12.カラフル対応AI
侯輝と天理が土護に所謂婚前挨拶を済ませた翌早朝、朝食後、天理と侯輝は都への帰り支度をしようとしていると玄関の呼び鐘が慌ただし気に鳴り、神殿の神官らしき男が名を告げながら声をあげた。
「朝早く申し訳ありません![[rb:土護 > ともご]]神殿長はいらっしゃいますか?!至急の連絡があります!」
訪れた神官に土護が対応すると土護は顔を真っ青にして告げた。
「大変なことになった。病魔の遺跡から[[rb:土実 > ともみ]]と[[rb:土花 > ともか]]が帰って来ていない」
「え!いつも通り対処できるんじゃなかったの?!」
侯輝は昨日受けていた説明から姉達の緊急事態に驚きの声を上げ、天理も心配そうな顔を土護に向けた。
「何かイレギュラーな事態が発生しているのかもしれない。詳しい状況が分からない。俺は神殿に向かう…万が一の事がある二人は早くこの街から」
「俺も土護兄に着いてく!土実姉と土花姉に何かあったなら関係なくないよ!放って帰るなんてできない!」
土護が言い終わる前に侯輝が話を遮る。万が一…3人に共通して8年前の悪夢が思い起こされた。
「俺もついていこう。力になれるかもしれない。俺もこのまま帰る事はできない」
天理は侯輝に続き自分もと同行を申し出た。土護は一瞬迷ったが二人の決意した表情を見て決意を固めた。
「……わかった。一緒に行こう。二人ともありがとう」
3人は病魔の遺跡に探索に向かう可能性を考慮し身支度を整えると神殿に急行した。
土護は待ち構えていた部下の神官に入り口近くの医務室に案内される。遺跡から辛うじて帰ってきたという、姉妹を護衛する為に共に病魔の遺跡に出向いていた治療中の冒険者から状況を確認した。冒険者曰く、病魔の遺跡から常にない瘴気が溢れだしており、遺跡の奥に手に負えない相手がいるらしい。姉妹は遺跡に残り状況を知らせる為、自分一人をなんとか脱出させてくれたとの事だった。姉妹が言うには、遺跡を封じる聖清石でまだ辛うじて持ちこたえているがいつまで持つか分からないという。帰還した冒険者を治療していた神官は冒険者の病状が直接的な外傷によるものでなく、瘴気を浴びた事による病気に近い事を告げた。いよいよ悪夢の再来を予感させる。
「土護、瘴気なら俺の風の精霊で防ぎながら進める。土実と土花を助けられるはずだ」
「土護兄!早く行こう!」
「分かったすぐ準備する!」
土護は厳戒態勢を敷くべく他の神官へ指示し、市長と冒険者ギルドへの緊急の使いを出す。病魔の瘴気が街中に溢れだす事があれば体の弱いものは逃がさなければならないのだ。土護が指示を出し、予備の聖清石を準備する間、天理は一刻も早く姉達を助けに行きたいと焦る侯輝を宥めつつ、病魔がもたらす病気について治療にあたっていた神官から、この8年間で何か対策や解明が進んでいたのか万が一に備えて、情報を集めていた。
素早く移動する事とこれから救出する二人が移動できない状態である可能性を踏まえ冒険者ギルドで荷馬車を借りる。既にギルドには緊急通知が届いており慌ただしい雰囲気が漂っていたが、先に別途連絡しておいた為すぐに借り受ける事ができた。そして荷馬車をすぐ出せる様、準備して待っていたのは不知火だった。
「私も着いていきます!私も力になれると思う!」
「話には聞いたと思うが今回の件は大変危険だ、年若い君を連れて行く訳にはいかない。できれば冒険者として避難誘導の手伝いをしてもらえると助かる」
土護は年若い女子の参加を否定した。だが不知火は予期していたのかすぐさまギルド証を呈示し、自分の年齢と冒険者ランクを明かした。年齢は土護と天理の一つ下でしかなく、ランクは侯輝より二つも上だった。侯輝と同じくらいの年齢だと思っていた3人はそれぞれ多かれ少なかれ驚きの色を見せた。
「構わないんじゃないか?実力は問題なし、手が借りれるなら願ってもないだろ?」
「そうだよ!それに急がなくちゃ!」
土護は天理と侯輝の言葉と不知火の真剣な眼差しに負け、「すまない、よろしく頼む」と同行を認めた。
4人になった一行は遺跡に向かう馬車を走らせながら連携の為、お互いの能力を確認し合う。不知火は戦士であり火の精霊使いであった。街への移動の際に、天理が見た彼女の剣技が炎が舞っている様に見える様は、彼女の精霊力がダブって見えていたのかもしれないと思い至る。侯輝にも稀に起こる現象だが発動無しで溢れて見えるくらいであれば彼女は相当な火の精霊適性があるのだろう。実直そうな彼女の振る舞いの中に熱い魂が宿っていそうな雰囲気を感じさせた。また天理が本業は学者であり、希少な4属性精霊適性持ちである事を伝えると驚くと同時に何かを思い出そうとしていた。
土護が操る荷馬車が人里離れた丘の上に進む。病魔の遺跡に近づくにつれ瘴気が薄っすらと漂ってきた。荷馬車を安全そうな所に繋ぎそこからは徒歩で急ぎ進む。
土護は今までも遺跡を何度か確認した事があったが、これほど濃くなるのは初めてだった。もし妹達がまだ聖清石で持ちこたえていてこれなのであれば相当まずい状態である事を皆に伝え、愛する妹達の安否を心配した。
「大丈夫だよ!土護兄!二人は絶対助けられるから!」
不安が顔に出てしまっていた土護に侯輝が力強く励ますと土護は今は目の前の事に集中しようと気持ちを引き締めた。
病魔の遺跡に近づく程に瘴気が濃くなり天気は快晴で日も登って来てきているのに、辺り一面がまるで夜の様に暗くなっていた。侯輝が光の精霊魔法で周囲を照らし進む。瘴気をまともに浴び続けていればひとたまりも無いと、天理は[[rb:風の精霊 > シア]]を呼び出すと清浄な空気のフィールドを自分達の周りに展開させた。
「土護、知っていると思うが俺は魔力がそう持たん。まずは急いで妹達を探し退避させるぞ」
天理は魔力回復用の魔畜石を用意しておきたかったが、生憎できなかった。土護の神聖魔法によりある程度魔力の融通はできるが、もし戦闘になればその余裕も無くなる可能性があったのだった。
遺跡建物内部に侵入する。遺跡から帰還した冒険者の情報によると、遺跡内部最奥、かつて病魔が居座っていた広間を瘴気を封じる祭壇として改築を施した広間に姉妹は残っているとの事だった。元は何かの施設だったと思われる2階建ての遺跡内部は小部屋は多いが通路はほぼ一本道で迷う事はなく、定期的な儀式の為通路は最低限整備されており、何度か通った事のある土護のナビもありスムーズに進めた。
途中小部屋からアンデッドの類が襲ってきたが、神官戦士である土護、[[rb:光の精霊適性 > 歩くターンアンデッド]]持ちの侯輝、アンデッドに有効な炎の精霊適性のある不知火の3人が居たため、天理はシアの維持だけに集中できた。侯輝が居なければ本当はもう少し面倒だったかもしれない。
目的の部屋にたどり着く直前、一体の青年の霊がさ迷っていた。侯輝が居るにもかかわらず出てこれるという事は強力な霊という事になる。侯輝、天理、不知火が警戒を強めていると土護が静止した。
「みんな、あの霊は放っておいていい」
「え?大丈夫なの?」
土護はこの遺跡に通う内にその霊とは何度か遭遇した事を語る。哀れなさ迷える霊を土護は神官として神に鎮魂を願おうとしたが、全く効かなかったのだった。辛うじて話す事もできる程、強力な霊だったが、言葉が通じず、特に悪さもしなかったので存在が暗黙となっている事を説明した。
「俺がもっと徳を積んだら彼を鎮魂できるかもしれないが今は先を急ごう」
土護に促され一行は儀式の間に進む。青年の霊の横を通り過ぎる時、土護の言う通りその霊は何かを呟いているのが聞こえた。
『…エ……どこ……もう一度……たい』
天理は微かに聞こえたその言葉が古代語で話されている事に気づく。掠れた声から辛うじていくらか単語を聞き取れたが、天理が聞き取れたのはそこまでで後は何を言っているのか分からなかった。遺跡にいる霊なら古代語を話す可能性はあるだろうがそうなると数百年はさ迷っている事になり、相当な未練があるのだろう。土護は敬虔な神官だが、そうなると徳を積んでも神の力に頼った鎮魂は難しいかもしれない。だが言葉が分かる自分が仲介に入れば鎮魂が可能かもしれないなと天理は頭の片隅で思った。だが今は姉妹の救出が先だと頭を切り替えていると一瞬、その霊がこちらを見た気がした。
最奥の儀式の間に辿り着く、横開きの大きな扉を開けるとそれまでの小部屋と異なり20畳程もあるの広さの部屋の中心に、かつて土護と侯輝の両親が命懸けで設置した瘴気を封じる為の基盤となる一抱え程の大きな聖清石が鎮座しており、その脇で双子の姉妹が定期儀式用の小さな聖清石を握りしめ祈る様に並んで倒れていた。その二人を守るかのように白い光が覆っていたが聖清石からビシッと音がすると共に光は霧散していき大きな聖清石に少しひび割れが入った。辺りには姉妹が倒したと思われるもう動かぬゾンビやスケルトンの類が転がっている。
「土実!土花!」
土護と侯輝は慌てて駆け寄りまだ姉妹に息がある事を確認し、土実と土花をそれぞれ抱きかかえる。駆け寄る二人に離れない様ついてきた天理の作るシアの清浄な空間に入ると姉妹は少しだけ呼吸が楽になったのか、揺すってみると二人は力なくも意識を取り戻した。
「父?…兄、さん…」
「もしかして…侯輝?」
「土実、頑張ったな、もう大丈夫だからな」
「良かった!そうだよ!侯輝だよ、土花姉!」
土実は敬愛する兄が助けにきた事に安心して微笑み、数年ぶりに侯輝に再会した土花もすぐに弟だと理解し微笑んだ。
土護がとり急ぎ回復魔法を唱えようとすると土実に手を止められた。
「兄、さん…回復は…効かない…」
「それ、より…気をつけて…」
「土護、ここじゃ治療しにくいだろ。予定通り一旦引く…」
「危ない!」
土花が注意を促し、天理が言いかけていると双子に襲い掛かろうとしていた何かの腕を不知火が警戒の声と共に切り落とした。
見ると真っ黒な瘴気が凝縮した様なヒトの姿をした全長3メートル位の何かがそこに居た。ソレは一旦引くと動かぬ死体を貪り食い始めた。吐き気を催すようなその光景に一行は青ざめまたは嫌悪感を露わにする。不知火はそのままソレを阻む様に前に立ち、侯輝は土花を一旦横たえさせると剣を放ち不知火に倣って前に立つ。
「何なんだ……アレは……」
「兄さん…あれが…きっと8年前父さんと…母さん達の封印から…逃れた病魔の本体…生き残りだと思う」
「8年かけて力を蓄え、復活したんだと思う…ごめんなさい…私たちが倒した死体を食べて更に力を付けてしまった」
「あいつが瘴気の源…病魔か……」
姉妹の話を聞き、天理は倒れた姉妹を連れて一旦撤退するプランを諦めた。まず今までこの病魔が遺跡からは出てこなかったのに姉妹を襲ってきた所を見ると病魔を封じる聖清石の効果はまだかろうじて生きており、病魔の狙いは姉妹が持つ聖清石の破壊と儀式を行う姉妹の殺害だろうと判断した。殿と一時撤退組で二手に別れられれば良かったが、濃い瘴気に満ちた遺跡に残るなり脱出するには清浄な空気の空間を生成できる自分が居なければならず、それは叶わない。病魔が出て来てから瘴気が更に濃くなり、天理は自分達の周りの空間の清浄化だけで手一杯になっていた。ならば今、病魔をここでどうにかするしか全員帰る方法は無いと天理は考えた。
あっという間に死体を食い終わった病魔は切り落とされた腕を瞬時に復活させる。前の腕より僅かに太くなった腕。四つ足姿勢となり、まるで老婆のような声で威嚇するように何かを叫んだ。
『次はオマエラカ!?』
「っ…!え?」
「「ぅぅっ……」」
それだけで全員が軽い吐き気を覚え、特に倒れている姉妹が苦しそうにする。
「何言ってんのあれ!すんごく気持ち悪いよ!あれが父さんと母さん殺した元凶?」
侯輝が敵意を燃やし、不知火が静かに敵を見据え、土護が姉妹を守りつつも警戒する中、天理は病魔の叫びが分かりにくいが古代語で叫ばれた事に驚く。
(人の言語を理解し、話せるのか?)
「あいつの言葉、古代語だ…あいつと交渉できるかもしれない。次はお前らか、だと」
「古代語?じゃああいつと話せるの?!でも今更交渉なんて!」
侯輝達の両親だけではない。8年前一体どれだけの人々が犠牲になった事か。侯輝は憤りを表しながらも剣を構え病魔の動きに備え集中する。
皆の気持ちを考えれば確かに今更ではあった。だが8年前、そもそもなぜこの遺跡にこの病魔が現れたのか未だに分からずじまいなのだ。辛うじて封印できていたが根本的に解決する方法があるなら天理は交渉にかけてみたかった。
「分かってる。けど、やれる事があるなら全部やっておきたい。病魔と話させてくれ!」
土護は急を要する状況にありながらも、天理が例えどんな相手であろうと理解し受け入れようとする姿勢が今も昔も変わらず、それは自身の信仰する大地の女神の教えにも通じる所があって嬉しく思った。それを本人に言うと「どうせ甘いって言うんだろ」と否定してくるが、それは違うのだ。そして侯輝もそんな天理が好きになっていた。
「分かった。任せたよ」
「うん!俺と不知火で病魔を引き付ける!その間に交渉して!」
侯輝と不知火はうなずくと皆を守るように侯輝は剣を構え、不知火は火の精霊を呼び炎の剣を構えた。と同時に病魔が侯輝の方に襲いかかってきた。土護が間際で大地の神に祈りを捧げ全員に守りの加護を受けると侯輝はその速さに少し驚きつつも剣で攻撃を受け止める。
「攻撃は受けるな!ただの怪我じゃすまなくなる!」
「分かった土護兄!」「了解!」
『邪魔ダドケ!』
土護から警告を受けた侯輝と不知火が攻撃に最大限警戒する中、病魔が叫びながら更に攻撃を仕掛ける。病魔は一見四足獣の様な形態だが定まらず時折思いもよらない所から腕の様なものが生え攻撃してきた。また病魔が言葉を発する度に軽い吐き気が起こり、横になったまま嘔吐しかけている姉妹を土護が病魔を警戒しつつ心配そうに介抱していた。このままでは交渉の前に姉妹がもたない。あれをどうにかしなければと天理は考えを巡らせた。
(病魔が言葉を発する度にもたらされる吐き気、魔力的な挙動は感じられない。音……?)
天理は以前、特定の超音波を発する遺物が家の地下に眠っており、その家人が吐き気で昼夜悩まされていたという話を思い出す。その超音波だけどうにかできれば……。
『シア!不快な音から姉妹を守りたい、力を貸してくれ』
『はい、あるじ』
天理はシアに瘴気の浄化中で忙しいとこすまんと心話で謝罪しつつ不快な感覚を共有しながらその原因となる音の解析、及び排除を命じた。勤勉なシアはすぐさま天理の願いを聞き届けると、風の力で姉妹の周りに防壁を張る。
姉妹がまだ苦しそうではあったが和らいだ事を確認すると古代語で病魔との交渉を開始した。
『お前の目的は何だ!なぜ病気と死をもたらす!』
侯輝と不知火と戦いながらも病魔は答えた。
『復讐!私ヲ悪魔ダト断ジ処刑シタ者達ヘノ!ノウノウト生キテイル者達ニ苦シミト死ヲ!』
「復讐?処刑だと?」
古代において冤罪を受けた者だという。その間にも、病魔の攻撃を少しずつ見極め、相変わらず正規の手順を踏まず気合いだけで剣に光の精霊を宿し振るう侯輝と、契約精霊を操りながら振るう不知火の炎の剣が連携を取りながら少しずつ病魔を削る事ができていた。だがそれを意にかけず病魔は瘴気を濃くし叫ぶ。
『無駄ダ!私ハ幾度デモ甦ル!』
先ほどの病魔の再生を思い出した天理は土護に呼びかける。
「土護、病魔の再生と強化を止めておきたい、周りの死体を地に返してやってくれ!」
「了解。我等が母、大地の女神よ。その腕に哀れな者達を抱かせ給え!」
敬虔な使徒の願いに答えるかのように辺りの地面に光が広がり瞬く間に周囲の死体が地に吸い込まれる様に消える。
『忌々シイ大地ノ下僕ガ!ダガソレダケデ私ヲ滅セラレルト思ウナ!』
『っ……お前は何者だ?!』
天理の具合を誰よりも注意している侯輝はその様子から、浄化と姉達の守護の為、シアの維持で手一杯である事を察した。天理は交渉を望んでいるが長引けば嫌な予感がする。焦る気持ちを押さえ瘴気の増加を少しでも軽減できるよう病魔の力を削ぐ為、剣を振るう。
『……オ前ダナ?煩ワシイ風デ私ノ力ノ邪魔ヲシテイルノハ。私ヲ知リタクバ直接教エテヤロウ』
「何?」
濃くなった瘴気から皆を守る為必死でシアに注力しながらの天理の問いに一瞬、目が無い様に見える病魔の視線が天理へと向けられた気がした。病魔が不知火に大きく振りかぶり不知火が避ける為一歩引くと、同時に病魔も大きく後ろに引き力を貯める様に姿勢を低くする。
侯輝は病魔の発する古代語は理解できなかったが天理の反応と、病魔の瞳と思しきものが自分でも不知火でもなく、真っすぐ天理を向いている事に嫌な予感がした。考えるより先に体を動かし、天理を庇う様、大きく後退する。と同時に病魔の背中と思しき場所から幾本かの鞭の様な触手が天理に一斉に襲い掛かってきていた。
「誰に手ぇ出してんの!」
侯輝はその攻撃に気付いたのが自分だけだった事に一瞬感謝しつつ、天理を守るべく前に立ちふさがった。天理から貰った婚約指輪に魔力を流し込み障壁を張り防ぎ、剣で触手を数本を切り落とすが全てを防ぎきれず体で受ける。革の肩当てが吹き飛び触手が肩を貫いた。
「ぐっ!」
「侯輝!!……!……ぁ」
侯輝の肩が貫かれる光景に気を取られた瞬間、天理は瘴気を清浄化していた[[rb:風の精霊 > シア]]に何かが触れられたような感触があった。ゾワッとした寒気を感じ、天理にシアから感覚が逆流して伝わると天理の脳内に見知らぬ光景が広がった。
それはまるで自分が体験してきたかのように鮮明に思い出せる程生々しく、そして悲しく辛い記憶だった。
それは一人の女医師の記憶。遥か昔あらゆる病気を治し、果ては死者をも甦らせた。彼女の住む小さな街は医療の最先端の街として栄え人々が集い、その知識と人となりから人々に絶大な支持を得るに至ったが、為政者により悪魔と断じられ処刑された。知識も偉業も後世に残らぬよう、物も人も街ごと全て棄てられた。
天理は記憶の中、彼女が処刑される前の日の最後の景色を見る。彼女の部屋は壁一面に本棚があり、そこには医学書がぎっしりと詰まっていた。机の上の日記に彼女は最後の記録を記す。『今日、私は死刑になるだろう。だが私の知識は全て後世へ残す。私の知識が少しでも多くの人を救う事を願って』悔しくて悲しくて、視界が涙で滲みながらも、記録を続ける『彼の回復を見届けたかった。彼の笑顔をもう一度見たかった。どうか私の遺した知識で彼の命が救われますように』
だが彼女の願いは何一つ叶わなかった。
「ああああぁ!!」
視界が業火に染まり女医師の死に際の苦しみが天理に伝わる。女医師と同調していた天理は涙を流しながら余りの苦痛に叫び声をあげた。だが、そんな天理の様子に構わず、その脳裏に映る記憶の中の女医師は語る。
『どうして私が悪魔の所業を行ったなどと謂われなき罪を着せられる必要がある?罪の無い人々まで殺される必要があった?私は皆を、彼を救いたかっただけなのに…』
そして血の涙を流す女医師の姿がみるみる崩れ病魔の姿になった。
「ぐっ!ぁああ!」
体が崩れ落ちる感覚が天理にも伝わり、痛みと悲しみに包まれて天理は身動きが取れなくなってしまう。
『私を悪魔と呼ぶのなら、そノ通りニしテヤろウ。私ガ治スはズダッタ病、逃レルハズダッタ死ヲ、私ナドヨリ余程悪魔デアル カノ者達ニクレテヤロウ』
「ぐっ…」
天理は動かなければと思うも心が竦んで動けない。女医師の想いに飲まれそうになり必死に抵抗するが抗えば抗おうとする程彼女の記憶が、感情が流れてくる。彼女の嘆きと怒り、そして深い絶望と悲哀、彼女の心が闇に覆われ膨れ上がる。それは深い深い闇の塊となっていた。女医師に同調している天理はその心を深く理解する。もうその心が自身では止められない程闇に捕らわれ暴走してしまっており、それは以前侯輝が暴走気味になっていた時の様子と重なって見えると、天理はどうにかして彼女の絶望的な想いを救いたいと、そして強い意志の力が必要だと願った。
「侯……輝……!」
傍にいていつも自分を勇気付けてくれる強い意志、太陽の様な最愛の男。心の中に無意識に侯輝が思い出されると天理はその名を呟いていた。
「天……理……は……こ……い……よ!」
天理はそこには見えないが確かに侯輝の声が聞こえた気がした。と同時に体を包み込まれる様な強い感覚を覚えると天理の心に力が沸いてくるのを感じる。
(ここでもおまえは助けてくれるんだな侯輝……)
竦んでいた天理の心に平静が取り戻されると天理は涙を拭い真摯に女医師に語り掛ける。
「……あんたの、名は?俺は天理」
『聞イテドウスル…』
「今さら遅いかもしれないがあんたの遺したかったものを遺そう。ここに称えるべき存在がいたことを標したい、あんたの……一番救いたかったものはもう取り戻せないが……」
まず天理は考古学者としてこの国に埋もれたままの真実を放置することはできなかった。女医師の心を知り彼女が本当に求めていたものはどうしても救う事ができない事を辛く思うも、天理は誠心誠意心を込めて語る。
病魔は一瞬唖然とした後、静かに涙を流し始める。天理は少しだけ瘴気の圧力が薄まった様に感じた。
『心ガ繋ガッテイル今、貴方ニ嘘偽り無イ事ハ解ル。貴方ハ優シイノネ、マルデアノ人ノ様。デモモウ遅イ。私ハ、彼ヲ殺シタモノ達ト同ジヨウナ存在。死ヲモタラシタ私ヲ一体誰ガ称エル?』
「病魔として、悪魔と呼ばれた者としてじゃない。医者としてのあんたをだ!あんたを鎮めたい、このまま永遠に悪魔でいるのか?!俺が……もしその彼ならあんたのその姿は辛くて耐えられない」
天理の言葉に病魔の姿が揺れる。
『アァ……アナタハ……』
と同時に天理は何かがまた自分の意識に触れるのを感じると、自分から霊体離脱したかのように一人の霊が目の前に現れた。それは儀式の間に入る前に遭遇した青年の霊だった。霊は病魔に向かって叫んだ。
『エルブ!君なんだろう?』
青年の霊を見、エルブと呼ばれた瞬間、病魔の姿が大きく揺れると再び女医師の姿に戻る。エルブと呼ばれた女医師は涙を流す。
『フォル……!ああ、もう一度会いたかった……ごめんなさい私は貴方を救えなかった』
エルブは青年の霊の名を呼ぶ。そして生前の悔いを吐露した。
『いいや、僕の方こそ謝らなければならない。エルブ、僕は君が辛かった時に何もできなかった。僕が目覚めた時、もう君が処刑されたと聞いて絶望した。君が救ってくれた命だったのに僕は進んで命を投げ出してしまったんだ』
エルブが処刑され、為政者に街全員皆殺しにされた際、丁度目覚めたフォルは逃げ出さず喜んで死を受け入れていたという。ただ、エルブに一目会いたかったという未練がフォルを数百年も霊としてこの遺跡をさ迷わせる事となった。
フォルは大粒の涙を流すエルブを抱き締めた。
『ありがとう、僕の為に泣いてくれて。僕は幸せだよ。こんなにも想われてるなんて知らなかったから。愛しているよエルブ。これからはずっと一緒に居て欲しい』
『ありがとう、フォル。えぇ、私も貴方を愛しています』
二人はお互いを強く抱き締めた。そして少し離れるとエルブは『少しだけ待っていて』とフォルに告げ、天理へと向き直った。
『私に手を差し伸べ、苦しみを共有した貴方をひとたび信じましょう、優しき精霊使い、天理。私は悪魔としての存在を捨てましょう』
そう言ってエルブは天理の額に手をかざすと天理の中に彼女の膨大な知識が流れ込んできた。その知識は現代技術ではなし得ないものばかりで医師でもない天理にはほとんど理解できなかったが、天理は確かに受け取った。ただその中で病魔がもたらした病の対象法だけはまるで生徒に教えるかの様に丁寧に伝えられた。
「この知識は……!」
『貴方に私の全てを授けます。私の名はエルブ。目を覚ましたら私の名を呼んで……』
エルブはそう言い残すとフォルと手を繋ぎ微笑する。そして二人の姿が消えていく……天理は女医者の名を心に刻むと意識を取り戻した。
天理が目覚めると侯輝の腕の中だった。
「天理!天理!天理!俺を置いてかないって約束したでしょ!目を覚ましてよ!」
「落ち着きなさい侯輝、気を失っているだけだから」
天理は侯輝の腕の中で、侯輝の泣きそうな声とそれを落ち着かせようとしつつも心配そうな土護の声を聞きながら、先ほどの幻覚の中で沸いた力の正体が誰のものだったのかを再確認する。
「そう、だぞ…」
侯輝は天理の声を聞くとガバッと一旦起き上がり、まだ真っ青な顔をしつつも意識を取り戻した天理に安堵した。
「天理!!良かった!大丈夫?」
「ああ、ありがとな侯輝、お前、怪我は」
「土護兄が治してくれたから大丈夫!」
「だが急ぎ病気の治療をしないとならないよ」
天理を庇って受けた侯輝の傷は土護の回復魔法によってひとまず傷は塞がれていたが、衣服に流れ出たまだ新しい血の跡が痛々しかった。破損した鎧と服の間から見える肌は明らかに変色しているのが見える。放置すれば姉妹同様急を要する状態になるだろう。
天理はその事実に一瞬怯みそうになるも侯輝の力強い瞳に力を得ると一刻も事態を解決する為に動く事にする。
「っ…どれくらい経った?今どうなってる?」
天理が侯輝に支えられながら起き上がり見渡す。病魔は不知火と対峙しているが、病魔の積極的な攻撃が止んでおり、防戦としては良かったが不知火も攻めあぐねている。
「2、3分位だよ!」
「こっちは大丈夫です!」
「天理、起き抜けで悪いけど風の精霊の浄化を。魔力が足りないなら融通するから」
天理が気絶したことでシアによる清浄な空気のフィールドの維持ができなくなり、徐々に瘴気が覆おうとしていた。苦しそうな姉妹達を土護が心配している。
「土護すまん少し頼む」
土護は頷き天理に触れると神聖魔法で自らの魔力を天理に少し魔力を分け与える。天理は再びシアを呼び出し、清浄なフィールドを再形成した。
「それで天理、何があったの?」
侯輝は気絶中の天理の苦痛の叫びと何かを話そうと口を動かしているのを見聞きし、天理がただ気絶し幻覚攻撃の類を受けているのでは無い事を察していた。
天理は気絶中に見聞きした病魔の正体である女医師エルブの話を掻い摘んで話し、彼女の魂を鎮める必要がある事を説明する。そうすれば瘴気はもう発生しなくなる事を。この街出身者ではない不知火以外がそれぞれ複雑な表情をした。天理自身も無関係では無かったが土護達兄弟姉妹にとって病魔は親の仇だ。それを称え鎮めろというのだから。
代表するかの様に土護が口を開く。
「その話は信用していいのかな、天理。おまえに病魔が幻影を見せただけではないのかな?」
土護は天理を疑うというよりは確認の為に聞いてきた。土護は万が一親友が病魔に利用され苦しむ事にならないか心配していた。天理は首を振る。
「土護、神殿を預かるお前なら知っているな?かつての病魔がもたらした病気の症状と対処方法を」
「もちろん知っているよ、未だ後遺症が残る人も居るし、万が一に備えて研究は進められている。ある程度は軽減できるようになった。ただ全員は助けられないかもしれない…」
天理は病魔である女医者が教えた情報の中の病魔の病気の症状や治療法の情報を話し、土護の知識と照らし合わせる。土護はその情報が自らの情報とほぼ一致している事を確認した。天理が話した治療方法を用いれば土実も土花も助かり侯輝の治療も容易に可能だろう。土護は女医者が少なくとも病気の事に関しては嘘は言っていないと判断する。
「病魔…そのエルブ?が天理に病気を治す方法教えてくれたって事?」
「ああ。俺達をどうにかしたいなら、俺を幻覚で閉じ込めたままにしておけば良かったのに解除してきた。土護、俺はエルブの言う事に嘘は無いと思う。あの苦しみが偽物だったとは思えないんだ。俺はそれを鎮めてやりたい。頼む力を貸してくれ」
それは現神殿長であり、かつて命懸けで病魔を封じた両親に最も近しい存在である息子 土護の協力が不可欠であった。土護は天理の真剣な表情を見て決意を固める。
「…分かった、協力する。お前を信じるよ天理。でも万が一の対策は進める。お前たちもそれでいい?」
土護は姉妹と侯輝に確認をとる。
「私は…兄さんを…信じてるから」
「私も…兄さんの決めた事に…異論はないわ」
「俺は天理を信じてるから!」
「ありがとな」
「やだ侯輝…相変わらず…天理さんにべったりなのね…」
土実、土花が同意し、侯輝が元気よく答え天理が苦笑すると土花が力無くも突っ込んだ。
「だって俺は天理の婚約者だからね!」
「…」
「「え?」」
「そうだったんですね!」
さも当然とばかりに言い切った侯輝に、天理が無言でひっそり照れていると土実と土花が固まった。剣を構え警戒しつつ偏見は無いらしい不知火が気持ちはしゃぐ。
「はい、その話は後でゆっくりしようか。お前たち賛同してくれてありがとう。天理。」
「皆ありがとう……エルブ!」
天理は土護達の承諾を確認し頷き礼を言うと病魔となった女医者エルブに向き直り、彼女の名を呼ぶ。すると病魔だったモノの形が一般的な女性の形に変化した。一同から驚きの声が上がる。そして古代語で天理に話しかけてきた。もう言葉を聞いても気持ち悪くならなかった。
『この地に住まう者達に災いをもたらした事、謝って済むことでは無いことはありませんが深く深く謝罪致します。再び災いをもたらそうとしていた私を止めてくれてありがとう。』
天理に通訳されながらエルブはそう言うと頭を下げた。土護達は病魔が自分達に害意を持っていない事を感じ取り、エルブの言葉を信じる事にした。
「貴女がが何故病魔になったのか教えてくれないか?」
『私にもよく分からないのです。失意の霊として天に昇る事もできず数百年ただ漂う私に何かが…暗い闇…っ…ぅ…ああ……ごめんなさい思い出せないのです…』
「っ……」
土護が尋ねるとエルブは思い出そうとすると苦しみだした。土護はエルブに無理に話さなくて良いと告げて苦しむ彼女を労った。それを聞いた侯輝が過去暴走してしまいそうになった自分を思い出し不安そうに顔に陰りを見せると、天理がそっと大丈夫だというように侯輝の手を握りしめ、侯輝は小さく頷いて答えた。
『ありがとう。叶うならどうか同じ悲劇が繰り返されない事を。再び誰かが悪魔とならない事を』
『ああ、俺達にどれくらいできるか分からないが出来る限りはやってみるよ。どうか安らかに眠ってくれ』
天理が微笑すると、エルブは体を差し出す様に手を広げ、受け入れる態勢を取る。
『ああ、やっと彼と旅立てる…』
「皆、頼む。送ってやってくれ」
「はぁぁぁぁ!」
「お願いだ[[rb:閃紅 > せんこう]]。我が身に宿りし火の精霊よ。かの者に送りの火を。」
侯輝が光の精霊を宿した剣で女医者の瘴気を切り裂き祓い、不知火が炎で埋葬するかの様に燃やす。少しずつ瘴気が少なくなり魂だけになると、青年の霊フォルが現れ魂だけとなったエルブに寄り添う。驚いている土護に天理は「一緒に送ってやってくれ」と頼んだ。土護は頷き、大地の女神に鎮魂を願った。
「我等が母、大地の女神よ。この者達に安らかな眠りを与え給え」
エルブとフォルの魂が光に包まれると徐々に薄くなり消えた。辺りの瘴気が少しずつ薄くなっていく。そして聖清石が力を完全に使い果たしたのかの様にヒビが更に深く入ると、ガラガラと音を立てて崩れた。土護はその様子を胸に手を当て父母想いながら見つめる。土護はもう大丈夫だろうと心で思いつつも念の為、持ち込んだ予備の聖清石を即席に設置しておいた。
遺跡内の安全を確認すると双子姉妹を土護と侯輝で運び遺跡を出る。日は頂点に登っていた。辺りの瘴気もほぼ消えており、一行は安堵の息をつく。瘴気が晴れ明るく照らされた遺跡を改めて見るとそこはかつて病院だった場所の様に見えた。
遺跡から離れて繋げておいた荷馬車まで辿り着くと姉妹を乗せて急ぎ街の神殿に戻り治療を開始した。エルブが伝えた治療方法を試すと、姉妹と、傷を負い少しだけ病状が進行していた侯輝、先行して治療を受けていた冒険者共に順調に回復し始め、大量に瘴気を吸ってしまっていた姉妹も少し時間をかければ完全に回復できる見通しが立った。
土護は各所に事態の報告の伝達を飛ばす。神殿長として市長に取り次ぎ、今回の顛末と、女医師エルブの偉業を称えるモニュメントの制作を依頼する。あくまで病魔=女医師ではなく、過去に病気を治す為に尽力した医師を称える為、今回の事件でも解決に貢献があった為という名目で。土護を幼い頃から知る元教師であった市長は常にない熱心な依頼に驚きつつも了承し、近日改めて正式な手続きを行うと返事をした。
また天理はエルブから伝えられた他の知識を分かる範囲で伝え記す事とした。それはあまりにも難解かつ膨大だった為、学院にて専門家に監修を受けながら改めて記録する事になった。かつて克服されていた不治の病はまた克服され、過去の出来事は新たな知識と教訓を得る為の教材となるだろう。
[newpage]
姉妹の治療を教会の神官達に委ね、侯輝も事件解決の報告をギルドに行う。土護が市長経由で依頼を出していた為、侯輝と不知火は事件解決の報酬を受け取った。天理は冒険者では無かったが協力者として特別に報酬を貰った。
ついでに定食屋にて三人で昼食をとる。
「私も報酬を受け取って良かったんだろうか。土護さんに無理やりついていってしまったのに」
「不知火いてくれて姉貴達助かったし全然その資格あるよ!」
「そうだな居ないと結構まずかった感謝してるよ」
「そう言ってもらえると嬉しい」
不知火は少し照れたように笑った。二人は実力の割に随分と謙虚だなと思いつつ、改めて土護の嫁…未来の義理姉になるかもしれない彼女と和やかに会食を進める。
「ねぇねぇ不知火は将来どうするの?冒険者続けるの?」
兄の恋バナに興味津々といった感じで侯輝が遠慮無しに質問をする。そんな侯輝に呆れつつも自分も少し関係が出てくるかもしれない相手だったので咎める事もなく黙認する天理。そして不知火が少し考えてから答えた。
「ああ、私は兄達の様に騎士を目指していたんだけど中々難しくて。でも兄達の様に人々の役に立てるような冒険者でありたいんだ」
なかなか良い家の出らしい不知火はその安易では無いともう分かっているだろう夢を少し苦笑しつつも、それでも芯の籠った声で告げた。そんな彼女の想いを汲み取りつつ、なるほど。と二人は素直に頷く。
「活動拠点って都じゃないんだよね?俺知らなかったし」
都で冒険者間で顔が広い侯輝が知らないなら、そうなんだろうなと思う天理。
「うん、主に地方街で活動している事が多くて。この街もいいかなって思ってるんだ」
少し照れながら言う不知火に、彼女の土護への淡い想いを察する侯輝と天理はふーんと頷く。
「そっか!街の復興の為に土護兄達も頑張ってるし、この辺の治安維持の為にもできるだけ滞在してくれると俺も嬉しいな!」
天理はその弟である侯輝自身は都に出て俺と結婚生活始めようとしてるんだがと思ったが口には出さないでおいた。土護もとやかく言う事は無いだろう。
「そうか!私に出来る事があるなら協力したいと思う」
少し照れたように笑う不知火に、彼女は本当に土護が好きなんだなぁと思う侯輝だった。
「あのね!土護兄なんだけど」
「な、なんだろうか!」
土護の名で明確にちょっと赤くなるのが微笑ましいなぁと思いながら二人は不知火を暖かい目で見る。
「土護兄はね、ちょっと鈍い所があるから伝わってないなって思ったらガツンと行った方がいいからね!」
満面の笑みで言う侯輝。
「そうだな。頑張れ」
天理は一つ下とは思えない程童顔の彼女に、でないと一生妹扱いだからなと思いながら同意しておいた。
「がつん。わ、わかった!頑張る」
不知火は顔を真っ赤にしてコクコクと頭を振った。
そんな話をしながら昼食を終える。侯輝は不知火を家族の夕食に誘ったが、不知火は元々兄達のお使いでこの街に来ていたからと、誘いを惜しみながら都へ帰って行った。
不知火を見送り別れると天理と侯輝は土護達を待つ間、土護達に代わって夕食を用意しておこうと商店街で食材を購入する。半日前まではまた大災害に襲われていたかもしれないと思うと、こうして当たり前に買い物している人々を見ていると胸を撫で下ろさずには居られない二人だった。当たり前に先の事を考える事ができる日常は、何物にも代えがたいものだと改めて実感する。家へと帰る道すがら先の事と言えばと天理がふと呟く。
「俺も不知火にお前んちの夕食に混ざってて欲しかったんだがな」
「そうだよね!機会作って不知火を応援したいし!」
侯輝が不知火の事を気に入り兄土護との進展に積極的に働きたいと思っていた事に関しては天理も同意してはいた。
「いや…それもあるが。不知火が居れば前の双子の姉貴達の矛先を俺から反すのに適任だと思って」
天理は侯輝と婚約者になった件で姉妹に絶対弄られると確信があった。特に妹の土花の方から。侯輝の双子の姉土実の方は土護同様真面目な性格でそういった事はまずしないが、妹の土花の方は確実にあれこれ弄ってくる。
「えぇーだぁーい丈夫だよぅ。ちょっと馴れ初めとか根掘り葉掘り聞かれるくらいだからさ!」
「それが苦手なんだが?」
「大丈夫!俺が完璧に答えてあげるから!」
「だからそれが苦手だっつってんだよ」
あっけらかんと自信たっぷりに言う侯輝に、ああ、土護と土実と違い、土花と侯輝は似た者姉弟だったなと天理は思い至った。
「そう?俺は楽しみだけどな!姉貴達とも久々だし!」
「はいはい。俺が恥ずかしくて死なない程度にしてくれよ」
楽しそうに言う侯輝に、天理は呆れつつも仕様が無いなと小さく笑った。侯輝は姉妹とも久々なのだ、今でこそ明るく振る舞っているが、今回の一件で心中ただならぬ状態だったはずで、少しくらい恥ずかしい思いなど我慢するべきだろうと諦める。少しだが。
「大丈夫!俺に任せて!姉貴達にも俺達の仲の良さを見せつけてやるんだから!」
侯輝はガッツポーズをして見せる。少し我慢するだけでは済みそうに無い様子に、天理は明日も休みなので今日急いで都に帰らなくても良かったのだが、ちょっと帰りたくなったのだった。
夕方までにまだ時間があるので天理の生家に立ち寄る。天理の両親は他国に移住し、天理も10年前に上京してしまった為、今は無人の家を土護が定期的に簡単な掃除や空気の入れ替えなどをしてくれていた。天理が久々の生家の様子を点検して回る。家は綺麗な状態で天理はまめな土護に心の中で感謝した。天理の両親はこの家を売りに出してはいたが、8年前の疫病を境に大幅に人口が減ってしまった為、やや中心街から離れたこの家は買い手がつかないままであった。病魔の問題が解決した今、人々がまた流入してくればここも引き取り手が出てくるかもしれない。そうなればこうして点検に来るのもこれが最後かもしれないなと天理は生まれ育ったこの家が感慨深くなった。侯輝は幼少時に何度か遊びに来た事があったが、その記憶はほぼ朧気なものが多かった為興味深そうに見回していた。家の一階と二階を見て回り、最後に自室だった部屋へ足を向ける。
「わ、懐かしい!」
侯輝が部屋に入ると嬉しそうにはしゃぎベッドに腰掛ける。
「持ち出せる家具はほとんど持ち出してしまったし面白い物は残ってないだろ」
「でも、なんか懐かしくてさ。このベッドとか。ちっちゃい頃、天理がなかなか来ないからって土護兄に頼まれて見にきたらまだここで寝てた事とかさ」
かつての天理のベッドに座りながら侯輝は子供の頃の朧げな記憶を呼び起こす。
「お前そんなのよく覚えてんなぁ……ああそうだった、目覚ましたらお前が乗っかってんの見た時はビビったわ」
天理は懐かしく思いながら苦笑する。昔から侯輝の奔放さは変わらない。ベッドに座る侯輝を上から見下ろしていると先ほどの戦いで自分を庇って怪我をした侯輝の肩の傷の具合が気になった。血で汚れたシャツは神殿で替えを貰い、皮鎧は簡易修理はしたが損傷したままだ。その下の傷は土護がすぐに回復魔法で塞いでくれたが病魔の傷は死の病気が発症する危険なものだった。後から完治する方法を得て治療できたとは言え、傷を負った瞬間は肝が冷えた。天理は傷を負った箇所にそっと触れる。
「侯輝。本当に傷はもう大丈夫か?」
症状が重かった姉妹は夕方まで神殿にて安静にしている。侯輝は症状が進行する前にすぐに治療できたとは言え、天理は恋人が無理をしていないか心配だった。
「もう平気だよ。俺丈夫なの天理も知ってるでしょ?病気の治療方法も天理が掴んできてくれたから俺も姉貴達も完治できるし。俺の方こそあの時、守りきれなくてごめんね」
侯輝は心配そうに自分に触れる天理の手に手を重ねた。侯輝はあの攻撃が囮で天理への幻覚攻撃が本命で倒れ苦しそうに呻く天理を見て頭が沸騰し、兄に静止されるまで自らに負った傷の事を忘れて天理を抱き締めていたのだった。
「お前のせいじゃない、俺が油断していただけだ。それに……結局俺はあの幻覚の中でだってお前に守られてたよ」
「えっ!そうなの?」
天理が重ねられた手を嬉しそうにしながら答えると侯輝は驚きの声をあげた。
「そうだな言って無かった。俺が倒れて幻覚見てる間、お前俺を抱きしめてくれてただろ?」
「うん…天理が倒れて苦しそうにしながら俺の事呼んでるのに、俺何もできなくてもう必死でただ抱きしめてるしかできなかったけど…」
「俺な、幻覚の中で結構やばかったんだよ…心が竦んで動けねぇって時にお前に包まれるような感覚があってな。まぁそれで力沸いてきてどーにかなった」
その言葉に一瞬不安そうな顔をする侯輝を安心させるかのように、天理は苦笑しながら侯輝に重ねられた自分の手を裏返し手を絡めて握りしめた。
「だからお前はもう心の中だって俺を守ってくれてるよ。ありがとな」
侯輝を見つめ微笑みながら絡ませた指に力を入れた。侯輝は顔を赤くし言葉を詰まらせる。
「どうした?」
「いや、なんか今凄く幸せだなって思ってさ。天理と一緒に暮らせるようになって、ご飯食べて、同じベッドで寝れるなんて、この街に住んでいた頃からしたら夢みたいだし。こうして手を繋ぐ事もできるしさ。こんな幸せな事ないよね」
侯輝は絡めた手に少し力を込める。
「うん…そうだな。ふふっ想像もしなかった」
「でも、天理が倒れた時は本当に焦っちゃって、俺が守るとか大口叩いておいて情けない話だけどさ…」
少し俯きながら申し訳なさそうに言う侯輝に天理は繋いでいない方の手で侯輝の頭を撫でた。
「ちゃんとお前は守ってくれたろ。それに少しは俺にも自分でどうにかさせろ。俺達はこれから結婚して名実共にパートナーになるんだろ?」
「!うん!そうだね。二人で支え合っていかなきゃだね」
侯輝は開いた手で天理の頭を引き寄せると二人は口づけを交わす。引き寄せられるまま天理は侯輝の隣に座った。
「さて…夕飯の支度をするにしてもまだ少し時間あるな。どうするか」
侯輝は天理の肩を抱き寄せ、耳元で囁きかける。
「じゃあ、ちょっとだけイチャイチャしちゃう?」
「お前な。この家今水通ってないし、汚せないんだよ。家帰るまで我慢しろって言っただろ」
囁きに赤くなりながらも否定する天理に構わず侯輝は天理の首筋にキスをする。天理はビクッとして身をよじるが、離さないでいる侯輝に天理はぺしっとはたいた。
「できねぇっつってんのに盛んな」
「だってもうすぐ天理が本当に俺のお嫁さんになるんだって思ったらつい…ねぇ、盛らないからもうちょっとイチャイチャしよー?天理が盛り上がっちゃったら俺も盛り上がっちゃうけど」
「じゃあ俺を盛り上げようとすんなっ!あ、こらっ……ん……」
侯輝は天理を抱きしめたままベッドに押し倒すと、そのまま覆いかぶさり唇を重ねる。舌を差し入れ、絡め吸い上げた。天理は否定しようとするも、侯輝が命を取り留める事ができた安堵感からか、どうにも恋しくなってしまい無事を確かめる様にそれを受け入れていた。
「……っ……ふぅ……へへ…やっぱり可愛っ痛ったぁ!」
暫くの間そうしていたが天理にいい加減にしろと軽く手刀をいれられると侯輝は名残惜しげに起き上がり離れた。
「ちょっとノリ気になってたくせに~。…ん?なぁに?」
まだ起き上がらないまま天理が懐かしいものを見るように自分を見上げている事に気づくと、侯輝は首を傾げ問う。
「この部屋でこの角度で見るお前に見覚えがあるなって。思い出してた。本当にでっかい図体になったなって」
天理は10年以上前、寝坊して自分を起こしに来た子供の頃の侯輝の事を思い出しながら腕を伸ばし頭を撫でてやる。あの頃はまだ小さかった侯輝に乗られてもさほど重いとは思わなかったのに。撫でられた侯輝は嬉しげだが少し不満そうに口を尖らせた。
「すぐそうやって子供扱いにするんだから」
「先に昔の話をしてたのはお前だろ。あーあ、お前、あの頃はちっさくて金髪の美少年だったのになぁ」
不満げな侯輝に少し意地悪をしたくなってしまい、天理はわざとらしく嘆いてみせる。なんだってその図体になってまで俺に乗っかってるんだろう。筋肉が普通に重い。でもその重さも今となっては頼もしさの証だ。
「えー天理やっぱりお稚児さん趣味だったの…?」
「違ぇよ!そこから離れろ。…あれ?お前でかくなっても俺にやってる事変わってなくないか?」
上に乗っかってきてはイタズラを。内容は大幅に変わったが。慌てて侯輝の誤解を解きつつ、ふと思った疑問を侯輝にぶつけると侯輝は当然でしょとばかりに答えた。
「だって俺はガキの頃から天理の事好きだし?いっぱい触りたいし?」
天理の脇腹に手を這わせながらそう言う侯輝に嫌な予感がした天理は身を捩るが綺麗にマウントされ動けず、侯輝の手を押さえて抵抗するがまあ当然無理だった。あの頃は余裕で逃げられたのに。
「っ……だぁぁもうすっかり可愛くなくなりやがって!」
「ぶーぶー、そーんなにガキの頃の俺がいいならこうだ!」
脇腹に這わせていた手で擽り始め、天理は悲鳴を上げながらじたばた暴れる。
「あははははは!やめっ!ちょ、あはは!こら、ばか!」
侯輝は天理が少し顔を赤らめつつ笑い転げるのを見てふふーんと満足すると手を離した。呼吸を整えながら睨む天理だったが、侯輝は気にせず得意気に笑ったままだ。
「そういえば天理がこの擽り弱いのだってガキの俺が見つけたんだよね。あれ面白かったなー『俺は擽りとか全然感じない』って平気な顔して俺に触らせた癖にすぐギブアップするんだもん」
「仕方ないだろ、脇腹弱いってそれまで知らなかったんだから…自分で触っても感じ無いならそう思うだろ」
天理がまだ顔を赤くしながら拗ねる様に言うと侯輝はまた嬉しそうに笑った。
「他人がやると感じちゃうっていうアレでしょ。俺が見つけてホント良かったよ。俺しか知らないし♪天理もちゃんと防衛意識持ってくれるようになったし」
「俺の腹擽ろうとするのなんてお前くらいだろ」
「もちろん他のやつになんて俺が絶対させないけどね!」
楽しげに笑う侯輝の顔は本当に幸せそうで天理はつられて微笑む。
「……まあ俺もお前以外に触らせる気はないけどな」
「!えへへ~♪天理がデレた♪」
微笑みながら小さく呟いた天理の言葉に侯輝は嬉しそうに抱きつく。
「うっさい、いい加減俺から降りろ、重い」
「えぇ〜昔はそんな事言われなかったのにー?じゃあキスしてくれたら退いてあげるー」
言ってしまってから恥ずかしさを誤魔化すようにぐいぐいと押し返そうとする天理に侯輝は悪戯っぽい笑みを浮かべ少し顔を近づける。
「昔は自力でひっぺがせたのにわざわざ言うか!あとキスなんぞ要求しなかったろ」
「ぶーぶー!」
不満そうな声を上げる侯輝に仕方ないなとため息をつき少し起き上がると侯輝の頬に軽く口付けた。その瞬間ぱあっと笑顔になっていく侯輝に天理は呆れながらもコロコロと楽し気に表情が移り替わり、それが全て自分に向けられている事に喜びを感じて、つい笑ってしまう。侯輝もまたそんな天理を見て幸せそうに微笑むとやっと上から退いたのだった。
夕方近くになり天理と侯輝は天理の生家を後にすると土護の家に向かい昨日習ったばかりのレシピで夕食を作り、無事帰宅できた姉妹と土護を出迎えた。
土護兄弟姉妹と天理が揃い改めて落ち着いて久々に兄弟姉妹と天理は挨拶を交わし、夕食を取りながら侯輝と天理が婚約した事について姉妹に伝えると案の定土花は食いついてきた。
「で、天理さん、侯輝のどこが良かったの?ムキムキ?」
土花は数年見ない間に大きく逞しく育った弟の体をぺしぺしと叩きながら、既にたじろぎつつある天理に聞く。
「ま、まあこれで結構頼りに成るところとか、な」
「へーぇ。まぁたカッコつけてそうねぇ侯輝は。それでそれで?夜はどっちが上なの?」
「ちょっとお!痛いってば土花姉。俺にも聞いてよぉ!馴れ初めとかさあ!」
顔を赤くしながら答える天理に惚気話をしたくて堪らない侯輝をスルーしつつ更に興味津々といった様子で土花は追及する。
「あんたが昔から天理さん好きなのは知ってるからもういいのよ。どうせ押して押して押し倒したんでしょ」
「そうね…天理さんの心境の方が興味あるわ…」
「ぐ…ええっとだな…」
土実にまでそう言われ赤くなり返事に窮する天理を庇う様に侯輝が得意気に返事を返す。
「ほらぁ!天理こういう事恥ずかしがりなんだから俺が答えるってば!ええと、最初は俺が押して押して押しまくったんだよ!そしたら折れてくれてさ!あと夜は俺が上だよ!」
「え…いや…その、」
「あらあら」
「うわー想定通りなのねー」
天理が内容修正しようと恥ずかしさを堪え言葉を選んでいると姉妹が呆れたように声を上げる。
「侯輝、お前、もう少し言葉を選んでだな……」
天理の心情は既に知る土護が困ったように言うと土実は苦笑し、土花はニヤリと笑った。
「つまりは、侯輝が強引に迫ったら押し切られて押し倒されてそのままズルズル関係が続いてるって事?」
その言葉に赤くなっていた天理がハッと表情を固くする。
「違うよ!俺は天理をちゃんと好きだし、大切に思ってるよ!」
「こら、土花。なんて言い方をするんだ」
侯輝が慌てて否定し、天理の表情をチラリと見ながら土護が土花に注意すると土花は肩をすくめた。意外な事に普段は土護同様真面目な土実が土花に注意するどころかまるで同意する様にこちらを見つめている事に天理はこの姉妹の意思をうっすらと感じ取った。自分はどうやら姉妹達に試されているらしいと。天理は表情を正すと姉妹に向き直った。
「いや、気を使わせてすまん土護、ごめんな侯輝。ちゃんと言わない俺が悪い。その…一方的に押し倒された訳でも無いんだ。俺もその時にはもう侯輝が好きだったから。最初は押して押されたのも確かだけど、今は心から侯輝を愛しているよ」
弟を大切にしているであろう姉妹達にも安心して貰いたい一心で天理は少し照れながらもはっきりと侯輝への気持ちを口にし微笑する。その言葉に侯輝は感激した様子で顔を赤くしながら涙目で天理を見ていた。
「えへへ……」
天理の意志を確認し、照れ照れと幸せそうに笑う弟を見、姉妹は息を合わせたように一瞬顔を見合わせると微笑んだ。
「やだぁーラブラブじゃないのー!良かったわねぇ侯輝!」
「えへへありがとって痛いってば土花姉!」
「ふふふそうね。天理さん、侯輝の事よろしくお願いしますね」
「ありがとう。こちらこそこれからも宜しく頼む、土実、土花」
ばっしばっしと侯輝の背中を叩きながら祝福する土花に痛がりながらも喜ぶ侯輝を見ながら、土実は微笑みながら天理に頭を下げた。土護はその光景を嬉しそうに見ていた。
「ま、土護兄さんがもう認めてるみたいだし、侯輝なら誰が何言おうと放っておいても天理さんと一緒になりそうだったけどねー」
「そうなのよね。私は土護兄さんの意志に反対するつもりは無いし」
「はは、それでも二人にもちゃんと認めて欲しかったよ。侯輝を心から祝ってやって欲しかったからな」
微笑しながら言う天理に侯輝はにこにこと笑い、土花と土実はあらあらと顔を見合わせヒソヒソと囁くように話す。
「ちょっと天理さん侯輝の事大好きじゃないの。侯輝さっきから鼻の下伸ばしっぱなしじゃない」
「てっきり侯輝から沢山惚気話聞かされると思ってたら天理さんでお腹いっぱいになりそうね」
いいでしょ?いいでしょ?ともう笑顔だけで惚気る侯輝に姉妹は苦笑しながら言った。
「いや…まぁ…な。飯冷めるから早く食ってくれ」
やはり恥ずかしくて誤魔化してしまう天理を揶揄いつつ、姉妹との情報交換や交流をしながら夕食を済ませると、茶を飲みながら一息ついた後、土花が侯輝の頭をわしゃわしゃと撫でながら呟いた。
「それにしても侯輝は背伸びて良かったわねー出てくときはチビだったから天理さんとの仲進まないんじゃないかって心配だったわー」
「俺も背抜かれてしまったしなぁ…すっかり逞しくなって…もう抱っこはできそうにないな…寂しいものだ」
「もーみんなして子供扱いするんだから。でかくなくても、もう抱っこって歳じゃないよー」
乱れるヘアーを気にしながら少し剥れる侯輝の横で、天理は俺はお前に最近お姫様抱っこされてばかりいるんだがなと思ったが冷やかされるのは目に見えていたので黙っておいた。
「いやーホント侯輝ムキムキになったわよねー土護兄さんもムキムキしてるけどどっちが強いのかしらーそだ侯輝と土護兄さんで腕相撲勝負したら?」
「あ、俺やってみたいな!」
「ははは、流石にもう侯輝には敵わないんじゃないかな。……じゃあやろうか」
侯輝がわくわくと目を輝かせて言うので、弟との触れ合いが嬉しくて土護は仕方ないなという体をしつつも嬉しそうに了承した。
「土護兄さん頑張って」
「やった!土護兄よろしくね!天理応援してー」
「はいはいがんばれ」
天理は呆れたように言いつつも、どこか微笑ましそうに侯輝を見つめていた。土護と侯輝はテーブルを挟んで向かい合うとお互いに腕をだし手を組んだ。二人とも見事な上腕二頭筋が盛り上がり力瘤を作る。
「いくぞー」
「来なさい!」
「それじゃレディ?ゴー!」
土花の掛け声と共に二人の腕に力が込められ、机がミシミシと音がなる。
「うわ想定はしてたけど凄ぇな」
その様子に天理はちょっと引き気味に感想を漏らす。最初は拮抗していたが徐々に侯輝の腕が土護の手を押していく。
「く……ぐ……」
「ふ……ふん……」
土護が必死の形相で腕に力を入れるが侯輝も負けじと押し返す。
「おー頑張れー!いけー!」
「土護兄さんも侯輝も頑張ってー」
妹達の声援を受け土護が渾身の力を込めて侯輝を押し込むと侯輝も必死で押し返した。
「ふん……く……おお!」
「ぐ……ぐぐ……んぐ……負ける、もんか」
「がんばれ、侯輝」
「!はぁっ!!」
侯輝の必死な様子に天理が心からの声援を漏らす。万の力を得た様に侯輝が力を発揮するとドシンと大きなたて、土護の手は机についていた。
「よっしゃー!勝ったー!」
「ふぅ…侯輝強くなったなぁ……」
侯輝は喜びの声を上げ嬉しそうに跳ねる。土護は寧ろ弟の成長を嬉しそうにしていた。
「良かったな侯輝」
「うん!ありがとー!」
侯輝は自らの勝利の女神の微笑に満面の笑みで答えた。
「ちなみに天理さんはやらない?」
「どっちとやるにしても、俺の細腕でどうやってこのムキムキ達に勝てと?」
土花の質問に天理は自らの腕を擦りつつ遠い目をして答えた。
「でも天理言うほど細腕じゃないよ?鍛えてはいるし」
「ちょっと失礼天理さん。あら本当」
「あー俺の天理に気安くー」
遠慮無く天理の腕をシャツの上からペタペタ触り歓心する土花に、侯輝があわあわと慌てた様子で抗議し一同を呆れもしくは苦笑させる。そして天理は苦笑つつ答えた。
「でもこの兄弟に比べたら細腕だろ。俺のは」
「まあ確かにそうねー。見てみたかったけど」
「心から遠慮したい」
「……一度勝負してみるかい天理」
「「えっ!?」」
土護からの思わぬ発言に驚く一同。弱いものいじめとは真逆な性格で普段温厚な土護が明らかに戦力差がある勝負をわざわざ提案してきた事に。天理は首を傾げつつその真意を確認しようとする。
「どう考えても無理だろ?お前と俺とじゃ」
「じゃあこういうのはどうかな。ルール無条件、俺に勝ったら侯輝を正式に譲るってのは」
その内容に天理は眉をぴくりと動かした。侯輝が慌てて土護に抗議する。
「ちょっと何言ってるの土護兄!俺そんな勝負の結果で天理と離れるつもりないからね!どう見ても天理が不利じゃん!土護兄ほんとは俺たちの事認めてなかったの?!」
土護の発言に怒る侯輝の頭に天理はポンと手を置くとそっと宥める。
「まあちょっと待て侯輝。……土護、無条件でいいと言ったな?その内容だと本気を出さざるを得ないんだが?」
いつも通り天理は冷静に取り合わないと思っていた侯輝は驚いた様子で声を上げた。
「天理?!無茶だよ!……あ、無条件て精霊魔法?」
侯輝の気づきに天理は小さく笑って頷首する。
「構わないよ。一度天理と本気でやってみたかったしね。」
「人挑発しといて何言ってんだ。ま、そう言えば無かったなお前とガチでやりあうのは」
土護はいつも通りの穏やかな笑顔で答える。本気でやろうと言う割に穏やかに小さく笑いながら会話が進む土護と天理の間に立ち入れない気がして侯輝は少し悔しい思いがし沈んでいると、天理はそんな侯輝を撫でて微笑んだ。
「侯輝、お前の為に戦うから応援しといてくれ」
「うん!」
侯輝はぱあっと明るい笑顔になり、天理の言葉に力強く返事をした。土花と土実は尊敬する兄とその親友の戦いを固唾を飲んで見守ろうとしていた。
「ふふっ、じゃあ始めようか、筋力強化の魔法準備して構わないよ?」
「余裕じゃねぇか俺がほぼ詠唱無しで即時でも魔法使えるの知ってるだろ?」
「天理は今朝の事で疲れているだろう?それに接近戦を伴う施行は慣れてないかと思ってね」
土護は穏やかに笑い天理にそう促すと、天理はため息をつきつつ答える。
「まったく、お前はもっと疲れてるだろうが……お気遣いありがとうよ。後で文句言うなよ?……『ガノ!大地に居まし金剛の腕、我が身に宿り顕現せよ』」
天理は土護に促されるまま、身体能力を上昇させるべく指を鳴らし[[rb:土の契約精霊 > ガノ]]に呼び掛ける。
『はいはーい!がんばるよー!』
ポンっと小人の様な土の精霊が召喚されると天理の体に吸い込まれる様に一体化した。
同じ精霊魔法使いの土花にはあの一見ふざけた土の精霊によって一帯の土の精霊力が天理に集束していくのが分かり、自らの土の契約精霊まで引っ張られそうになると集中して慌てて押さえた。
「天理がちゃんと詠唱してるの久々だあ。本気だね!」
「嘘っ天理さんの本気ってこんななの?!」
「精霊全部出したら天理はもっと凄いよ!」
侯輝が得意気に言うと土花は驚いた様に目を見開く。
「準備はいいかい?天理」
「おう」
テーブルに肘をついて構える土護。天理は土護と向かい合う様に座り、手を組み合う。侯輝が組んだ手に手を添え開始の合図を発した。
「それじゃ頑張ってね!レディ、ゴー!」
「ぐ……」
「っ……」
「……あれ?」
精霊力を使えば瞬時にかたがつくと思われたが拮抗したまま勝負がつかない事に侯輝は首を傾げる。
「確かに…天理さんの土の精霊は凄いけど、土護兄さんとは相性が悪いわね」
土花の見立て通り、土護は強度の土の精霊属性持ちであり天理の土の精霊魔法がかなり疎外されていた。それを承知の天理は冷静に精霊力の維持に集中する。だがこのままでは拮抗したままだ。
「天理……」
天理が精霊達を攻撃的に使役する事、増して親しい人間に向かって使う事を好まない事を知っていた侯輝は心配そうに見守る。
「天理、本気を、出さないなら、本当に侯輝は、やらないぞ」
「!っ分かった、よ!『ブラム!』」
(『遊びで私を呼ぶなと…』)(『ガチだ!力貸せ!』)(『承知』)
天理は火の契約精霊ブラムを呼ぶ。いつも通り心話で苦情から始まったブラムを瞬時で説き伏せ、その身に火の精霊による陽炎の様な揺らめきが起こると、火の活性力が土の精霊力の血潮となって合わさり天理の力が増した。
「ぐっ……」
土護は精霊使いでは無かったが天理の精霊術に倣う様にその体に土の精霊の加護が纏われ土護の力も増した。
「っ!」
一進一退の攻防が続く。精霊力の発露の都度家がガタガタと揺れた。その精霊力が事細かに見える土花は目眩がしふらつくと横にいた土実に支えられていた。
天理の魔力が限界を迎えようとした時、瞬きもせず戦いを見守っていた侯輝が叫ぶ。
「天理!負けないで!!」
侯輝の声に反応する様に天理は精霊力を集中させると、あとはなけなしの腕力と気合いで押し込んだ。
「ど、りゃぁ!」
「っ!」
そして…土護の手がテーブルについた。
「やったーー!!天理の勝ちーー!!」
「うわっ!ぐぇっ」
誰よりも早く、侯輝が自分が勝った時以上に喜びのまま勢いで天理に抱き付くと、もう疲労困憊の天理はそのまま床に倒れた。
「お疲れさまー、とんでもないもの見させられたわー。家壊れるか思ったわ」
「侯輝、ちょっと落ち着きなさい。天理さん苦しそうよ。土護兄さんもお疲れ様」
「ありがとう。……大丈夫かい?天理」
土護が苦笑しながら侯輝と天理を起こすと、侯輝はもう天理から絶対に離れないとばかりに横からぎゅうと抱きしめ、疲れはてた天理はされるがままに抱き締められていた。
「土護兄!天理勝ったよ!これで俺は天理のものだからね!」
「ああ、元々そのつもりだけどね」
「なあ……ここ今勝った俺が侯輝は俺のものだって宣言するもんじゃないのか?締まらねぇ……」
「そんなこと無いよ、かっこ良かったよ天理♡」
侯輝は魔力切れ寸前でふらつき気味の天理の頬にチュッとキスをし顔を少し赤らめさせると、姉妹はあらあらまあまあごちそうさまと微笑ましく見ていた。苦笑しながら土護はお開きを宣言する。
「さ、今日はもう休みもうか、二人は明日朝早くから都に立つんだろうしね」
「はーい」とそれぞれが返事をし一同は眠りについたのだった。
深夜、まだ少し興奮気味で目を覚ました侯輝は隣で眠る天理を起こさないようそっと抜け出し客間を出ると、居間の夜空の見える窓辺で胡座をかき不安そうに俯いていた。
「眠れないのかい?」
土護が声をかけると侯輝は振り返らずに答える。
「うん……ごめんね起こしちゃった?」
「いいや、今日はいろいろあったからね。俺も目が冴えてしまったよ」
「……ねぇ土護兄……俺、本当に天理と一緒になって大丈夫かな?天理は俺と居て幸せになれるかな」
土護は静かに隣に座ると、いつになく不安そうな顔をする弟の頭を大丈夫だよと優しく撫でた。侯輝は少しだけ表情を和らげるもののまだ不安げで、そんな様子に土護は困った顔をする。
「侯輝もそんな顔をする様になったんだね。不安な事があるなら話してごらん」
「うん……あのね……俺、時々衝動が抑えられない時があるんだ……ちょっとしたことで嫉妬して止められなくて天理に酷いことして傷つけちゃった事がある……天理は許してくれたけどまた傷つけてしまったらって思ったら怖くて……」
土護はその時、侯輝の体からうっすらと闇の精霊が漏れ出している事に気づいた。土護は侯輝が幼少の頃から不安な事があるとこうして自身の闇の精霊力が制御できなくなる事を知っていた。土護はその事には触れずに穏やかに諭す様に話しかける。
「そうか……それは怖いね。少しずつで良い、天理と二人でゆっくり克服すればいいさ。完璧になってからでなきゃ結婚できないなんて事は無いよ」
「そうかな……」
「ああ、おまえも知っている通り、天理は強いだろう?それに天理なら何かあってもきちんと話し合える。どうしてもうまくいかなかったら俺に相談していいから。俺はいつでもおまえたちの味方だからね」
「土護兄ぃ……」
「ほら、明日は早いんだろう?もう寝よう」
「うん……ありがと、土護兄。おやみなさい」
「おやすみ侯輝」
土護は笑顔で客間へ戻る侯輝の後ろ姿を見送る。もう闇の精霊は漏れていない事を確認して安堵の息を吐くと自室へ戻って行った。
「天理……どうか侯輝の事、よろしく頼むよ……」
翌朝、侯輝と天理は早朝に土護達に見送られ都へと出発した。
土護は今生の別れかと思うレベルで侯輝との別れを惜しみ、侯輝は土護のあまりの過保護っぷり苦笑しつつ、これからはたまに手紙を書く事を約束した。土護達は侯輝と天理が見えなくなるまで見送っていた。
帰りも行き同様、侯輝は商隊の護衛の依頼を受け天理はその商隊の一団に混ざりながら都へ移動した。帰りは襲われる事もなく平穏に辿り着いた。
二人は昼くらいに都に辿り着くと、たった二日だったが普段住む都がひどく懐かしい気分になった。それくらい故郷での時間は充実していた。
侯輝は改めてこれから天理と結婚する事について思い直す。自分の大切な家族には認めて貰った。じゃあ天理の家族はどうなのかと。遠方に住む天理の両親は、侯輝が幼少の頃会ったのを最後に朧気に覚えているのみで、母親は天理に似て美人で面白い人、父親は少し強面で天理に少し似て偏屈な所があったが芯のある人だったと侯輝は思い出す。天理と決して仲が悪い訳では無い様だったが研究で家を開けがちな両親に天理は少し複雑な感情を抱いている様だと侯輝は感じていた。今回の結婚も事後報告でいいだろという気配すらある。天理がきちんと自分の家族に認めて貰って祝福されるよう頑張ってくれた様に、天理も家族に祝福されて欲しいと侯輝は思った。
「天理、俺、手紙書くよ、天理の両親に」
「え、いいぞうちは。俺が結婚するって一筆書くし。どうせ良いって返ってくるだろうし」
「ううん、俺が書きたいんだ。本当は直接挨拶したいけどね。ちゃんと天理の両親に天理の事くださいって伝えたいんだ。」
侯輝は真剣な瞳で天理を真っ直ぐに見つめる。天理は照れて視線をそらしながら返事をする。
「わかった……ありがとな」
「うん、俺、頑張って認めて貰えるように書くね」
二人は家に帰ると侯輝は早速天理の自室の机を借り、想いを込め気合いを入れて手紙を書き始める。侯輝は天理の両親への手紙にこれまでの事を書いていく。そして自分がどれだけ天理を愛しいるか、大切にしていくつもりでいるのか、結婚を許してくれるようお願いする。天理の両親にも受け入れて貰えるよう、天理が祝福して貰える様誠意を見せるつもりで書き綴った。
「よし!書けた!」
侯輝は書き上げた手紙を持ち居間に移動すると、居間のテーブルと椅子で俯きがちになりながら同じく手紙を書こうとしていたらしい天理に渡した。
「天理、これ、俺から天理の両親への手紙。どうかな?俺の気持ちちゃんと書けているかな?」
「え、俺読んじゃっていいのか?」
侯輝が頷くと、天理は侯輝から手紙を受け取り読み始めた。最初は恥ずかしそうに読んでいた天理だったが徐々に穏やかな表情になり読み終わると唇を引き結び俯いてしまった。
「どうだった……かな」
「侯輝……ありがとな」
震えを堪えるような声音で天理は呟いた。天理はその想いの詰まった手紙を大切に封筒にしまう。侯輝は天理も手紙を両親に書こうとしたまま冒頭で止まっているらしい事に気づいた。
「天理も書いていたの?」
「ん、ああ……正直書きあぐねてた。適当に"結婚するから"だけ書こうと思ってたんだけどな。なんだか書けなくて……でも大丈夫だ。お前の手紙見たらグダグダ考えてるのが馬鹿らしくなったよ。ちゃんと素直に書いて親父や御袋に結婚を認めて貰える様なやつを書く」
天理は侯輝からの手紙を両手で胸に当てながらそう言った。
「そっか、良かった」
「侯輝、ありがとうな」
「うん、頑張ってね」
侯輝が旅後の洗濯やら片付けをしている間に両親への手紙を書き上げた天理が「一応見といてくれ」と少し照れながら渡してきた。
「じゃあ読ませて貰うね」
侯輝は天理から天理の両親への手紙を読む。冒頭の『親父、御袋へ』からいきなり『侯輝と結婚する事にした。』には天理らしいとはいえ驚いたが、小さな侯輝があれから自分には勿体ないくらい立派に成長した事、心から愛し共に生きていきたい事、二人で幸せな家庭を築きたい事などが丁寧に書かれていた。
「…………」
心の籠ったその手紙に侯輝は思わず涙ぐみそうになったがなんとか堪えて読み進める。天理が自分を本当に大切に想ってくれている事がわかる内容だった。
「ふぅ……」
侯輝は手紙を読み終えると感情の高ぶりを落ち着かせる様に息をつく。
「ありがと、天理の気持ち、きっと伝わると思うよ。」
「ん……」
侯輝は照れたように笑うと手紙を天理に返した。
「天理の両親にも認めて貰えるといいね」
「ああ」
侯輝は手紙を大事そうにしまう天理を見て微笑むと、今度は天理の手を取り口づける。嬉しそうにしながらも照れながら笑う天理をそのまま押し倒したい衝動に駆られるがなんとか抑え二人で手紙を出しに冒険者ギルドに向かい送付した。その日受付業務を行っていたギルマスの嫁パルマからは「郵便一つ出すのにわざわざ二人で来たのかい?」などと冷やかされながらも無事手紙を送り終えた。
それから数日が過ぎ結婚式に備え諸々の準備を進める。披露宴に呼ぶゲスト、日付、場所、衣装、指輪、料理、音楽etc..
二人で相談して決めつつも自由に時間が取りやすくツテの多い侯輝が主に手配を進める。披露宴会場とした冒険者の酒場で、侯輝が披露宴を取り仕切ってもらうギルマスと相談をしていると、それを見て侯輝に片思いしていた育海がショックで失恋リサイタルを開催し始めてしまい、下町髄一の歌姫で魔法歌の使い手でもあった育海の歌により聴衆が感化され大パニックが起こってしまった。そんなこんなもありつつ、無事に式の準備を終えた二人は数週間後ついに結婚当日を迎えるのであった。
[newpage]
土護達兄妹が都に上京し、挙式に出席する家族が揃うと、幌馬車に乗り結婚式会場である遺跡へと式の段取りを確認しながら向かう。
天理の予想通り、遠い他国で働いている天理の両親はやはり来られないとの事だった。天理の元には二人の結婚了承した事、侯輝への礼、手紙だけ式場で読めとだけ添えられた手紙が来ていた。
「式場で土護君に読んで貰えだと。相変わらず自由な親だよ」
小さくため息をつきながら天理は両親からの手紙を神父役を務める土護に渡す。
「預からせて貰うね。大変なんだろう?あちらの国も。手紙は定期的に来ているのであればいいんじゃないかな」
土護は大切に懐に仕舞いつつ侯輝をチラと見ながら言うと、侯輝は慌てた様に弁明する。
「だからこれからはちゃんと出すってば!」
「こいつ結局招待状俺に書かせようとしたからな。俺は口頭筆記官じゃねぇっての」
「二人の招待状なら天理から出せばいいと思って…」
言い訳をする侯輝が天理にぺしっと叩かれる光景を見て土護は苦笑しながらも微笑ましく二人を見た。
「天理、これからも世話をかけるね」
挙式を上げる遺跡に辿り着く。以前は遺跡を守る警護機械兵が居たがその後冒険者により駆逐され安全な遺跡となり、調査によっていくらかの機能を所有する遺跡である事が判明していた。
入り口近くの小部屋で侯輝と天理は別々に結婚衣装に着替える。侯輝が白のモーニングコートで身なりを整え、アップだったツーブロックの髪型を更に上にあげて整え薄くメイクを入れると、普段ラフな服装である事が多く、元々端正で逞しい顔立ちではあったものの幼さが残っていた顔から少年らしさが消え、精練された美丈夫となった。金髪を煌めかせ笑顔で佇めば爽やかな王子様に見えなくもない。
別室で天理が準備を終えるまで待っている間、侯輝はそわそわ落ち着かなかった。そんな弟の様子を見てメイクを担当した土花が突っ込みを入れる。
「落ち着きなさいよ、侯輝」
「だって、本当に天理と結婚出来るだなんて夢みたいでさ…」
侯輝が自分の頬を抓ると、侯輝の土花がすかさず直し始めた。
「ちょっと!折角やってあげたメイクが崩れるじゃないの」
そうこうしていると神父役として祭服に着替えた土護が天理の支度が終えた事を伝えに来た。
侯輝が部屋を移動し目に入ってきた天理の姿に侯輝は言葉を失った。侯輝と揃いの白のモーニングコートはスタイルの良い天理に良く似合っていた。普段少し下していた前髪は上げられ後ろに流されており、すっきりとした表情で天理の整った顔立ちがよく見えた。侯輝同様薄くメイクされた顔はいつもより優美な雰囲気が漂う。そんな天理が着飾った侯輝を見た一瞬目を丸くして驚いたあと、にこりと微笑すると侯輝はどきりと心臓が跳ね上がり言葉を失った。
「侯輝?おかしいか?……なあ、何か言ってくれ」
ぽーっと見惚れたままの侯輝に、天理は恥ずかしがりながら、いつもと違う髪型にそっと手を添え不安げに聞いた。その言葉に侯輝はハッと我に返る。
「凄く綺麗だよ天理!天使かかみさまが舞い降りたのかと思った!凄くよく似合ってる!」
「大袈裟だ。ありがとう。お前も男前だぞ」
侯輝は天理の手を取り、眼をキラキラさせながら褒めると、天理ははにかみながらも嬉しそうに微笑みつつ侯輝を眩しそうに見た。
「ありがと!天理!」
侯輝が喜びのまま天理に抱き着き、天理は慌てつつも侯輝を抱き留める。姉妹に呆れられ、土護に窘められて、一同は式場と定めていた部屋に移動した。エレベータの籠に全員乗り込むと転移ボタンを姉妹に押して貰い、式場の部屋へと転送された。
そこは二人の始まりの部屋だ。
はじめて訪れた土護・土実・土花は、話には聞いていたが、最初、壁も窓も無く天井から無機質な明かりだけが灯るその部屋に驚いた。侯輝と天理が正面奥のプレートの前に立つと文字が浮かんできた。
『この部屋に入ってきた者の愛を確認し、扉を解放します』
すかさず侯輝はプレートに向かって告げる。
「俺達の関係は婚約者だ!これから家族となって愛を証明をする!」
『ではお手伝いしましょう』
プレートの文字が変わると、何も無かった部屋の中に突如祭壇や燭台、椅子、鮮やかな花で飾られた花道などがスゥっと現れ蝋燭に火が灯されると厳粛な教会の様相となった。土護・土実・土花は感嘆の声をあげる。
[uploadedimage:13748099]
「土護兄、お願い」
侯輝が振り返り兄の名を呼ぶと土護は神父の顔になり二人を迎えるべく祭壇へ向かった。土実と土花が静かに椅子に座る。そして侯輝と天理はバージンロードの端に立った。
「ではこれより、二人の新郎、侯輝と天理の結婚式を執り行います」
土護が厳かに結婚式のはじまりを告げた。
「男同士の場合どうすんだろな?腕組んでくか?」
天理はボソッと侯輝に相談する。
「俺達ならやっぱこれでしょ!」
侯輝は天理の肩と膝に手を添え、お姫様抱っこをしてみせた。
「はぁ!?ちょっと待って!それは無しだって!!」
「大丈夫、俺が絶対落とさないから」
侯輝の腕の中で恥ずかしそうに慌てふためく天理に、侯輝は自信満々に宣言するとゆっくりと進み始めた。
「そういう問題じゃない!!」
「ちょっと始まる前からイチャつき始めてるじゃないの」
「もう侯輝ったら、私の完璧な化粧が崩れないか心配だわ……」
「まあ、いいんじゃないか」
始まる前から既にラブラブオーラ全開な二人に土花が呆れて突っ込みを入れ、土実が天理のメイクの心配をし始め、土護が苦笑しながら二人を見守る。観念した真っ赤な天理を抱えながら侯輝がバージンロードを進み、祭壇の前に着くと天理を下した。
神父役の土護が聖書を読み上げ大地の神に祈りを捧げる。
「では、誓いの言葉を述べてください。新郎、侯輝さん。あなたはここにいる天理さんを病める時も健やかなる時も富めるときも貧しき時も、伴侶として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います!」
侯輝は決意に満ちた瞳で力強く答えた。
「新郎、天理さん。あなたはここにいる侯輝さんを病める時も健やかなる時も富めるときも貧しき時も、伴侶として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「はい。誓います」
天理は真摯な表情で、しかしハッキリとした口調で答えた。
「二人の上に神の祝福を願い、結婚の絆によって結ばれたこの二人を心から歓迎いたします。今日、二人はカップルとなりました。おめでとう。今、この瞬間より二人が共にある限り、死がふたりを引き裂いても、魂は永遠に結ばれるでしょう。それでは指輪の交換をしてください。そして、誓いの口づけを……」
侯輝が天理の手を取り指輪を薬指に通すと恭しくその指にキスをする。土花が「うちの弟すっかりキザに育ったわね」と小さく呟いた。
続けて天理も侯輝の左手の薬指に指輪を通す。天理がちらりと侯輝を見るとわくわくと期待する目で見られたので仕方ないなと侯輝の手をを返し、手の内側から指輪にキスを落とした。天理が照れている中、侯輝はつい先ほどの恭しさを忘れ頬が緩むのを必死に堪えていた。
「やだ天理さんたら大胆。意味分かっててやってるのかしら」
「私は天理さんの性格的に分かってない方だと思うわ。それにしても侯輝、本当に幸せそうね」
指輪交換が終わり、侯輝が恥ずかしがり屋の天理がここでキスをしてくれるだろうか、フリだけでも…思いながらの肩に手を添える。すると少し体を固くした天理が片手を上に差し出してきた。
「侯輝、手、組んでくれ……」
小さな声で囁くように言われ、侯輝は嬉しそうに差し出された手を絡ませ、勇気を与える様に力強く握る。天理がほっとした様な表情になり、体の固さが抜けたのが分かった。そしてお互い愛おしそうに見つめ合うとそっと唇を重ねた。
「おめでとう!」
「おめでとう。二人とも」
「おめでとう、侯輝、天理」
土花がフラワーシャワーを派手に撒き、土実がライスシャワーをやさしく振りかける。土護は心から二人を祝福した。
『あなた方の愛の証明はされました』
奥のプレートの文字が変化するとスッと壁に扉が現れ、ゆっくり開かれると外の明るい光が二人を照らした。侯輝と天理は幸せそうな笑顔で微笑みあい、その手を強く握りあったまま扉へと花で溢れた道に足を踏み出した。
『お幸せに~』