風は吹かずとも、愛は吹いている
『風は吹かずとも、愛は吹いている』
夏の風が弱いのは――
空の神がクソ暑さに負けて、風の精霊を過保護に育てたからである。
……そんな神話、どこの教科書にも載ってないけど、本当の話。
「天理」現代に転生した空の神。
スラリとした長身に、白く透けるような肌。
艶のある黒髪は、ほどよく流した7:3分けで、整いすぎていないのに不思議と品がある。
冴えた声と曇りのない眼差しが、その雰囲気に静かな重みを加えている。
凛とした佇まいは、けれど話せば気さく。誰とでも真摯に向き合う、その誠実さが彼の魅力でもある。
そしてその隣にいるのが、恋人の「侯輝」太陽の神の転生体。
陽に焼けた肌、引き締まり躍動感を感じさせる身体、蜂蜜色の金髪は軽く流したツーブロック。
笑えば誰でも心を許してしまうような明るさを持ちつつ、その裏には人を見る確かな目もある。
ちょっと暑苦しいけれど、不思議と憎めない。その熱量が、周囲を、誰よりも天理を、自然とあたためていく。
そんな2人は今、静かに暮らしている――
……かと思いきや、
付き合って数年、関係は順調。というか、もう夫婦。
ある晩、世界がキラキラするレベルの睦み合いの末、風の精霊が生まれた。
「子どもできた!?凄いよ天理!やったー!!」
「え、えっ、ええええ……!?///////」
「「ぱぱー!」」(唐突な自我)
そう、神の力が少し残っていた天理の身体は、
強すぎる愛の放出で“生命”を生み出してしまった。
精霊達はちっちゃくてふわふわで、どこか2人に似ていて――
天理は、溶けた。
「こんなに……尊い……俺が守らねば……」
それ以来、彼は超ド級の親バカに覚醒。
食事は全部手作り、夜は一緒に寝る、寝返りうったら即反応、
風の精霊の体調管理のために室温・湿度・空気清浄度を10分おきにチェック。
「ねぇっ天理っ、俺より大事にされてない!?」
「当然だろ。あいつらは俺たちの愛の結晶だぞ」
「(むしゃむしゃ)(ふにゃふにゃ)」
「うわーん!可愛いけどー!」
ある夏の日。
「たっだいまー!!いやーあっついね!今日の太陽、俺頑張った!」
スーパーの袋を両手にぶら下げ、侯輝がご機嫌で帰ってくる。
部屋に入ると、即もわっと熱気。
その中心で、天理がソファに倒れていた。
「……おかえり。暑かっただろ、ご苦労さん」
「いや天理こそ大丈夫!?干物になりかけてる!」
さらにその足元には、
風の精霊たちが行儀よく扇風機の前に整列中。
「……あのさ」
「ん……?」
「風の精霊って……風を出すやつじゃなかったっけ」
「……」
天理は一瞬静かになり、そして――
真顔で言い放った。
「この猛暑の中で、子どもたちに働けと言うのか?正気か?」
「えっ、う、うん……?」
侯輝、タジる。普段は自分の方がフリーダムなのに、
この時ばかりは完全に押されていた。
「扇風機の風がいいんだよな?な?」
「(コクコク)」
『今日の風、涼しさレベル8.5です』
「あ、こいつ、汗かいてる、保冷剤。こっちは水分補給タイムな」
侯輝(……俺が知らない間に、子どもたちに育児アプリ導入してない?)
かつて空の神として、真面目に世界の風を司っていたはずの天理は――
今では育児日誌3冊目に突入している。
そんな姿を見て、侯輝はそっと台所に向かった。
(俺がしっかりごはん作らなきゃ…)
なお、夜になると、天理はいつもの冷静さを取り戻し、
「侯輝、疲れてないか?」「無理してないか?」と逆に心配してくる。
でも精霊たちが「ぱぱ~おやすみ~」と寄ってきた瞬間、
即テンションMAXで寝かしつけ大会が始まる。
侯輝はその光景を眺めながら、そっと思うのだった。
(夏の風が弱いのは、高気圧とかじゃなくて――
天理が親バカすぎるからだって、もう常識だよなぁ…)
風は吹かない。
でも、愛は吹きまくっている。
*甘い夜のひととき*
扇風機がやさしく回る、夏の夜。
静かに眠る風の精霊たちのそば、
カーテンがゆっくり揺れて、月の光が床に伸びている。
天理はソファでうとうとしていた。
その表情はどこか安心していて、涼風に髪がふわりとかすかに揺れている。
その頬に、そっと指が触れた。
「……寝てる?」
侯輝の声は、誰にも聞かせたくないくらい優しい。
「寝たふりしようと思ってたけど…お前の声で起きた」
天理は目を開けて、少し照れくさそうに微笑んだ。
侯輝はそのまま、彼の隣に腰を下ろす。
肌が触れるくらいの距離。何も言わず、しばらくお互いの体温を感じ合う。
「……さ」
「ん?」
「言ってもいい?」
「……言われなくても、嬉しい気がする」
「でも、ちゃんと言いたいんだ」
侯輝は照れ笑いしながら、天理の手を包み込んだ。
「天理、大好き。今日も、明日も、きっとずっと」
天理は一瞬、呼吸が止まったように見えた。
そして、恥ずかしさをごまかすように目を逸らす。
「……お前は、そうやって、ずるいぞ」
「ずるくてもいい。俺の気持ちだから」
「……俺も、ずっと好きだぞ。侯輝」
2人の指が、絡まる。
そのままそっと額を寄せ合って、ただ目を閉じる。
言葉の代わりに、鼓動が伝わっていく。
静かな夜の中で、唯一甘く響いていたのは、
お互いの存在を確かめ合う、そのリズムだった。
風の精霊たちが、寝返りをうちながら「ん~」と幸せそうな寝言をもらす。
天理は微笑み、侯輝の肩にそっと頭を預ける。
「……お前がいれば、風が吹かなくても、十分すぎるほど涼しい」
「俺は天理がいれば、どんな季節でもあったかいよ」
夏の夜。
風は眠っていても、2人の時間だけは、優しく吹き続けていた。
*夜の闇を抱いた太陽*
夜。
侯輝はベランダに出て、ひとり空を見上げていた。
星がまばらに散り、雲が静かに流れていく。
空は、ただそこにあった。
変わらず、広く、静かで――眩しくない。
自分は、眩しすぎる太陽だった。
明るく笑って、みんなを照らして、
天理にだっていつも元気で、前向きで、そういう存在でいなきゃって思ってた。
……でも。
「俺、ほんとはけっこうダメだよね」
自分でも驚くほど静かな声が出た。
誰に言うでもない、吐き出すようなひとこと。
「昔からさ、明るいね、元気だね、って言われて…でもさ」
「“元気”って仮面、けっこうしんどい時もあったんだよね」
手すりに手を置いたまま、ゆっくり息を吐く。
「だって、俺が落ち込んだら、みんな困るでしょ。太陽が沈んだら、皆、困るし?」
その時。
背後でそっと扉が開く音がした。
「――誰も困らないよ。俺は、困らない」
ゆっくりと隣に立つのは、天理だった。
薄い部屋着姿のまま、涼しい夜風に髪をなびかせながら。
「…聞いてたの?」
「たまたま目が覚めたら、お前がいなくて。……気配で、わかった」
天理の手が、侯輝の背にそっと触れる。
温かくて、優しくて、広い。まるで空のようだった。
「光が強ければ、影もできる。……でもな。その影もまるごと、俺は抱きしめたいよ」
侯輝の目から、涙が一粒落ちた。
声に出して泣くわけでもなく、ただ静かに、こぼれる。
「……そんなこと言われたらさ。安心しちゃうよ」
「いいよ。してくれ」
天理はそのまま、侯輝の肩を抱き寄せた。
星空の下、2人はただ静かに立っていた。
侯輝の胸に渦巻いていた影が、少しずつ空に溶けていく。
その全てを、天理がまるごと受け止めてくれていた。
太陽はまた、昇る。
でもその夜、闇に沈んでも――空は、そこにいてくれた。
*空は今日も振り回される*
朝。
天理は静かにベッドを抜け出し、キッチンで朝ごはんの準備を始めていた。
トースターが「チン」と鳴るタイミングで、
後ろからドサッと抱きついてくる影。
「てーんりぃ~……起きたらいないの寂しい……」
「重いぞ。お前は犬か」
「くぅーん♡」
「その甘え声は朝のテンションじゃない」
侯輝は全身で甘えながら、すでに天理の首筋にすりすり。
天理は邪険にしながらも、くすぐったそうに皿を並べ続ける。
「ほら、トースト。起きて5分以内に食わないとエネルギー切れるんだろ?」
「さすが天理~!俺の体のこと、誰よりも知ってる~!」
「……一応恋人だしな」
「……結婚しよ?」
「もうしてるようなもんだろ」
「じゃあ式あげよ?」
「何回挙げるつもりだ」
そんなやりとりが毎朝続いている。
昼。
スーパーで買い物をしていると、侯輝が突然走り出す。
「天理天理!見て!このスイカ、めっちゃ可愛くない!?」
「スイカに可愛いとかあるのか」
「ある!!見てこのフォルム!これ絶対精霊化できる!」
「お前はすぐ何でも精霊にしたがる」
買い物かごはいつの間にかお菓子だらけになり、
天理が静かに「これは却下、これも却下」と取り除いていくのがいつもの流れ。
「ぱーぱーぁ、これ買ってよぉー」
「お前のぱぱになった覚えはないっ」
夜。
お風呂から出てきた侯輝が、タオルを巻いて飛びついてくる。
「天理ぃ~、髪乾かして~」
「自分でやれ」
「えー、乾かしてくれると寝つきがよくなるんですぅ~」
「甘やかしたらどんどん図に乗るくせに」
「だって、天理の手、気持ちいいんだもん」
天理はため息をつきながらも、
ドライヤーを取り出して、丁寧に侯輝の髪を乾かす。
風に揺れる髪の間から、
侯輝がそっとつぶやく。
「えへへ、いつもありがと」
「……なんだ、急に」
「こうしてると、全部包んでくれてる気がする。天理って、ほんと空みたい」
天理はドライヤーを止めて、静かに微笑んだ。
「お前が太陽なら、空は必要だろ」
「……うん。でも俺の空は、優しすぎて困る」
「お前が奔放すぎて困る」
「ふふ。じゃあバランス取れてるね」
侯輝が笑って、天理の胸に顔をうずめた。
「今日も振り回して、ごめんね」
「いいさ。お前が笑ってるなら」
どこまでも広い空と、
どこまでも明るい太陽。
今日も、明日も、バカみたいに愛し合ってる。
*風が踊る、秋の午後*
秋の風が街を包みはじめた頃。
木々が少しずつ色づき、空は高く、涼しくなってきた。
それは――風の精霊たちのちょっとした“目覚めの季節”でもある。
「てんりー!見て見て!すごくいい風きてるー!!」
侯輝の元気な声が、窓の外から響く。
ベランダには、ミニサイズの風の精霊たちが
くるくる、はらはらと舞う木の葉と一緒に、小さな旋風を巻き起こしていた。
「いくぞー!風スピン!木の葉シャワー発動~!」
「きゃはは!回るー!」
「うまく円を描いてー!はいっ、右フック!」
風の精霊たち、めちゃくちゃノリノリ。
侯輝もその真ん中で大はしゃぎ。
秋の太陽に当たりながら、笑顔がキラッキラしている。
その様子を室内から眺めていた天理は、
ソファに座りつつも、ふっと頬を緩めた。
「……まぁ、これくらいなら、活動許可出してもいいか」
精霊たちは夏の間ずっとゴロゴロしてたし、
涼しくなったことで、ちょっとずつエネルギーも戻ってきている。
それに、ああやって楽しそうな侯輝を見ると――
心が自然と、穏やかになる。
夕方。
ひとしきり遊び終えた一同は、落ち葉を片付けながら、
侯輝がふとポケットから焼き芋を取り出す。
「てへ。実はさっき、通りすがりの屋台でゲットしてた~!」
「隠し持ってたのか……」
「えへへ、天理と精霊のみんなで食べようと思ってさ」
ベンチに座って、手渡された焼き芋。
天理はひとくち頬張ると、ふっと笑った。
「……甘いな」
「でしょー?!秋って最高!」
「お前と精霊が一緒に“うまっ”って顔してるだけで、今日もいい日だったって思うよ」
「……軽く言ってるようで、そういうとこ、ずるい」
「でも嬉しいんだろ?」
「……うん。嬉しい」
夜。
精霊たちは遊び疲れてコテンと寝落ち。
落ち葉の中でスヤスヤ。
天理と侯輝は、毛布を羽織ってベランダに並んで腰かけていた。
風が優しく頬をなでる。
「夏はダメだったけど……秋の風は、いいな」
「ね、いいよね。ちょっと涼しくて、ちょっと切なくて、でも心地いい」
「……お前みたいだな」
「え、俺!?秋!?色気ある!?繊細!?儚い!?」
「うるさい。調子に乗るな」
「でへへ……でも嬉しい」
侯輝が甘えるように天理の肩に頭を預ける。
天理はそれを、そっと支えるように抱き寄せる。
空に浮かぶ月が、2人の影を静かに並べていた。
秋風は、少しだけ精霊たちを動かし、
2人の距離を、もっと近づける。
そんな季節。
*星が近づく、冬の夜に*
冬が来た。
空は澄み渡り、夜になると星がはっきり見える。
風は冷たく、地面を吹き抜けるたびに落ち葉がカラカラと転がっていく。
そんな中。
「さっむ!!死ぬ!!無理!!!」
コタツの中で丸まりながら叫ぶ侯輝。
上半身だけ出して、毛布をがっつり巻き、動かない。
「天理~~~お茶~~お茶が~~ぬるい~~~……」
「……温めてくればいいだろ」
天理はコートを羽織りながら、マフラーを巻いている。
「いや無理……俺コタツから出たら死ぬ体質なんだ……人間じゃないから……」
「お前は元太陽神だろうが」
「太陽だって冬は控えめなんだよぉ~~~……」
天理は苦笑しつつ、魔法瓶に熱い紅茶を詰め始めた。
「今日は空、きれいに晴れてる」
「星か……見に行くんだ?」
「うん。お前も来るか?」
侯輝はしばらく悩んだ顔をして、
毛布の中から片手だけ出して、天理の袖を引っ張った。
「……一緒にコタツで星見るとかじゃダメ?」
「見えん。屋根あるから」
「だよねー!でもひとり残るのもやだー!」
「ふふっ防寒しろよ?」
外。
息が白くなる。
吐くたびに空に浮かぶ、小さな雲のよう。
ふたりは並んで歩く。
天理は寒さにも負けず、どこか嬉しそうだった。
「……星、たくさん出てるね」
「ああ。冬は空気が澄んでるから、光がよく通る」
侯輝がふと、空を見上げて言った。
「……もしかしてさ、冬の空がこんなにきれいなのって」
「ん?」
「天理が冬、好きだからなんじゃないかなって」
「……お前、詩人か」
「違うよ。恋人だよ」
天理は思わず吹き出した。
「それは……まぁ、悪くない」
星を見上げながら、天理が静かに目を細めた。
「星って、距離があるのに、光は届くんだよな。……不思議だ」
「うん。でも、ちゃんと届いてる。……天理の想いも、俺に届いてるよ」
「っ……寒くないか」
「ちょっと寒いけど、天理と一緒なら大丈夫。照れた天理あったかいしね」
「うるさい」
侯輝がそっと差し伸べた手はしっかりと握り返されていた。
帰宅後。
侯輝は即コタツにダイブ。
「しんだ……寒すぎた……天理に看取られて死ぬかと思った……」
「今こうして生きてるなら、あの星空を見た甲斐はあるだろ」
「うん……ロマンティックだった……コタツが」
「違うだろ」
侯輝は天理の膝に頭をのせ、うにゃうにゃと甘える。
「でもね、俺ほんと、冬苦手なんだけど……天理が冬に元気なの、ちょっと嬉しいんだ」
「……どうして」
「なんか、冬の空見てる天理って、ちょっとだけ神様っぽい。
いつもより、ずっと遠くて、きれいで、好きになる」
天理は一瞬だけ目を見開き、そして、
「……あぁもう」
毛布をひとつ大きく広げて、侯輝ごと包み込んだ。
冬の空が澄んでいるのは――
空の神がこの季節を、心から愛しているから。
そこに、愛する人がいるから。
*風の精霊たち、冬を駆ける*
(風の精霊・いちばん年上の子の視点)
冬の風は、冷たいけれど――
ぼくらにとっては、すっごく特別な季節なんだ。
だって冬の風って、走ってるだけで体がシャキッとして、
ぐんぐん力が伸びていく気がするんだもん!
天理ぱぱは「成長期か?」って呟いてたけど、
その通りだよ。きっとそう。ぼくら、今すっごく元気!
今日も、街を吹き抜ける風の中でぼくらは走ってた。
落ち葉を巻き上げて遊んで、木の間をスラロームして、
屋根の上をピューって滑って、ちょっとだけ高い空に手を伸ばす。
気持ちいい。冬って、最高。
でも、風が強くなると――
ひとつだけ、心配ごとがある。
天理ぱぱの身体は、冷えやすい。
ぼくらが元気に吹きすぎると、
ちょっと寒そうに眉をしかめる。
ごめんって思う。だって、寒いのに夜の空を見に行こうって外に出るんだもん。
ぼくらが止めても「空が綺麗だから」って、ふわっと笑って。
侯輝ぱぱがそのたびに、
「寒いなら家で見よう!家の中で星空見よう!」とか
よくわからないことを言って引き止めようとするんだけど、
結局ついて行って、一緒に凍えてるの、ほんと笑っちゃう。
でもその後、コタツの中でふたりがギュッてくっついてるのを見ると、
あぁ、これが“あったかい”ってやつなんだなって思う。
天理ぱぱは、どこまでも広い空みたいで、なんでも受け止めてくれる。
侯輝ぱぱは、太陽みたいにまぶしくて、見てるだけでこっちが元気になっちゃう。
だけどその光は、時々疲れちゃうこともあって――
天理ぱぱは、ちゃんとそれをわかってる。
逆に、天理ぱぱの体温がどんどん冷えていくと、
侯輝ぱぱが全力で抱きついてあっためようとする。
ぼくらは、そのふたりを見てるのが、好きだ。
風に乗って、空を飛びながら――
「この星空の下には、あのふたりがいる」って、
なんかそれだけで安心できるんだ。
あ、あとね。
冬の夜にそっと吹いた風が、
天理ぱぱの頬を撫でて、侯輝ぱぱの髪をくしゃっと遊ばせて――
ふたりが顔を見合わせて微笑んでくれたら、ぼくらはその日、大満足。
「よし。今日もいい風だったな」って、勝手に自分で褒めちゃう。
風は、ただの空気の流れじゃない。
ぼくらは、ふたりの愛の中で生まれて、育って、
そして、いま、冬の中で――風になる。
*風、旅立ちの春*
春が来た。
桜が舞い、柔らかな風が街を包む季節。
一年という時が、静かに流れた。
風の精霊たちは、あの日――天理と侯輝の間に生まれ、
季節を越えて、愛の中で育ってきた。
最初は扇風機の風に甘えていた子たちが、
今は自分たちの意思で、空を舞い、風を起こし、
人の髪を優しく撫で、木々の声を運ぶ。
一言で“風の精霊”といっても、みんなそれぞれ違った。
おっとりしてるけど空の流れを読むのが抜群に上手な子。
やんちゃで突風ばっか起こすけど、誰よりも仲間想いな子。
小さくてふわふわしてた末っ子は、静かな風を届ける名手に。
自由で明るく、いたずら好きな子は、まるで侯輝そのもの。
天理の穏やかでまっすぐな育て方と、
侯輝の明るくて、自由で、愛情深い言葉が――
彼らの“心”を形作っていた。
そして今日。
旅立ちの日。
ふたりは、咲き誇る桜の下に立っていた。
その肩には、小さな精霊たち。もうすぐ“空に還る”準備ができた彼ら。
「……ここまでよく育ったな」
天理は、静かに言った。
声は普段通りの落ち着いた調子。けれど――
指先はかすかに震えていた。
目元には、決してこぼれない涙の光。
「……空に還っても、誇りを持て。自分の風を信じて、生きろ」
ひとりずつに言葉をかけながら、精霊たちを手のひらから放していく。
「じゃ、俺の番!」
侯輝は大きく息を吸い込んで、笑った。
「みんな、最高だったよ!めちゃくちゃ可愛かった!これからは世界をビュンビュン走ってくるんだよ!」
「でもたまには家にも風、吹かせに来てね!」
精霊たちは「うん!」と笑い、
天理の目元をちらっと見て、そっと顔を伏せた。
そして、最後のひとり――
一番小さかった、ふわふわの子が、天理の前に立つ。
「……ぱぱ、ありがとう」
「俺は、今日から“風”として、ちゃんと生きる」
天理は、しばらく言葉が出なかった。
やっとのことで、笑みを作る。
「……うん。行け。お前はもう、立派な精霊だ」
手のひらから、ふわりと離れていく光の粒。
桜の花びらと一緒に、空へと舞い上がる。
そして――
「……あ」
天理の目から、ひとすじの涙が、落ちた。
「……っ、くそ……最後まで泣かずにって……思ってたのに……」
侯輝が隣から、そっと手を握る。
「泣いていいよ。だって、あれ、全部俺たちの子だもん」
精霊たちは、空へ。
それぞれの風として、旅立っていく。
でも、忘れない。
あの扇風機の風を、
あのコタツのぬくもりを、
ふたりの笑い声と、
包んでくれた愛のすべてを。
春風が舞うその空は、
あのふたりが愛し合った証でできていた。
どこまでも行け、風の精霊たち。
君たちはもう、“愛から生まれた風”だ。
*風は、それぞれの空へ*
精霊たちは、空へと旅立った。
――真面目な子は、朝の風を届けていた。
東の空から規則正しく吹き、世界を目覚めさせる仕事に就いた。
「ぱぱが教えてくれた通り、毎朝同じ時間に、やるんだ」って胸を張る。
――ある子は、台風に憧れた。
でっかくて、自由で、圧倒的な力を持つ存在に。
もちろん台風そのものにはなれないけれど、
低気圧の回りをくるくると、元気よく吹き回るのが得意になった。
――そして、ふと人の頬を撫でるだけの、やさしい風もいた。
誰にも気づかれず、そっと倒れた人に冷たい風を運んだり、
涙を乾かす風になったりしていた。
みんな、それぞれの空で、“風”としての人生を生きていた。
でも、その心の奥には――
必ず、あのふたりの教えと、あたたかい日々が息づいていた。
*そして残された空と太陽*
ふたりの元から精霊たちが旅立って、
家の中は、急に静かになった。
天理は、いつものように穏やかで冷静に振る舞っていたけど、
侯輝はなんとなく、察していた。
洗濯物の数が減ったこと。
朝、つい人数分のお皿を並べようとして止まること。
ふと、扇風機の前に誰もいないこと。
それが、ちょっぴり寂しい。
けれど。
ある夜、ベランダで星を見ていたふたり。
久しぶりに、誰にも邪魔されない静かな時間の中。
侯輝が天理の肩にそっともたれて、にやりと笑った。
「ねぇ……また、子ども作っちゃう?」
「なっ……な、なに言って……っ!」
天理は顔を真っ赤にして視線を逸らす。
でも、その目元に、やわらかな笑みが浮かんでいた。
「……まんざらでも、ないよね?」
「……言わせるな」
「ふふ、やっぱ俺、天理好き~」
そして、ふたりは手を繋いだ。
ふたりの間にまた、新しい風が生まれるかもしれない。
それは、未来の話。
*夏風再び、そしてその真相*
扇風機がうなる夏。
空には高気圧が居座り、蝉の声がひたすら響く。
天理は例によって、ソファで溶けかけていた。
「……あづい……あいつの力、元気良すぎ……」
タオルを額に乗せて、じっとしている。
そんな中。
ガチャッ。
「たっだいまー!!ほら、スイカとアイスと冷やし中華!」
侯輝が満面の笑みで帰ってきた……と思いきや、
「おかえりー!侯輝ぱぱ!」
「わーいアイスー!これ大人の味!?抹茶!?わーい!!」
「わぁっ!?君らっ、今年も!?また全員集合してんの!?」
玄関からわらわらと現れる、歴戦の風の精霊たち。
去年よりちょっと大人っぽくなった顔、でもテンションはそのまま。
「夏はやっぱり、ここが一番だよね~」
「だって夏は休みでしょ?天理ぱぱが教えてくれた!」
「そうだそうだー!」
侯輝は悟った。
(……夏の風が弱い理由、追加されたな)
その1:天理の“夏は休め”教育。
その2:愛の巣への精霊たちの里帰り。
=風の供給が地球からごっそり減る。
完璧な親バカコンボ。
もはや気象庁も知らない真実。
「……お前ら、もう少し静かに……暑いんだ……」
ソファの上で、限界モードの天理が手を振る。
「ぱぱ!お土産話聞く?!」
「この前、風車にぶつかって吹き飛ばされたんだよ!」
「南国のスコールにも巻き込まれて!見てこれ、羽の色ちょっと変わった!」
「……お前ら……元気すぎ……」
目を閉じながら、天理は小さく笑った。
「……でも、よかった……無事で、元気で……ちゃんと、戻ってきてくれて……」
疲れた顔のまま、ぽつりとつぶやいたその一言は――
扇風機の風よりもずっとやさしかった。
精霊たちは、ふわふわと天理のまわりに集まり、
そっと肩や膝に乗る。風は吹かせない。暑いから。
でも、存在だけで癒せるってことを、彼らはもう知っていた。
侯輝はその光景を眺めながら、静かに笑った。
「……ねえ天理」
「ん?」
「子どもたち、ほんといい風になったね」
「……ああ。そうだな」
「で、またつくっちゃう?」
「なっ……!?」
天理は顔を真っ赤にして、思わず抱えてたタオルをかぶる。
「お前は、ほんと……」
「俺は天理が好きだから仕方ない!」
「……俺も馬鹿か……」
でも、その声にはちゃんと笑みが混じっていた。
こうして今年も、夏の風は弱くなる。
だって、風の精霊たちは――
世界一あったかい“帰る場所”に、全員集合してるから。
最高の夏。
愛と笑いとぐったりが交差する、
世界でいちばん幸せな、風の止まり木。