、それこそ一度、死んだ気で」
キボリは俺の言葉に呆然としながら呟くように言った。
「でも……そんな事……僕に……」
俺はブツブツと呟くキボリの前にしゃがみこむ。
「キボリ、俺はまだこの世界に来てまだ短いがこの街はお前が思っている以上に不健全だ。自然のみならず、このままだとこの街はお前が手にかけた人達の何十倍、何百倍の人達が死んでいくぞ。勿論数の問題じゃないし、お前の罪は晴れないが、この街の統治を放置しておけば皆が殺人者と変わらない。でももしそれが防げるとするなら、それはお前の罪滅ぼしになるんじゃないか?」
革新していく事は誰の目にも素晴らしく見えるものだ。でも土台となる守らなければならないものはある。守るのは難しいし、称賛されにくい事だが。
「僕が……この街を……」
俺の言葉にはっとした顔をするもまだ呆然としているキボリに三人で畳み掛ける。
「ああ。俺もちょっとは協力するから」
「俺もやるよ!」
「そういう事なら俺も協力は惜しまないぜ!ガキ共を笑顔にさせてやりてえ!」
「で、でも……」
決断しきれないキボリの前にミコが座り込むと慈愛を込めた瞳でキボリを見つめた。
「兄さん、私兄さんが頑張るなら全力で応援する!ううん、今度は一緒に頑張らせて?」
「ありがとう……ミコ……皆さん……」
今までずっと待っていてくれていた妹の力強い言葉にキボリは涙を零し何度もうなずきながら声を絞り出した。
「僕……やります……やってみせます……!」

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