1.その陽射しに目を逸らす

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「おはよ天理てんり!ね、ね、もしかしてクシャ遺跡行くの?護衛探してるんだよね?俺空いてるから護衛するよ!」

「っ……、おはよう侯輝こうき。そうだが……お前いつ来ても大体いるな。暇なのか?」

よく晴れた日の早朝、遺跡調査の護衛を雇う為冒険者ギルドで求人票を記入していると、背中からずしりとした重みを感じると同時に抱き付かれた。振り返らずとも俺にこんな無遠慮な事をする人物は一人しか知らない。脇腹から前に回された逞しい腕に一瞬びくりと反応してしまうも努めて冷静を装い、俺は侯輝にそう返した。……このやり取りももう何回目だろうか?

「暇じゃないよう。でも今日は空いてるからさ!ね、俺でいいでしょ?」

「分かった、お前に頼むから一旦離れろ。重い」

「はぁーい」

侯輝は渋々といった様子で俺の両脇に下げた手を引っ込めた。密着していた体が離れ、少し距離を取ると俺は心の中の何かがほっと落ち着くのを感じる。

侯輝は俺と故郷を同じくし、お隣さんとして一緒に遊んでいた同い年の友、土護ともごの歳の離れた弟だ。小さい頃なぜか俺になついて土護と一緒に遊んでいた。キラキラとした蜂蜜色の金髪と人懐っこく愛嬌のある笑顔はご近所さんから天使の様だと持て囃され、多少俺には我儘や悪戯が過ぎる事もあるが俺もその外見評価には同意していた。
大人になり俺は考古学を学ぶ為魔術学院のある都に上京し遺物調査考古学者に、そして侯輝はその頃両親を早くに無くし保護者となった土護の反対を押しきって上京、冒険者となっていた。家出同様に上京してきた侯輝は最初は行く宛がなく兄代理として俺の宿舎に居候させてやっていたのだが、二年前頃思うところがあったのか冒険者として実入りが落ち着いたのか居候を卒業し冒険者達の宿屋住まいをする様になっていた。侯輝は成長が遅いタイプだったのか居候させてやっている時期はなかなか背が伸びず年相応の見た目になるのに苦労した様だ。だが俺の家を出て以降成長期がやってきたのかぐんぐん背が伸び会う度に縦にも横にも大きくなってとうとう俺の背を抜いていた。上背は俺とさほど差はないがプロの戦士として鍛えられた肉体は、屋外調査の為の最低限の維持のみで肉が付きにくい俺とは比べるまでもない程に成長している。あんなに可愛らしくて小さかったのに立派になって…と、土護同様、弟の様に思っていた俺は感無量であった。
ただ逞しく成長しても人懐っこく愛嬌のある笑顔はそのままで、そして俺への態度も昔から変わらないままであった。昔から侯輝に懐かれるのは嫌では無かったが、子供がじゃれついてくるならまだしも、もう二十歳にもなり、冒険者としてもそろそろ中堅に差し掛かってきた男が相も変わらずじゃれついてくるのである。他の女性には無闇にそれは無い様子なので兄代理としては一安心しているが、成長し逞しくも男らしく成長した今、侯輝にくっつかれると何故か落ち着かないのだ。
侯輝は爽やかな笑顔の好青年に成長していた。だが他の冒険者の男達ともよくふざけて騒ぎ、女性達とも仲が良さそうに話しているのをよく見かける。きっとモテるのだろう。そんな男が男にじゃれついていたら折角の出会いの邪魔になるのではないか?と、そんな気持ちからか侯輝にくっつかれるとつい邪険にしてしまうのだ。きっと彼女ができたら落ち着いてこうして構われるのも無くなるのだろうと思うとほんの少し寂しく思う。

冒険者ギルドに侯輝を護衛として雇う事を正式に手続きする為、ニコニコ笑顔の侯輝を連れて受付カウンターにいたギルドマスターの妻パルマに求人票、契約書と契約金を提出する。だが侯輝とセットで向かうと呆れ顔をされるのは何故なのか。

「はいはいクシャ遺跡探索の護衛契約、受け取ったよ。侯輝、気をつけて行っといで」

「はーい」

「パルマ、前々から思っていたんですが俺は侯輝の指名料金を払わないとならないんじゃ?」

通常依頼ではギルド側が人材を紹介するスタイルで雇用者が冒険者を直接雇用しようとすると指名料がかかるのだ。侯輝は俺には一見暇そうに見えるが最近は「指名依頼受けたんだ♪」と嬉しそうに話す事もありランクも低くはないはずなのだ。

「ふふーん♪大丈夫!天理が指名した訳じゃないし“たまたま”今空いてた丁度いい冒険者が俺だったんだから問題無しだよ天理!」

「……まあそういう事だよ。出世したら色を付けておくれ天理」

「それは面目ない……ありがとうございます」

パルマが答える前に得意気に侯輝が説明しているとパルマはやはり呆れた様にジト目で侯輝を見ていたがヤレヤレとため息を付くと、やはりいつもの事なのか俺の肩にポンと手を置きにこやかに微笑むと見送ってくれた。

古代史科は人気や需要のある精霊学科や魔法工学科、商業科と異なり予算が少なくカツカツだ。故に護衛に払ってやれる報酬も最低ラインギリギリとなり冒険者ギルド繁盛期には護衛を探すのが本来難しい。難しいのだが俺は侯輝のお陰でどうにかなっていた。侯輝は情報収集も優秀で俺が調査しに行きそうな遺跡の情報を事前にキャッチしている事が多い。今回のクシャ遺跡の古代遺物の情報は他の冒険者がお宝以外に見かけた何かよく分からない壁画程度だったのだが。侯輝はひょっとしたら昔馴染みの俺に気遣ってくれているのかもしれない。昔から優しいやつでもあったのだ。その優しさは嬉しい。

そして出掛けには他の冒険者達に「気張んなよ」「頑張ってくださいね」「キメてこいよ!」と、男女問わず挨拶というより声援を受け、侯輝は都度声援に応えていた。侯輝が冒険者達と円滑な生活をおくれている事は兄代行としては安心するばかりだ。


「お前、本当にモテるよなあ。はは、もう彼女とかいるんだろう?」

「えっいないよ!……天理は?」

乗り合い馬車乗り場に向かいつつ、また保護者目線になっていた俺はそんなプライベートな話をしてしまっていた。驚きの反応を示す侯輝に、デリカシーの無いおっさんかよと内心反省する間も無くカウンターを返され苦笑する。

「俺か?俺はなあ……お前みたいにモテないし遺物研究ばかりな甲斐性なしの俺じゃ無理だろうな」

学生の頃、友人の関係から交際を求められて彼女はできた。俺なりに大切にしていたつもりだったのだが研究にかまけて情熱が足りなかったのかフラれてそれっきりだ。それから時折女性から連絡先は聞かれるが仕事も研究もあったし俺からは誰にもアプローチする気になれず恋人はいない。

「そんなことないよ、天理かっこいいんだからね!俺天理のこと大好きだもん」

「ははは、ありがとな」

侯輝は昔からこんな調子で俺に懐いてくれていた。ニコニコと無邪気に好意を向けてくれる様は心地良い。子供の頃から見ている癖でつい撫でてしまうが、もう子供でも無いのに侯輝は嫌そうにするでもなく「えへへ」と嬉しそうにしている。すっかり自分よりやや高い位置にある頭を撫でながら、俺は侯輝の「好き」はきっと家族や友人に向けるものと同じなのだろうなとぼんやり思った。女性にもきっとこの調子で言っているからきっとモテるのだろう。付き合っている女性はいないらしいが方々に勘違いさせていないか兄代理としては心配である。


クシャ遺跡へは途中まで乗り合い馬車で向かった。遺跡近くの村で馬車を降り、そこからは徒歩で遺跡へと向かう。その辺りは比較的安全な一帯ではあったが侯輝はキリッと引き締まった表情をすると周囲を油断なく見回していた。若くして上京し冒険者としての歴の長い侯輝はいつの間にか雰囲気や面構えが大人び、その佇まいに頼もしさを感じる様になっていた。

「クシャ遺跡付近に危険な魔物が出たって情報は無かったけど警戒はしてね。でも天理の事は俺が守るから安心して!」

「おう、頼んだぞ」

その成長っぷりを頼もしく思い思わず笑みが溢れる。それをみた侯輝は嬉しそうな顔をするとまた幼さが残る顔で笑った。
遺跡内は得ていた情報の通り大きな障害も無く進んだ。討伐報告のあった箇所に進むと倒された大型の怪物の死骸を食べる犬猫程の小型の魔物が数匹いた。一瞬警戒したが俺達に気づくと一目散に逃げていった為ホッと胸を撫で下ろす。俺一人だったら襲われていたかもしれない。一人でも冷静に対処すれば精霊術でどうにかなりそうな相手であったが正直戦闘はあまり得意な性分ではない。ぶっちゃけ怖い。

「ここのヌシがいなくなったから弱い魔物が他所から流れてきているかもね。大丈夫?天理」

「あ、ああ。平気だ。……お前がいてくれるからな」

「えへへ、どんどん頼ってよね」

本当は強がりたい所だが、言葉の後半は苦笑しつつも素直に現状を述べると侯輝はにっこりと笑い応えた。侯輝は昔からの付き合いでもう俺の性格や気質をよく知っている。最初は年上らしくあらねばと意地を張って強がっていたのだが、気を使ってくれる侯輝に強がったところで仕方あるまいと俺が素直に頼るとトラブルが減ったし何より侯輝がとても嬉しそうにする事に気づいてからは素直に頼るようになった。

そうして俺達は情報を元に順調に歩を進めて行き、今回の俺の調査目的地であるクシャ遺跡の最奥らしき所まで到達した。何かの儀式をする部屋だったのか高い位置に小窓が付いた広い部屋の壁際には石の篝火台やテーブル、何かのオブジェがあり壁面には古代語らしき文字と絵が書かれていた。情報によるとここに財宝を集める魔物がいたという。魔物は冒険者達によって討伐され、めぼしい財宝は全て運び出されていた。残るは戦いの跡と腐臭をまく魔物の亡骸のみだ。

「うわぁ凄いね。所々欠けちゃってるけど保存状態いいんじゃない?良かったね、天理!」

「ああ……素晴らしいな。あ、すまん解読に集中するから……」

「はいはい。俺は静かに辺りを警戒してるから終わったら呼んでね」

まずは契約精霊炎の精霊ブラムに頼んで腐臭をまく魔物の亡骸を焼く。侯輝は鞄から小袋を取り出し灰を一掴み入れると封をして鞄に入れた。なんでも強い魔物の灰は炊くと魔除けになるらしい。俺が感心していると侯輝は嬉しそうに得意げな顔をした後、キリッと表情を引き締めると部屋の入り口に立って辺りを警戒し始めた。プロとしての顔を見ていると都度頼もしくなったと嬉しく思う。

侯輝に警護してもらいながら調査を進める。どうやらここいら一帯を治めていたクシャ一族の創設記が物語風に記録されていた様で新しい発見もあり俺は密かに興奮しながらメモを書き綴っていた。

ニ時間程作業を進め一休みしようとすると侯輝が「お疲れさま」と言いながらいつの間にか用意していたマグカップに飲み物を注いできてくれた。俺の気付かぬ間に携帯食から簡単な食事の用意まで進めてくれてあった。そろそろお昼頃だろうか腹が減っていた為有り難く頂戴する。侯輝は俺が集中してる間周囲に気を配りながら俺の世話も焼いてくれていた様だ。

「ありがとな」

「ん、いーえ」

ニコニコと明るく笑う侯輝が眩しく感じられて俺は思わず目を逸らした。いつものやり取りではあるが最近何故だか落ち着かない。ふと、侯輝のその視線が恋人の向ける視線の様な気がするからなのではと思い当たった。俺なんかに向けるには勿体無い、これはきっと罪悪感からみたいなものなのではないかと考えに至った。

「お前ホントに気が利くよなあ……なあお前彼女居ないっていってたけど好きなやつもいないのか?お前なら選びたい放題だろうに」

「んー俺、ね、好きな人は居るんだ……」

快活な侯輝にしては珍しいどこか迷う様な言葉の詰まり方。俯きがちな侯輝の頬が少し赤い様に見え、俺はその反応が意外で思わずまじまじと見てしまう。

「へえ……どんなやつなんだ?」

「えっとね、普段は凄く凛々しくてかっこいいんだ。それでいて優しくてお人好しで。気取った感じも無くて自然な笑顔に俺いつもドキドキしちゃうんだ」

侯輝の表情は恋する少年のそれだった。侯輝がこんなにも誰かを想っている事があるなんて知りもしなかった俺は驚きと、そして今まで意識して居なかった侯輝の一面に少し動揺していた。人懐っこくモテるであろう侯輝がこんな片思いをしているだなんて。告白されれば誰だってOKされるだろう男なのにだ。複雑な事情でもあるのだろうか。

「お前はそういう子がタイプなんだな」

「うん!いつも一生懸命で……でもさ、ちょっと天然なところもあって、なかなか気づいてもらえないんだよね。すぐ弟扱いされちゃって恋愛対象として見て貰えないし……」

年上にそんな感じの人がいるらしい。年上か。誰だか知らんが気づいてやれよ侯輝こんなにいいやつなんだから。だがそいつと恋仲になって紹介するねと連れて来られたらと思うとなんだか複雑な気分になった。きっと小さい頃から知っている侯輝が婿に取られてしまう親みたいな気分なんだろう。弟大好き土護のが移ったのかもしれない。

「お前逞しくなったけど愛嬌あるからな。親しみやすいしそういうところ俺は好きだけどな」

「そうかなっ!好き、になって貰えるかな?」

侯輝がパッと顔を上げて嬉しそうに俺を見た。やはり侯輝の笑顔は見ていると嬉しくなる。余程の事情でもない限り侯輝の恋は叶うと思いたかった。いつかこいつの笑顔を独り占めできるやつが少し羨ましくなった。それでも侯輝の恋は応援してやりたかった。

「なれるさ。お前なら」

「えへへ、ありがと天理!がんばるね!」

それから昼食休憩を終えると俺は再び作業に入る。時々休憩を挟んだとは言え今日1日では時間が足りなさそうに感じた。壁画だけでなく室内に散乱していた一見ガラクタの様な物体に仕掛けがあり壁画が動かせる事に気づくとまた新しい壁画があったのだ。みつけた独自の仕組みは今後のクシャ遺跡全体の探索に影響するかもしれない。情報としても売れるだろう。夕方が近づいてくると侯輝が地図で遺跡近くの小屋らしきポイントを示しながら提案してくれた。

「天理、今日は近くのこの小屋で一泊していかない?どうせなら調査しきりたいでしょ?」

「俺は願ったりだが……お前予定はいいのか?勿論追加の護衛費は出すが……」

「もっちろん!クライアントの満足度が大事だからね。冒険者としては護衛対象の要望を聞くのは当然だよ!お代も割引きしちゃう!馬車代も出してあげるから心配しないで!」

「ば、薄給しか払ってないお前にそんな真似させられるか!」

「いいの!俺がしてあげたいんだから!」
「だめだ!」

「もーそういうとこは頑固なんだからー」

なんてやりとりをしつつ侯輝の提案で小屋までもどり一泊する事になった。


遺跡からそう離れていないその小屋には魔物避けの香を四方に焚く設備があり、早速手に入れた香を炊くと辺りに不思議な匂いが充満した。この小屋には簡易的な寝具も置かれていた為それを使わせてもらう事にする。護衛対象である俺に気を使ってか侯輝は外で寝ると申し出たが一人で不寝番させる訳にはいかず、俺の風の精霊魔法でできるだけ遠くまで香が届く様にして焚く事で納得させて二人で小屋で休む事になった。
風呂は当然無理だったが備え付けの水瓶に水が貯まっていたので拝借して顔と手足を洗い、身体も沸かしたお湯で濡らしたタオルで拭う。
服を脱いで拭っていると同じように体を拭っていたと思っていた侯輝がまじまじと俺の身体を見ている事に気づいた。今さら見られたところでと思うもののなんとなく落ち着かなくて口を開いた。

「何か付いてるか?」

「……ううん、やっぱり鍛えてたんだなって」

プロ冒険者には遠く及ばずとも俺なりに身体は鍛えてあるつもりだったので嬉しくなる。いくら雇ってるとはいえいつも侯輝に頼りっきりでいたくはなかったのだ。惚れ惚れする程の体躯を持つ侯輝に評価されるのは思いの外こそばゆい。

「はは、まあ少しはな」

「ね、背中拭いてあげる」

「お、じゃあ頼んだ」

「うん!」

照れくさくは思ったが侯輝が楽しそうにしていたので身内感覚もありお願いする事にする。
暖かなタオルが背中に触れる感覚がした。丁寧に拭われて結構気持ちが良い。

「ふぅ……ありがと、なっ!」

一通り拭ってもらい終わったところで礼を言おうとした瞬間背中にツツツと指を滑らされ体がビクついてしまった。やられた。まったく悪戯好きは変わらないままか。まだ故郷にいた頃こいつに俺が擽り攻撃に弱いという事が発覚させられてしばらく悪戯されていた事があったのを久々に思い出した。

「天理相変わらず敏感なんだね」

「っ!侯輝、おまっ!」

「あはは、ごめんね」

振り返り抗議の声を上げると侯輝は笑いながら謝ってくる。全く悪びれる様子がないのは昔と変わらず憎めない。
それでも拭ってくれた礼に俺も侯輝の背中を久々に綺麗にしてやろうとタオルを濡らし絞っていると、突然、背中から抱き付かれた。

「なっ?!なんだよ……」

半裸の体で抱き付かれたのなんてそれこそこいつがガキの頃ぶり以来だったからその感触に俺は動揺した。俺よりも暖かい体温。俺を包み込む体躯。

「天理の背中見たらさ、なんかこうしたくなっちゃった。……俺が片思いしてる人ね、天理にそっくりなんだ。だから天理のお世話してるとね、すっごくドキドキする」

「そ、うか」

侯輝が俺の背中越しにそう話ながら俺の体を抱き締める腕に力を込めてくる。俺はというと突然の告白にどう返していいか分からず混乱した頭で短く返した。

「それでねアプローチしてもなかなか弟扱いが抜けないからもっと直接的に触れてみようと思ったんだけど、天理の意見が聞きたくて」

侯輝がそう話しながら俺の腹から胸へと撫で上げてくる。その指の動きは昔悪戯で擽ってきた時とは比べ物にならない程いやらしく動き、侯輝の指が俺の胸の突起を掠めると、俺はまた体をビクつかせてしまう。俺は擽ったいからという訳ではない何かに、できるだけ何ともないフリをしながら抗議する。

「っ……おい」

「ね、俺って魅力ないかな?それとも天理はこういうの嫌い?」

「そ、そんなことは……だがな……」

侯輝は魅力的な男だと思う。だがいくらそっくりだからって俺の好き嫌いはそいつとイコールではあるまい。そう言おうとして振り向くと侯輝と目があった。その表情に俺はドキリとする。侯輝の表情は熱っぽくて、そしてどこか男臭く見えたのだ。それはもう悪戯をする子供ではなく一人の男だった。瞬時、こんなにも想ってもらえるそいつが羨ましいと思ってしまった。

「ねえ教えてよ天理……お願い、ね?」

甘え請い願う様に囁きながら侯輝の手が俺の股関節をなぞる。ゾワリと身体にはしる感覚。それは擽ったさや不快感とは違ったもので、己の中に沸き立つ感情に戸惑いを隠しきれなかった。

「嫌、じゃ、ない……」

「ホント?!」

ぎゅうっと抱き締める腕に力が籠る。その声音と籠る力が本当に本当に嬉しそうで侯輝が本気でそいつに惚れているのが伝わってきた。と同時に少し腹が立ってきた。俺とそっくりで侯輝にこんなに想われているのに侯輝のアピールに全く気づかず弟扱いしてくるそいつ。侯輝は一緒にいたら楽しくなるやつで、頭の回転だって速くて気も使えるし、一緒にいると勇気まで貰える。可愛げがあるのに最近は男らしく逞しくもなって……
変われよ。俺とそっくりなら俺でもいいだろ。そしたら。

……今、俺は何を考えた?

「っ……!」

その瞬間頭にかーっと熱が集まるのと同時に己の本心を自覚した。と同時にそれは許されない事なのだと自らの心に強引に冷水を浴びせる。侯輝は既に好きなやつがいるのだ。俺は年も離れた男だ。そして兄代理としての責任感がその想いを更に封じる。どうしても冒険者になりたいのだという侯輝の上京は、反対する土護に俺が兄代わりとして面倒を見て立派に成人させるという約束をして説得したのだ。今さらどの面下げて土護にお前の弟をくれなどと言えようか。信用してくれた親友を裏切る真似は俺にはできなかった。俺の想いは封じよう。墓まで持っていく覚悟を決めた。恋を自覚するのと同時に失恋した心を歯を食い縛って耐える。
そして俺は咄嗟に体を離して侯輝に向き直った。

「わっ!天理……?」

「す、すまん侯輝。お前の想い人への誠実さに感動してな。しかしだ、俺そっくりのやつなんてお前も物好きだなと思ってな。でもその調子ならきっと上手く行くぞ!」

「う、うん……」

侯輝とは少し距離を取りつつその想いに応えるべくなるべく平静を保って口を開く。戸惑いを見せる侯輝を押しのきながら俺は続ける。頼むもうこれで見合いでも何でもいいから話をつけてくれ。そして俺を諦めさせてくれ。そんな気持ちだったのだが、何故か侯輝は表情を曇らせた。

「やっぱり……ダメなのかな……」

「……!」

その表情は泣きそうな程悲しげで、迷子の子供の様に見えた。自分の気持ちにかまけて否定的な行動をとってしまったのが良くなかったのかもしれない。侯輝の想い人が俺そっくりならその態度にショックも受けるだろう。こんな顔をさせたかった訳では無いのだ。俺の気持ちはいい、ただ侯輝には幸せになって欲しい。そして何より今、辛そうな顔をしている侯輝を放ってはおけなかった。気づけば俺は侯輝を抱き締めていた。

「!……天、理?」

「ごめんな、俺はいつも気が利かない。俺はお前の想い人にはなれんが、その、なんだ。今日一日は代行というかそんな感じでいてもいいと言うか。俺だってお前を大事に想ってるのは確かだからな」

「!」

恥ずかしさのあまり小声になってしまったが侯輝には伝わった様で泣きそうだったその表情を綻ばせた。そして再び背中に腕を回して抱き締め返してくれる。今日限りだ。これが最後なのだからと己に言い訳をしその感触を味わう事に集中する事にした。

「天理はやっぱり優しいね。ありがと。今はもうちょっと……このままでもいいや」

「ん、そうか……」

甘える様に擦り寄ってくる侯輝の頭を撫でてやりながら、元気なった様子の侯輝には一安心する。
一安心したんだが。なんだが侯輝の股間が膨らんでいる。

「……おい。元気になりすぎじゃないか?」

「えへへ♡仮にも想い人と半裸でハグしてる訳だからさホラ、ね?」

可愛らしく照れつつも悪びれる様子が無いのは相変わらずか。侯輝は若いし分からなくはないが、そこまで元気にさせてやるつもりまで無かったぞ、と先ほど侯輝の手付きで少しそんな気分になっていた自分を棚にあげる。どうすりゃいいんだ想い人代行的に。

「天理……触って欲しい、な」

「はぁっ!?」

侯輝が物欲しげな表情と声でそう言って俺の手を自分の股間に導いた。するとその瞬間ドクリと大きくなった。いいのか俺で。しかし、想い人そっくりが半裸でいたら精も盛りな歳の侯輝なら反射的になってしまうのはあるだろう。男とはそういうものなのだ。ええい!

「~~っ!触るだけだぞ」

「やったあ!」

俺はしばし逡巡したのち喜ぶであろう侯輝の為とほんの少し自分の欲を満たすため侯輝の願いを聞き入れる事にした。侯輝はベルトを外しその剛直を取り出す。俺は想定より立派に成長していたそれに少し怯みつつも慎重に片手で包み込む。熱くドクドクと滾るそれにドキリとしながら優しく擦った。

「ぅ、んん……!天理の手……きもちいいっ♡」

侯輝は切なそうな声を出しながら俺の手の上から手を添えると俺の手ごと上下に扱く。その手からもっとキツめをご所望らしい事を感じ強さを変える。侯輝が反応している箇所を探りそこを責めれば吐息が熱くなり、俺で気持ちよくなってくれているという満足感を得た。

「っ……はあっ……」

侯輝は頬を染めながら俺の肩口に頭を乗せ、熱い吐息を漏らし興奮を昂らせる。その様子に俺も落ち着かなくなっているのを感じていた。思えば想い人が目の前で興奮しているのである。俺とてまだ枯れるには早すぎる歳なのだ。落ち着かなければならないのに迂闊に行為を受け入れてしまった己を反省し、必死で自制しながら侯輝の剛直を擦る。すると先端から先走りがぷくりと溢れてきて俺はそれを指先で掬うと滑りを利用しながら尿道口を弄った。

「あ、あっ♡て、んっ……そこっ!だ、だめぇっ!ああっ!!」

侯輝はあられもなく喘ぎビクビクと体を震わせながら白濁を俺と侯輝の手の中に放った。力が抜けた侯輝が倒れ込みそうになるのを慌てて支えてやる。
侯輝が、想い人が、己によってエクスタシーを得られたという事実に得も言われぬ感覚を覚えた。

「大丈夫か?」

「ん……ありがと……気持ちよかったぁ……」

「そ、そうか……良かった。それじゃ、そろそろ寝るか?」

そんな事を言いながらとろける様な笑顔で見上げられドキリとする。自制すれども少し興奮してしまった自覚はあるのでなんとかして納めようと隠すように背を向ける。寝ていればその内治まるだろう。

「ね、天理は……一人でしたりするの?」

「ゔっぐ……そりゃあるぞ。俺だって貯まる時はあるしな」

「俺もソレやってあげよっか?ね、お礼に!」

やっぱり隠し通せなかったらしい。侯輝はスッキリしたのかニコニコと後ろから俺の膨らんだ股間を覗き見ていた。

「っ……いい!いらんっ!」

俺は恥ずかしさに慌てて反転し壁際までズリズリ後退りすると侯輝から距離を取る。だがそれを許すまいと侯輝もどこか興奮気味に距離を詰めてきた。

「遠慮しないで!俺がスッキリさせてあげるからさ!ね?」

「ダメだっ!」

そんな事をしたら俺が勘違いしてしまう。俺はこの想いを捨てられなくなってしまう。そんなのは侯輝の為にもならないからダメだ。

「なんでだめなの?」

「ぐ、だから……」

侯輝がどこかまたしょんぼりとした空気を纏い始める。それに弱い俺は言葉に詰まるも嘘は無い範囲で必死で反論した。

は、恥ずかしいから、ダメだ……」

「え!……可愛い……」

蚊の鳴くような声しか出ず、言ってて本当に恥ずかしかった。顔が熱い。例え想いが通じていても正直自慰をやって貰うとかは恥ずかしい。想いが通じてもいないし……って俺は乙女か?いやしかし普通無いよな?多分。と己の想いと恋人代行という立場に混乱しながら抵抗を続ける。

「だから、その、これはお前が嫌いとかじゃなくてだな」

「うん。わかった。恋人に無理強いしちゃダメだよね」

「え……いいのか?」

本物の想い人なら許してくれたかもしれなかったし、侯輝ならもっと無理強いしてくると思っていたのだが思いの外あっさりと引き下がってくれた侯輝に俺は正直ホッとしていた。

「うん。俺の想い人もね、実は結構恥ずかしがりなところがあるんだよね。だから嫌がる事はしたくないかな」

「そうなのか、お前紳士だなあ……」

良かったな侯輝に好かれてるそいつ。俺はそいつがまた羨ましいと思った。いつもの侯輝なら俺相手に一度言い出したら強引に迫りそうな所だったから尚更だった。ホッとしつつそう感心していたのだがやはり侯輝は侯輝だった。

「だから、あのね、触らないから見てていいかな?」

「その理屈はおかしいだろ!」

どんな流れだそれは。いくら俺の判定が甘くても今のはおかしいで合っているはずだ。ぶり返した羞恥を隠すように反論するも、侯輝もそこで譲らなかった。

「天理のっ!その、そっくりさんの恥態を想像しながら俺、自分でするから、ね!?ね?!」

「訳がわからん!」

良く見たら侯輝の雄はすっかり復活していた。若いなふざけんな。それでも頑なに引こうとしない侯輝に俺が内心頭を抱えていると、侯輝は頼み込む様に口を開いた。その表情は少し苦しそうでまた俺の心はたじろいだ。

「……ね、お願い……俺、やっぱり今日だけ想い人代行でいて貰ったとしてもさ、明日からまたいつもの生活に戻ってしまうんだって思ったら寂しくて……せめて最後にそっくりな温もりと存在を感じたくて……」

「~~っ!わかった!わかったから!見るだけだからな!触んなよ!」

結局、引いたと思ったら押し込まれないだけで押されていたといういつものパターンだった。

「うん!ありがと天理!」

「っ……もう好きにしろ……」

侯輝が少しだけ距離をおいて嬉しそうにちょこんと座るのを見ると、俺は諦めて胡座をかきベルトを外すと立ち上がっていた雄を取り出す。この時点でもう十分に恥ずかしい。近所の良く懐いてくれるガキにまさか片想いして公開自慰する事になるだなんて。そんな事を思っていると侯輝から息を飲む気配がした。

「わぁ……すごい。思ってたよりおっきい……」

「……そう、か」

侯輝が少し寄りながら興奮気味に俺を見てくると、俺は恥ずかしさで死にそうだった。それでも一度やると言った以上やらない訳には行かず、ゆっくりと手淫をはじめる。するとすぐに先端から先走りが溢れてきてそれを塗り広げる様にして手を上下させる。

「ん、く……」

静かな小屋の中で自分の堪える様な荒い息と水音だけが響いている。そして何よりすぐ目の前に想い人がいて自慰に耽るのを見るのが恥ずかしい。だがその羞恥が逆に俺の快感を高めていたのも事実だった。もうさっさと出してしまおうと思ったその時、ふと侯輝の視線に気づいた。それは瞬きすらせず食い入る様なもので思わずたじろぐ。そしていつの間にか自分の剛直を取り出し、俺を凝視しながら自分のそれをすいていた。先ほど俺が手を貸してやった自慰ではあんなに声を出していたのに今は声を漏らさない様に口に手を押し当てている。目が合うと「ごめんね?」とでも言いたげに眉を下げる。謝らなくても良いんだぞ……そう思いながらも俺はその淫靡な光景から目を離す事ができなかった。侯輝が俺で自慰をしている、そう認識した途端俺の中の何かがゾワリとした感覚を背筋に伝えてきた。

「ん!ぅ……」

思わず出てしまった声に慌てて口をつぐむも時すでに遅し、侯輝は嬉しそうに微笑んだ後、自分のそれをすいながら自分の口元に当てていた手をこちらに伸ばしてきたかと思うと、そのまま俺の手の上に重ね一緒に扱くように促してきた。そして俺もそれに従ってしまう。
馬鹿、触れるなって、言ったのに。だが俺は払い除ける事はできなかった。触れてはいないがされている様な感覚にゾクゾクとした感覚が走り、俺の雄は一気に限界を迎える。

「こ、っく……!」
「て、んっ……!」

侯輝の名を呼んでしまいそうになり寸で堪えながら俺が吐き出すと、侯輝も同時に果てた。

「は……っ……」

俺は肩で息をしながら手の中に吐き出された白濁をぼんやりと眺める。常とは違うその自慰行為に脳が混乱して現実逃避でもしているのかもしれない。そしてふと視線を感じて顔を上げるとそこには目はどこか切なげに潤み頬は赤く染まっている侯輝がいた。それは俺が初めて見る侯輝の顔で思わずドキリとすると同時に何故か俺の胸がズキンと痛んだ。侯輝は俺の顔を見ると困った様な照れた様にはにかみを見せる。どんな顔している俺がお前にそんな顔をさせているのだろうか。

「も、いいなっ?寝るぞ!」

このままではいけない、と俺の脳が警鐘を鳴らし現実に引き戻す。羞恥を堪えながら俺は半ば強引に終わらせると手早く後始末をして寝支度を整え横になった。
何だったんだ今の時間は。

「ありがと、おやすみ天理」

「……おう」

モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、それでも疲れ切っていた俺はすぐに眠りに落ちた。


翌朝、気まずいかと思いきや侯輝はいつも通り…むしろどこか嬉しそうにしていて、俺は拍子抜けした。

「おはよ天理!丁度朝ご飯できたよ。顔洗ったらどーぞ!」

「……ああ、おはよう……ありがとな」

昨晩の気まずさは俺だけだったのか、侯輝はいつも通りの様子で朝食を勧めてくる。また少しぐるぐると寝ぼけた頭で考えながら顔を洗い、侯輝の勢いに押されるまま朝食を食べ始めた。侯輝の想い人代行は昨夜で終了という事なのだろう。侯輝はすっきりした顔をしているし元気になったのだからこれでいいのだ。俺はこれからも兄代行のままでいい。それでいいんだ。そう思いながらスープを流し込む。

「ね、天理。俺さ、昨日で吹っ切れたよ」

「……そうか」

「だからこれからは遠慮せずにガンガン行くから!がんばるね!」

「お、おう……がんばれ?」

俺に宣言しても仕方なかろうと思うも相談を持ちかけた俺に報告しようという事なのだろう。侯輝はニコニコと食事を続ける。俺はこの笑顔が見れるなら想いが通じる必要は無いのかもしれない、などと思いながら食事を進めた。

朝食を終えた俺達は再び遺跡調査へと戻る。
クシャ遺跡で見つけた壁画の内容は複雑な想いを抱える事になった俺の気持ちをそらすには十分に役に立ってくれた。作業に集中する事でなんとか気持ちの切り替えができ、作業が捗った為昼頃には終えると王都へと帰る事ができた。侯輝との護衛契約完了手続きをする為に冒険者ギルドへと向かう。手続きをしたら今回の侯輝との冒険はこれで終了だ。いつもは何とも思っていなかったその区切りを寂しく思ってしまうのは俺が本当に侯輝に想いを持ってしまったという証左なのだろう。


「ね、天理はこれからすぐ学院に行くの?」

「いや、今日は学院へは戻らず腹ごしらえできるもの買ったら家で遺跡での調査を纏める予定だが……何かあるのか?」

じっくり取り掛かりたかったから集中してできる家の方が良いだろう。出張の予定は余裕を取って組んでいるので急いで学院に出ていく必要はない。だから何か言いたげな侯輝に俺はそう答えた。

「あ、じゃあさ!俺と一緒にご飯食べよ?!お疲れ様会!」

「え?いいのか?まあいいぞ」

護衛を延長させてしまったし、お前の次の予定はいいのか?と思いつつ、侯輝の申し出は今の俺にとって嬉しいものだったから俺は侯輝の申し出を了承した。すると侯輝は嬉しそうに笑うと俺の腕を取り冒険者ギルドへの道を機嫌良く歩き始めた。なんだか周囲の目線が生暖かい気がして居た堪れない。

「ふーんふーんふーん♪」

「お、おい離せって……」

侯輝のこういうスキンシップは今に始まった事ではないが今の俺にとっては落ち着かない。侯輝は想い人がいるのだから遠慮しなければならないのだと思いつつも、それでも触れていたいという自分の欲求に勝てず、いつも通り押しに弱いから断り切れないのだという体で俺は侯輝からのスキンシップを受け入れてしまっていた。兄代行で良いのだと思った矢先に情けない。

「おねーさーん!俺はいつもの大盛とエール!……天理は?」

「お前まだ昼だろ……俺はライラパンとチキンサラダセット、柑橘水で」

「はーい!すぐお持ちしますねー!」

「えへへ一杯だけだから」

ギルドで手続きを契約完了の済ませるとそのまま付属の酒場へ向かう。侯輝はいつも通り注文を終えると、俺の向かいの席に座りニコニコしながら俺を見ていた。俺をこんな風に見てくれるのは今の内かもしれない。侯輝が結婚する事になったら弟を猫可愛がりしている土護はきっと感涙して泣くだろうと思っていたが俺も別の意味で泣きそうだ。その時は俺も兄代行だったからなと誤魔化す事にしよう。

「はい、いつものお待ち!」

「おねーさんありがとー!それじゃ天理冒険成功かんぱーい!」

「おう、お疲れ」

注文した料理が運ばれてくる。店員は馴れた手付きでエールを置き、俺の前にライラパンとチキンサラダを置いて行く。食べ盛りの侯輝はいつも肉やら野菜やら穀物やらを山盛りにして貰っていた。俺はその半分程でお腹いっぱいになってしまうのだが。侯輝は機嫌良くエールをあおり喉を鳴らしながら飲んでいく。侯輝は下戸ではないがすぐ酔っぱらうので心配だが一杯ならまだ大丈夫だろう。もりもりと山盛りの馳走を美味しそうに頬張る侯輝は見ていて気持ち良い。

「ん……えへへー天理も沢山食べるんだよ?ほらほら!」

「いや、俺はこれ位で丁度いいから」

なんだかやたらと嬉しそうなのが気になるがまあそういう気分だったのだろう。俺も料理に手をつけた。パリっしたチキンが香ばしく美味なそれに集中する事にする。

「……ね、天理ってさ、好きな人はいるの?」

「っ!ごほっげほっ」

「あ、大丈夫?お水お水」

思わずむせてしまった。いきなりなんだ。そしてなんて答えにくい質問だそれは。
いるが?目の前に。昨日からな!
だがその想いを伝える訳にはいかないのだ。先日聞かれた時はいなかったし、そもそも恋愛自体諦めていたから想い人の有無自体は答えていなかったなと思い起こす。先日いないと答えきってしまえば良かったか。興味津々といった風の侯輝に俺はうまくかわすこともできず仕方なく正直に答えた。

「い、いるぞ……」

「ねえねえ、どんな人?」

侯輝は俺が動揺しているのもお構い無しになぜだか嬉しそうにグイグイと来る。好きな人間にこれ聞かれるの堪えるな。そういった事に鈍い俺じゃあるまいし、侯輝はそういうの勘づくの得意だと思ってたのに。侯輝も身内感覚なのだろうか。でもそれでいいのだ。俺は動揺しつつも答え始めた。

「そ、そうだな……まあ、年下で……」

「ふんふん」

「笑顔が可愛くてだな、いつも元気で……」

俺の話にいちいち頷く侯輝に段々恥ずかしさが増長してくる。だが俺はもう腹をくくる事にしたのだ。この想いは墓まで持っていくつもりだったのだが。こうなったらもう言ってやる。どうせ叶わないのだからと開き直る事にしてツラツラとその特徴を話していく。

「……その、気遣いができて。でも時々突拍子もない我儘で振り回される」

「うん」

話しながら侯輝との思い出を振り返り己の内にある侯輝への想いを募らせていく。胸の内が温かい気持ちで満たされて改めて己が侯輝を好いているのだと自覚した。

「でもそれだって嫌じゃないし。いざという時には頼りになるし。その、存在が……愛おしい、と、言うか。大切にしたいんだ……」

「……っ」

俺の言葉を聞いている侯輝の顔が何故かどんどん赤くなっていく。何故なのか。機微にも聡く恋バナは好きそうな侯輝の事だから少し感化されたのかもしれない。

「それで……天理はその人に告白しないの?」

「ああ。するつもりは、ない」

侯輝の問いに俺が途端に想いに蓋をしてきっぱり答えると、侯輝が何故かショックを受けた様な顔をしたように見えた。

「ど、どうして? そんなに好きなんでしょ?諦めるなんて、そんな」

「どうしてって、そりゃ……」

侯輝の想い人が俺じゃないからだよ。そう言いかけて口をつぐむ。これは言ってはいけない事だ。俺はもう決めたのだ。この想いは墓までもっていくと。だから……。

「こんな俺に想いを告げられても困るだろうし、そいつには幸せになって欲しいんだ」

「で、でもっ!」

「それにな、そいつの事を大事に思ってるやつを俺は裏切れないんだ。頼まれているんだそいつの事を。だから裏切れない。」

「……え?それって……そう……だったんだ……」

土護はきっと侯輝が可愛い嫁を見つけて幸せになってくれる事を願うだろう。俺じゃダメなんだ。
侯輝は俺の言葉に力を失った様に声を小さくしていく。俺の想いを理解して気を落とさせてしまっただろうか。侯輝にまでそんな想いをさせるつもりはなかったのだが。

「天理は……その、好きな人の事を頼んできた人の為にも好きな人の事を諦めてるの?」
「ああ」

「……っ。そっ……か。手強いなぁ……」

「?……どうし……」
「おねーさーん!エールおかわりっ!」

侯輝は消沈したと思ったらどこか自棄糞気味にエールを頼んだかと思うと、それを一気に飲み干した。酒に酔えない俺の代わりになってくれている様で侯輝には悪い事をしてしまったと思う。

「俺はっ天理れんりらい好きらからねっ」

「はいはい、ありがとな」

その上俺をフォローまでしてくれようとか本当に良いやつだよな。
その後も俺が止めても飲もうとしたが案の定あっという間に潰れて机にへばりつくように眠ってしまった。


「お兄さん、気をつけてあげなきゃ!次から潰れてももう面倒見ないからね!」

「面目ない……」

店員にそう怒られた俺は頭を掻きつつ支払いをして侯輝をおぶって家へと向かった。筋肉の塊である侯輝は重い。
ほうほうの体で家に辿り着き荷物を適当に置いてベッドに寝かす。すやすやと酔い潰れて眠る侯輝を見る。目の前に無防備に眠りこけている想い人がいる。それがこんなにも苦しい事だとは思わなかった。想いを隠し通す覚悟をしていた筈なのに脆くなってしまうものだなと思う。

「むにゃ……負けらいらら……」

どんな夢を見ているのやら。何やら寝言を言っている侯輝の頭を撫でてやると少しその表情が和らいだ気がした。

「……寝顔はまだまだ可愛いな」

小さくそう呟くと、俺は溜め息をつく。この想いに蓋をしなければいけないのはわかっている。それでももう少しだけ、想う事を許して欲しい。むにゃむにゃと動く唇にそっと口付けた。少し酒臭いが柔らかい唇。

「ん……」

侯輝が寝返りを打ち、俺は慌てて体を離した。そして自分のした事に気づいて頭を抱える。

「何をやってんだ俺は……」

このままではいけない。俺はベッドを降りると、バシバシと顔を叩く。そして荷物の中から遺跡での調査資料を取り出し机に向かった。俺はその資料と向き合いながら、この想いにまた蓋を閉じた。

翌朝、ソファで目を覚ますと寝ていたはずの侯輝はいなかった。『昨日は迷惑かけちゃってゴメンね!』と書き置きがしてあった。気にしなくてもいいのに。すまない侯輝。むしろ一瞬でも不埒な真似をした俺が謝りたかった。

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